それはホントに「現代的な意味での多様な性」だったのか?
- seppatsumariko
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@hayakawa2600 (続きです)があったことがわかっています。なお、ここでの「少年(あるいは少女)の姿」は、必ずしも上の身分の人々の愛人であることを意味しません。
2017-10-03 16:23:45@hayakawa2600 要するに、「(当時の)成人とされる年齢に達しても『少年(少女)の姿』をし続けるルール」自体が既に、いってみれば「臣従儀礼」の一環としての側面を有していた(上の身分の人々の「オトナ」性を脅かさないという意で)わけです。
2017-10-03 16:41:59@kisararah @hayakawa2600 まったくの思い付きですが、奴隷制時代のアメリカにおける、黒人に対しての(実年齢とはまったく無関係な)”Boy”呼ばわりと共通していませんかそれは。まさに相手がヒトである事を認めない形での臣従儀礼。
2017-10-03 20:58:22@smasayasu97 @hayakawa2600 ありがとうございます。確かに、ご指摘のような側面は大いにありますね。ですから一部の方たちが、「前近代日本の要人は“美少年”を堂々と愛した」云々と、即「現代的な意味での多様な性が認められた社会」であるかに言い立てていますが、その“美少年”と呼ばれた人々はどんな人々で(続きます)
2017-10-03 21:57:27@smasayasu97 @hayakawa2600 (続きです)あったのか、ということ(これまで見たように、決して単なる「魅力的とされるルックスの男の子」ではないです)をきちんと考えますと、決して「現代的な意味での多様な性が認められた社会」とは言い難いわけです。
2017-10-03 22:01:43@smasayasu97 @hayakawa2600 つまり、「前近代日本は世界で一番『(現代的な意味での)多様な性』が尊重され、輝いていた社会だった」言説はこれ lite.blogos.com/article/98135/… と大差がないわけです。しかしながら、「LGBT当事者」の中にもこうした言説を述べている方が案外いるのが、日本の現状です。
2017-10-03 23:08:59