安次嶺隆幸氏のヤバいコラムまとめ

駄目だこのおっさん
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9 @Silver_up_to5H

今まで敢えて筆者名をあげてきませんでしたが、ちょっとヤバさが極まってきてるのではっきり言います。日本将棋連盟ホームページで連載されている安次嶺隆幸氏の「将棋と教育」コラムは、将棋の(恐らく敢えて)誤った理解に基づいてヤバい教育論を語る、ヤバいやつです。

2017-10-01 08:32:32
9 @Silver_up_to5H

①安次嶺氏のコラムの胆は、将棋を単なるゲーム以上の何か精神性を纏ったものと見なし、それを生徒や親、教師などの人間関係に投影しようとするところにあります。題が「子供達は将棋から何を学ぶか」となっているのはそれを表したものでしょう。

2017-10-01 08:41:07
9 @Silver_up_to5H

②確かに将棋は単なるゲームというだけでなく、それを取り巻く諸々を含めて扱いうるものだし、人同士がやるものなのでその機微に注目するのは間違いではないでしょう。しかしそれらは将棋に特有の本質というより、あらゆるゲームがある程度共有するもののはずです。

2017-10-01 08:47:59
9 @Silver_up_to5H

③ところがこのコラムの筆者はそのような共有点を指摘するのではなく、寧ろそれが他にはない将棋の魅力とした上で、あたかも将棋が勝ち負けではなくそれ以上の何かを得る為に行うものであるかのように語ります。

2017-10-01 08:52:10
9 @Silver_up_to5H

④この自説を補強する為に羽生さんの言葉がしばしば引き合いに出されます。しかし、歴史に類を見ない傑出したプレーヤーの将棋に対する独特の構えを、アマチュアや初心者の子供に教える場面に適用するのは無理があるでしょう。意味が違って来てしまう。

2017-10-01 08:57:54
9 @Silver_up_to5H

⑤具体的には「相手を思いやる」「自己責任」「負けを受け入れる」などが将棋から学ぶ徳目とされているわけですが、どれも将棋に限って体験するものではなく、また学ぶものでもありません。このようなことの学習は、それほど単純なものではありません。

2017-10-01 09:03:57
9 @Silver_up_to5H

⑥以上が筆者による将棋の「理解」ですが、これを投影させようとしている先の実際の人間関係についての彼の理解もまた、問題含みです。

2017-10-01 09:05:58
9 @Silver_up_to5H

⑦今回のコラムに顕著ですが、筆者はどうも人間関係を財のやり取り以上のもので理解していない節があります。「目先の事に囚われず大きな視点で」と言っているのも、結局は中期長期で見た財の総量を考えろという戦略的振るまいの勧告でしかありません。

2017-10-01 09:11:43
9 @Silver_up_to5H

⑧人間関係を戦略的なものとしてのみ捉えているというのは、過去のコラムで生徒を駒になぞらえていたことからも窺えます。歩が突き捨てられることで他の駒の働きが良くなる事を、大人しい生徒を教室運営に活かす話の寓話として用いたもので、これは生徒の価値を手段としての効用で測っているものです。

2017-10-01 09:17:50
9 @Silver_up_to5H

⑨筆者自身はこの点に無自覚な可能性があり、自分では寧ろ単なる効用より高次の何かについて語ることを目指しているようにも見えます。しかし出だしの将棋の理解がおかしなことになっている為に、それにアナロジ-として対応させようとしている人間関係の理解もおかしなことになってしまっている。

2017-10-01 09:24:04
9 @Silver_up_to5H

⑩実際の人間関係は、単なる財のやり取りや戦略的振る舞いには還元できない複雑なものです。しばしば破られるとはいえ一定の信頼や背景合意に基づいて相互に行為する土台があって初めて、財のやり取りのシステムも成り立ちうるわけです。

2017-10-01 09:29:12
9 @Silver_up_to5H

⑪勿論これらは別々に社会を構成しているのではなく折り重なっているわけですが、以上のことも踏まえず薄っぺらい理解で日本の社会や文化を語り、将棋をその出汁に使っているという点で筆者の姿勢を批判し、また内容の不適切さを指摘するものです。

2017-10-01 09:34:54