- minakami_takayo
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しかしだね。この場合だと大日本帝国は44年末の段階で、おそらく戦艦に使えるような三万馬力級の大型ガスタービンを設計してるってことだよね、これ。#RSBC
2017-11-06 19:33:24逆に考えると、41年とか42年とかに二万馬力クラスのガスタービン作ってる可能性あるな。空母だったら四軸で八万馬力くらいになるのか。んで蒸気カタパルト採用すること考えてスチームタービンも搭載してCOSAGだな。 この時期だと…<翔鶴>???
2017-11-06 19:54:56ちなみに、43年後半には五二型の実戦配備も始まりますが、こちらも当初は陸上基地に優先配備され、空母への配備は44年に入ってから。日本海軍の航空機の開発や配備は、42年後半から明確に「基地航空隊優先」になっているんですよね。 pic.twitter.com/gPimXxBk82
2017-11-06 20:43:4020万トン戦艦である<播磨>の建造に当たっては、大神海軍工廠の起工および竣工もセットで考える必要がある。史実ではマル五計画と平行して行われる予定であったが、RSBC世界だとマル三計画と同時に始めないと間に合いそうにない。
2017-11-06 21:02:31んで、逆算的に考えたら、マル三計画時点ですんごい数の艦を整備する気満々だったと考えることが考えられる。 まあ、史実より戦艦が4隻多い状態で、かつ史実の倍以上の数建造する気なのだから当然か…。
2017-11-06 21:04:48<北の暴風>作戦で日本艦隊がSSMを発射して独仏艦隊を壊滅させたとき、撃ってたのは超甲巡と太刀風型と一部の優型駆逐艦、ということでいいのですかね? 何時ごろSSM搭載改装したのかが気になる。 #RSBC
2017-11-06 21:21:41RSBCの往復書簡とか九九九艦隊計画、というかそれ以外も含めていろいろ編成なり組織なりの解説が(一部でも)入った外伝って、あれ自分なりの設定整理を行った後、その解説を行うためにわざわざ外伝書いたんじゃないのと思うくらいにはひねた感想を抱いてしまう。
2017-11-06 22:16:22整理しないと続き書けないから設定纏めた。纏めた物を無駄にしたくないからそれを発表する場を作りたい。外伝でそれを発表する場を作った。みたいなね。ていうか、往復書簡とか九九九艦隊計画概要は直接的だけど、「少し遠い場所」は日本空軍解説とみることも出来るわけでね?#RSBC
2017-11-06 22:19:48@minakami_takayo 艦名は出てないですが、通称一号ドックと呼ばれている三〇万トンドックで三交代制で〈七号艦〉の建造が進められている旨記述されてますね(p.204)
2017-11-06 22:48:20@iromoku あ、やっぱ49年秋ではまだ建造中ということでいいんだ…(しかし進水すらしてないのかよとか、あるいは進水時点でほぼ艤装が終わってるくらいには建造が行われてるかとかいろいろ考えれますが)
2017-11-06 22:56:37外伝「標的は〈大和〉」は「密書」の年表によれば1949年秋のエピソード、本文中に「工廠の建設は一〇年前に開始され、初の艦艇を完成させたのは七年前」という記述があるので大神工廠の建設は1939年~1941年かと。 #大サトー twitter.com/minakami_takay…
2017-11-06 23:05:35RT>RSBCの大神工廠、1939年に工事が始まり、小型ドックで1941年に最初の艦艇が建造され、その後<播磨>が起工、1949末か1950年初頭に完成になったと。すごいねえ…。#RSBC
2017-11-06 23:21:085,000t級に拡大した冬月型駆逐艦は秋月型駆逐艦とどのような差異があるのだろう、主砲5基とかになってるのだろうか、あるいは高射装置やレーダーといった重量物がごてごて載っているからか #RSBC #大サトー
2017-11-07 01:40:45@iromoku 忘れてはいけない、播磨こと7号艦の計画段階では、8号艦と9号艦の建造計画もあるのである。つまり、並みの戦艦4隻が同時に入れるドックか船台が、あと2つはどこかに造営されてないとおかしい、ということであり、このあたりがRSBCのWW3後半の、怒涛の空母量産の伏線ではないかと。
2017-11-07 04:21:29妙風型が1945年より就役なので建造は遅くて44年初頭。設計は43年末となるので、雷装搭載のはず。 42年に艦隊型駆逐艦として島風型5番艦以降が改秋月型(3000t)に振り替えられ、その翌年に冬月型と妙風型が建造始まる、とかかね。#RSBC
2017-11-07 12:42:35んで、FCSとか強化した妙風型中期型と満月級が同時期。その後妙風型後期型でSSM搭載? 後期型で太刀風型とは同時期になるのかな。
2017-11-07 12:46:07往復書簡見てるけど、44年4月段階で<7号艦>後継として20万トン32ノット61センチ砲6門とか、<播磨>より弱くねーですかね…。あと44年8月の段階で<7号艦>級用のガスタービンを開発中とある。
2017-11-07 18:22:05どうも<播磨>を建造した30万トンドックとは別に<7号艦後継>を建造するための新造ドックが44年には作られてるっぽいな。あと、最初期に20万トンドックが別に作られてる可能性も考えられるか?(初期に18万トン戦艦の提案を艦政本部が行っている)
2017-11-07 18:27:12…これ、<播磨>(というか<7号艦>)、43年の段階で14万だか15万だかの戦艦として計画されていたんじゃねーの? それが44年に入って20万トン戦艦にする計画となったので、往復書簡で書かれた内容が、一見野放図に見える用になってる可能性。
2017-11-07 18:33:40@minakami_takayo どうも〈七号艦〉を建造した一号ドック、三〇万トンドックは公称で、実は〈超播磨型戦艦〉の建造を見越して50万トンまで建造可能なのではないかというような記述が「標的は〈大和〉」にありまして…… (帰宅途中なので原典に当たれないので昨日読んだうろおぼえですが)
2017-11-07 18:44:06@minakami_takayo 帰宅したので改めて「標的は〈大和〉」より。 「あのドックは、当初三隻が予定されていた〈七号艦〉の後継艦――三〇万トンあるいは六〇万トンと言われる誇大妄想的な戦艦を建造するために建設されたため、実際は五〇万トンドックに近い機能を持っているという話も聞いていたからだった。」
2017-11-07 19:21:28@minakami_takayo 勿論、受傷後の休暇配置として大神工廠に配置された予備大尉に過ぎない人物が聞いただけの話、ということは踏まえる必要がありますが。 尚、地の文によれば1949年秋の時点での大神工廠のドックは三〇万トンドック1基、一〇万トンドック2基、小型艦建造用ドック8基で合計100万トンだそうで。
2017-11-07 19:26:23