- shu_cho0118
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木造家屋の階段で、泥にまみれて死んでいるお年寄りの写真を見ると、なぜここまで生きてきたご老人がこんな場所でこんなにつらい死に方をせねばならなんのかと、そういう怒りや悔しさや悲しさなど、あらゆるネガティブな感情がミックスされて渦を巻くのです。
2011-03-23 02:41:54自然は理不尽で暴虐で残酷です。そして自然は美しい(先日の満月は本当に美しかった)。そんな矛盾した、どうにもならない現実が私たちを取り囲んでいる。その足がすくむような感覚を、多くの人が思い出したのです。
2011-03-23 02:44:12地震も、津波も、原子炉の暴走も、人間の制御など拒絶する自然の「恐怖」を思い出させました。それは人間が火を発明する前、獣たちや暗闇を恐れた気持ちにも通じるのかもしれません。
2011-03-23 02:46:30首都圏のような自然が制圧された場所でも、こうした人間が無意識に抑圧した「恐怖」の手触りを思い出した人が多いのかもしれません。夜。みなぐったりと疲れて眠りこけています。
2011-03-23 02:47:33自然への「畏敬」の念を忘れていはいけない。ある人はそういいました。いや、忘れてはいけなかったのは自然への「恐怖」だったのではないでしょうか。
2011-03-23 02:52:39かつて人間はえたいの知れない病気になすすべもなく死に、食べ物が尽きて飢えました。その心配がなくなっても、別の心配が次々に出てきました。リストラされるとか結婚できないとか放射能が漏れだすとか。どっちが幸せだったんでしょうかね。
2011-03-23 02:54:35大量発電に支えられている大量消費文明への批判や反省をパソコンやインターネットでやっている、現代の人間は笑っちゃうほど矛盾しています。
2011-03-23 02:56:25人間は 人間がおサルさんからお別れした理由 つまりは知能によって滅びる 文明や技術によって滅びる 冷戦が終わって その恐怖は去ったはずでした
2011-03-23 03:00:54でも3月11日からずっと、私たちは「文明や科学技術の極北で自分たちは死ぬのかもしれない」という壮絶に矛盾した現実を生きています。これは全面核戦争の恐怖とどこが違うのでしょうか。
2011-03-23 03:02:10ペストや天然痘、結核で死ぬ恐れはなくなったのです なのに ガソリンがないので動けない 体育館のようなスーパーにパンがなく飢える 電気がとまって夜暗い などと まったく恐怖はしつこくそこにいます。
2011-03-23 03:04:413.11クライシスが見せたものは、冷戦終了後久々に人類を脅かした「核の恐怖」であり「科学技術によって死ぬかもしれないという恐怖」でした。
2011-03-23 03:06:19人類は、わざわざ努力して苦闘のすえ達成した科学技術と文明によって、破滅するかもしれないと、核兵器を持ったことのない私たちも悟ったのです。
2011-03-23 03:07:23その意味では、冷戦中はぼんやりした平和のなか、とりあえず一生懸命働くだけだった私たちも、世界的な危機の潮流にやっと(ありがたくないことに)放り込まれたのかもしれません。
2011-03-23 03:10:07