ホイミンさんの近現代史まとめ

ホイミンさんの近現代史の分かりやすく興味深い話に感服し、まとめました。日本史専攻の私にとっては西欧からの視点の近現代史は新鮮です。
23
前へ 1 2 ・・ 8 次へ
ホイミン @hoimin00

ドイツでナチス政権が成立するとオーストリアでもそれに呼応してナチスが勢力を拡大したが、オーストリア首相ドルフスはナチスを禁止し「オーストロ・ファシズム」と呼ばれるカトリックに基づく権威主義体制を打ち立てた。ドイツによるオーストリア併合に反対するムッソリーニがこれを支援していた。

2017-09-16 13:14:06
ホイミン @hoimin00

1934年7月25日、オーストリアナチスが暴動を起こしてドルフス首相を殺害し政権奪取を試みたが失敗に終わった。イタリアはオーストリアとの国境地帯に4個師団を集結させてドイツの介入を牽制し、ムッソリーニは激しくヒトラーを非難しヨーロッパ各国が協力してドイツに対抗する必要性を訴えた。

2017-09-16 13:19:45
ホイミン @hoimin00

しかしイギリスが1935年に英独海軍協定を結んで対独宥和政策を取った事、イタリアがエチオピアに侵攻した事で英仏両国との関係が悪化しドイツに接近した事から、ドイツはオーストリアに対する圧力を一気に強め、1938年3月にはドイツ軍がオーストリアに進駐し、翌4月にオーストリアを併合。

2017-09-16 13:26:46
ホイミン @hoimin00

ヒトラーがオーストリアで「国民投票」を行って97%の合併賛成票を集めた事を発表したのは4月10日。英伊復活祭協定が結ばれたのは4月16日で英伊両国が協力してヒトラーを抑制するには手遅れだった感が否めない。これ以降英仏両国の弱腰な姿勢を見てムッソリーニの対独傾斜が強まっていった。

2017-09-16 13:33:58
ホイミン @hoimin00

ドイツ国民が第一次世界大戦に敗北した後結ばれたヴェルサイユ条約によって課された過酷な賠償に反発してナチスが台頭して政権を掌握し再び世界大戦を引き起こしたのは因果関係が理解しやすい。しかし第一次世界大戦で米英仏と共に戦勝国側だった日伊両国がなぜドイツと同盟して戦争に加わったのか?

2017-09-16 13:59:24
ホイミン @hoimin00

イタリアの場合は第一次世界大戦中の1915年に三国協商とロンドン秘密条約を結んで三国同盟を破棄して連合国側に立って参戦したにも関わらず、戦後ロンドン秘密条約で約束されていた領土要求がほとんど満たされなかったため国民の間で不満が高まり1922年のファシスト党の政権掌握に繋がった。

2017-09-16 14:05:35
ホイミン @hoimin00

ファシスト政権を率いる独裁者ムッソリーニは1924年にフィウーメ、1936年にエチオピア、1939年にアルバニアを併合し、英仏両国に対してもマルタ島やチュニジア等の領土を要求したが上手くいかず、結局第二次世界大戦勃発後ドイツの圧倒的攻勢に便乗してその要求を満たそうとしたのだろう。

2017-09-16 14:14:26
ホイミン @hoimin00

日本の場合は第一次世界大戦で主戦場になった欧州諸国で多数の犠牲者が出たのに対して、ほとんど犠牲者を出さずに濡れ手で粟のボロ儲けをしてしまったので、指導者層も一般国民も戦争の悲惨さを実感できなかった事が大きいのかもしれない。その結果満州事変から日中戦争に躊躇なく突き進んでしまった。

2017-09-16 14:19:40
ホイミン @hoimin00

第二次世界大戦勃発後欧州諸国が軒並みドイツに占領されたのに乗じて仏印進駐を行い米英蘭から石油禁輸の経済制裁を受け、それに対して「自存自衛」の為に無謀な太平洋戦争に突入してしまい、戦争の末期には激しい空襲を受け原爆まで投下されてようやく多くの国民が戦争の悲惨さに気づいたのだと思う。

2017-09-16 14:24:46
ホイミン @hoimin00

第二次世界大戦で日独伊三国同盟を結んだメリットが日本にとっても独伊両国にとってもほとんど皆無だった気がする。日本にしてみれば独伊との同盟が逆に米英からの警戒心を強め経済制裁を強化されて苦しむことになり無謀な対米開戦に突き進む結果に終わってしまった感がある。

2017-09-16 17:09:39
ホイミン @hoimin00

独伊両国にしてみれば日本がソ連と中立条約を結んでいたために対ソ戦で全く日本の協力が得られなかった上に、日本が対米開戦した時に三国同盟には自動参戦義務がなかったにも関わらず即座に日本に同調して対米開戦してしまい悪戯に戦争の敵を増やしてしまっただけの結果に終わった感がある。

2017-09-16 17:14:27
ホイミン @hoimin00

1922年にムッソリーニを首相に任命したイタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は身長が153cm程度しかない「低い背丈の当主」として知られていた。祖父母と両親が共に従兄妹婚を通じた血統である事も影響しているのかもしれない。ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4…

2017-09-16 17:33:38
ホイミン @hoimin00

ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は第二次世界大戦で枢軸国の劣勢が明らかになった1943年7月24日、ムッソリーニを首相から解任し軟禁したが、ドイツ軍の侵攻を受け逃亡しバドリオ元帥を首班とする王国亡命政府を設立、ドイツ軍に救出されたムッソリーニが首班のイタリア社会共和国と交戦した。

2017-09-16 17:41:21
ホイミン @hoimin00

戦後、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は王政存続の是非を問う国民投票の最中の1946年5月9日にファシスト政権を支援した過去の清算を意図して退位しウンベルト王太子が国王に即位するも王制廃止の流れを止められず6月2日に行われた国民投票の結果、賛成54%・反対46%で王政廃止が決定。

2017-09-16 17:48:41
ホイミン @hoimin00

ファシスト政権の全盛期にはエチオピア皇帝とアルバニア国王を兼任したヴィットーリオ・エマヌエーレ3世だったが、結果的に祖父であるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が築いた王国自体を滅亡させてしまい、1947年12月28日、失意のうちに亡命先のエジプト王国のアレクサンドリアで病没した。

2017-09-16 17:53:55
ホイミン @hoimin00

私は個人的にはヴィットーリオ・エマヌエーレ3世と昭和天皇は戦争の道義的責任を問われたという点で似たような立場にあったように思う。前者は退位に追い込まれた上に王政自体が廃止されたが、後者は退位する事なく今日まで天皇制は存続している。なぜ両国の君主の明暗が戦後分かれたのか興味深い。

2017-09-16 18:00:38
ホイミン @hoimin00

最後のイタリア国王ウンベルト2世は両性愛者(バイセクシャル)の傾向があり、その事を王政存続の是非を問う国民投票の最中にも王制廃止を主張する左派から取り上げられ攻撃され、ファシストへの協力はそうした疑惑を抑えられていた故だとも言われた。ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6…

2017-09-16 18:07:45
ホイミン @hoimin00

1930年1月30日、王太子だったウンベルトとベルギー国王アルベール1世の長女であるマリーア・ジョゼとの結婚式が執り行われた。両親と違ってウンベルト夫妻の間柄はあまり良好ではなく、跡継ぎを含む一男三女を儲けたものの、育児を除く私生活では冷え切った関係だった。

2017-09-16 18:15:40
ホイミン @hoimin00

マリーア・ジョゼがファシズムを嫌っていて政治的意見の対立が多かったことと、ウンベルトに両性愛者(バイセクシャル)の傾向があったためだと言われている。王制廃止によりウンベルト2世が退位しポルトガルに亡命した後マリーア・ジョゼは子供達を連れて別居しメキシコに邸宅を構えて生活を送った。

2017-09-16 18:18:43
ホイミン @hoimin00

マリーア・ジョゼは晩年のインタビューで「私達は幸せな夫婦ではなかった」と述懐している。両者の結婚が両家で話し合われた時、ヨーロッパ諸国の王族界隈では2人がたまたま結婚適齢期の人間として残った形になっていたため、気性が合うかどうかを→ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E…

2017-09-16 18:23:48
ホイミン @hoimin00

→話し合う余地はなかった。ウンベルトにはまだ選ぶ相手(適齢期の王女)がいない訳ではなかったが、マリーア・ジョゼの側はウンベルト以外に地位と年齢が近い男性がいなかった。亡命後2人は実質的な別居状態となった。しかし宗教と政治的な理由から離婚することはなく、法律上は夫婦のままであった。

2017-09-16 18:26:48
ホイミン @hoimin00

王族は衣食住が保障されている上、結婚相手も実家が相応しい相手を探して紹介してくれるとか、私などから見ればとても羨ましい身分に思えるのですが、ウンベルト夫妻の例を見ると、気の合わない相手と家の都合で結婚せざるを得ないというのは不自由で不幸な事かもしれないなぁ、と考えさせられました。

2017-09-16 18:33:45
ホイミン @hoimin00

@seagullisland05 もしそれで2位か3位のチームがCSを制してそのまま日本一になったりするような事が起きたら多分CSは廃止か少なくとも何らかの見直しを迫られると思います。

2017-09-16 19:14:31
ホイミン @hoimin00

回答者の中で一番選んだ方が多かったロシア皇帝ニコライ2世は母方の祖父がクリスチャン9世です。ですがヴィクトリア女王の血は引いていません。ニコライ2世の皇后であるヘッセン大公女アレクサンドラは母方の祖母がヴィクトリア女王ですね。ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B…

2017-09-16 19:29:28
ホイミン @hoimin00

1名の方が選んだイギリス国王ジョージ5世は父方の祖母がヴィクトリア女王、母方の祖父がクリスチャン9世です。なのでこの問題の正解はジョージ5世です。ジョージ5世はサクス=コバーグ=ゴータ家の家名をウインザー家に改めた事で知られています。ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8…

2017-09-16 19:46:42
前へ 1 2 ・・ 8 次へ