宗教論あれこれ、未完成

未完成の宗教論。
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ピゾナ @pizonat

真理の賞味期限は短い。常に真理を発見し続けねければならないということかもしれない。しかし過去の真理は真理で無価値ではない。何割かは通用する。そういう風に過去の真理では足らないところを鰻屋のたれみたく注ぎ足していく。それが真理の本質じゃないかと思う。鰻屋のたれは店の命っていうでしょ

2017-02-14 06:50:51
ピゾナ @pizonat

ようするに人類が進化することで、その分また新たな真理が出現してくるってことなんだよな多分。鰻屋のたれの注ぎ足し注ぎ足しと一緒。いたちごっこみたいなもんだ。だからやっぱり宗教的全体性ないしは宗教というのは半永久的に不滅なんじゃないかな。やっぱり天皇制というのは日本に必要だと思う。

2017-02-14 07:16:23
ピゾナ @pizonat

続き)もしかすると天皇制の本当に凄いところというのは、時代によって柔軟に変化するところ、変化を許容するところではないか?。考えてみれば明治憲法下と現憲法下でも天皇の在り方というのは全然違う。これは政治権力の交代によって宗教的権威としての天皇が滅しないこととほぼイコールではないか?

2017-02-14 07:23:21
ピゾナ @pizonat

続き)天皇制の一本質として「変化」があるのではないか?。明治大正昭和平成と、元号によって微妙に時代の変化もある。変化を許容するから鰻屋のたれのように真理の注ぎ足しによる更新も可能。明治憲法から平和憲法へのドラスチックな変化はどうだ?。そこに天皇制の本質があるのではないか?

2017-02-14 07:46:35
ピゾナ @pizonat

オカルト的な話だとイエスはエジプトやインドに行ったりして世界各地で様々なことを勉強していたという説もある。これは興味深い話だと思っていて、昨日述べた真理の賞味期限は短いという話と関係してくる。たしかに真理は短い、でも何割かは使える。

2017-02-16 04:38:26
ピゾナ @pizonat

続き)大学入試や資格試験でも同様のことがいわれる。つまり、過去問が大事だと。同様に仏典を始めとした古今東西の古典、宗教書も試験の過去問みたいなもんだ。イエスや釈迦はこの世のどんな試験よりも難しい、宗教的真理の注ぎ足し(鰻屋のたれと一緒)更新という試験に合格した人なのだ。

2017-02-16 04:41:42
ピゾナ @pizonat

続き)イエスの時代でいえば、エジプトやインド他当時のあらゆる古典、宗教書を読んだりしていわば過去問の現時点で通用するところを見極めた上で足りない部分を新しく作出し、注ぎ足し更新する。新約聖書と旧約聖書がくってついてるのもそういうことだ、鰻屋のたれの注ぎ足しと一緒です。

2017-02-16 04:44:57
ピゾナ @pizonat

続き)ま、鰻屋のたれは適当に作ったのを足してるだけだから厳密には同じとはいえないが、現象としては似たような感じというところだろう。作家の林雄介氏も仏典を始めとする古今東西の古典、宗教書を読んでおられる。彼もまたキリストや釈迦と比肩する宗教者なのかもしれない。

2017-02-16 04:51:13
ピゾナ @pizonat

政治をみるうえでも過去問=歴史は大事。だが、歴史で7割8割解っても、あとの2割3割はわからなかったりする。その部分は自分で新たに調べたり考えたりしないとだめ。それが難しい。だから単純に過去の歴史と似ているというだけでは一緒にできなかったりもする。過去問だけでは解けないことがある。

2017-02-16 05:17:54
ピゾナ @pizonat

続き)これもまたバランスが大事ということなのかもしれん。過去問に偏り過ぎてもよくないし過去問なしで解こうとするのも無理がある(新興宗教にはまるのも同じようなもの)。過去問も使った上で、そのときどきの答えを自分の力で見つけ出すように努力することがバランスが取れていて良い在り方である

2017-02-16 05:21:45
ピゾナ @pizonat

宗教的真理の注ぎ足し(鰻屋のたれと一緒)更新という観点からみるとイスラム教の欠陥も見えてくる。コーランを残すなと言ったのに残してしまったがゆえに彼らは注ぎ足し更新を拒否してしまったんだ。だからアラーに逆らってコーランを第一経典とし、永遠の真理として崇め奉っている。禁忌を犯している

2017-02-16 05:33:43
ピゾナ @pizonat

まあでももしかしたらコーランが残ることまでアラーは想定していた可能性もなくはないし、その辺はなんともいえんがな。

2017-02-16 05:59:53
ピゾナ @pizonat

精神主義と物質主義。最新政治現象と歴史学。今の真理と過去の教え。本試験と過去問。この対比が重要。この対比の本質は諸行無常といえる。

2017-02-21 09:01:26
ピゾナ @pizonat

考えてみるとこの世の殆どのコンテンツは広義の実学といっていい。芸能人のゴシップやら騒動やらにしても人々はそこから世間知を学ぼうとするわけだ。他のあらゆる娯楽なども突き詰めれば実学だ。そしてそれらの実学は諸行無常から見たらむろん永遠の真理ではない。

2017-02-21 09:04:48
ピゾナ @pizonat

この世の一切が諸行無常と考えると空しくも感じるが、なぜ空しく感じるかといえば、価値観の根底に物質主義があるからだ。一切は諸行無常と理解しそのうえで物質主義も精神主義も許容し受け入れて生きるというのが悟りのひとつではないか?そうすれば空しくは感じない。むしろ執着を無くして生きられる

2017-02-21 09:09:20
ピゾナ @pizonat

そして、なぜ人間が物質主義の地獄に陥るかといえば、人間には自らの生命を含む、物質の永続性を錯覚する「永遠の感覚」が備わっているからだと思う。物質主義もまた永遠の感覚という精神性によって成り立っている。この孤立した物質主義を精神性と併せて存立することが人間の在るべき姿。

2017-02-21 09:17:46
ピゾナ @pizonat

人間だから物質主義的な欲望はあるのは当たり前だが、諸行が無常であることを理解して、もう一方で精神性みたいなものも大事にすることで過剰な執着心を抑制できる。ひとことで言えば、「なにごともほどほどに」ということ。過ぎたるは及ばざるが如しという言葉もある。

2017-02-21 09:32:20
ピゾナ @pizonat

メモ:各宗教のエッセンス ・仏教。諸行無常。智恵と慈悲 ・キリスト教。神は愛なり。愛の実践。 ・神道。宗教的権威と政治を分けると国力が増す。政教分離による宗教立国。 ・林雄介教。なにごともほどほどに。 ・イスラム教。清らかさ。劣悪な環境においてピュアで清らかにいられるように。

2017-02-21 10:22:28
ピゾナ @pizonat

各宗教のエッセンスを見ていくと、共通するテーマというか本質として、物質主義に陥らないようにするという側面があるように思う。一方に物質主義、もう一方に精神性という形でバランスを取っているというか。バランス?宗教の本質はバランスなのか?

2017-02-21 11:11:30
ピゾナ @pizonat

仮にあの世があって、地獄に落ちるということがあるとすると、物質主義に陥ることが原因だ。それは物事への執着だったり、物質主義に陥ったがゆえに悪いことをしてしまうというのもあるだろう。独自の物質主義的実学(キリスト教における愛の実践や仏教における多種多様の知恵)で人々を救うとともに、

2017-02-21 12:54:25
ピゾナ @pizonat

続き)精神性でもって物質主義のみに陥らないようにバランスを取っているとすると、たしかに宗教は人々が地獄に落ちないようにもしているのだといえる。まとめると、時代や場所により様々に異なる実学で人々の救済を試みると同時に地獄に落ちないようにもするというのが宗教の定義かもしれない。#宗教

2017-02-21 12:55:11
ピゾナ @pizonat

続き)この定義なら仏教もキリスト教も神道もイスラム教も括れる。教義の有無では神道が外れるし、神の有無では仏教が外れる。あの世があるかどうかはわからないが、仮にあの世があったとして地獄に落ちないような在りように人々を導き救済するという点で一致していることが非常に興味深い。

2017-02-21 12:59:27
ピゾナ @pizonat

執着し続けるよりも、執着から自らを解放するほうが心地よいような気がする。それが執着を絶つひとつのヒントのような気もする。精神主義と物質主義。断捨利とかは過剰な精神主義のような気もするし。やはりほどほど、バランスが大事ということだろうか。

2017-03-10 19:18:10
ピゾナ @pizonat

続き)全ての宗教に共通する本質(精神主義と物質主義のバランスを取る)に則って生きることが人間にとって幸せであり、結果として執着との関係も最適化できるということではないか?。人間だから執着心ゼロでは生きられないから、ほどほどの執着を抱えて生きるほかないのではないか?。

2017-03-10 19:30:19
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