《東電福島第一原発事故に関する加害責任を、個人的にまとめてみた》

自己ツイートをまとめました。 原発事故はまだ終わっていないので、原子力緊急事態は継続中です。 それに伴って、福島県内のメディア統制は今も継続中です。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

個人的な意見ですが。 東電福島第一原発事故が発生した責任は、東京電力と自由民主党(特に中曾根康弘)と讀賣新聞社と経済産業省と「科学者」に、 事故発生後の被曝防護妨害の責任は文部科学省、経済産業省と福島県幹部と福島県教育委員会と山下俊一ら「科学者」とテレビ局・新聞社に あります。

2017-12-23 11:06:13
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発事故発生の責任について、 日本に原発を導入することに特に積極的だった中曾根康弘氏と讀賣新聞社の罪は重大です。 発生の責任に追加するなら、福島第一3号機でプルサーマル発電をするために佐藤栄佐久元知事に無実の罪を着せた、検察庁と裁判所も忘れてはいけません。

2017-12-23 11:06:14
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

さらに、 原発事故発生前に東京電力の原発推進をチェックするべきだった福島県の民間放送テレビは4局全てが、18時台のニュースのスポンサーに東京電力と東北電力を受入れ安全宣伝のCMをいれたことと、 地元新聞2紙が原発広告を積極的に掲載したことも忘れてはいけない。

2017-12-23 11:06:14

このツイートだけ、「です・ます」が外れてしまいました。

宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

福島県内のメディアは、ラジオ福島、FM福島の民間ラジオ局も電力会社のCMを放送していたし、NHK福島も民間放送に比べて電力会社に対する監視の目が鋭いわけではありませんでした。 事故発生後も電力会社への批判や追及は控えめに抑えられました。

2017-12-23 11:06:15
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発事故発生後の責任については、経済産業省と文部科学省は独自に各地の放射線量把握や核種検出をしても公表せず、特に浪江町津島地区住民と避難者と飯舘村住民への被曝を、意図的に放置したことは特筆しておくべきでしょう。

2017-12-23 11:06:15
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

更に福島県庁幹部の責任は、事故発生後重大で、犯罪に当たるかもしれないものが含まれます。菅首相(当時)からの「妊婦と子どもの県外避難打診」を拒絶し、県外からの避難抜け入れ申し出を情報ごとシャットアウトし、避難相談会の開催も禁じました。安定ヨウ素剤の配布も妨害しました。

2017-12-23 11:06:15
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

福島県庁幹部は、2011年3月14日、ちょうど3号機で爆発が起きた時間に「対策本部」会議を開いて、原発事故の今後の状況が不確定なのに「原発から20㎞以遠は安全」と断言してミスリードした。さらに3号機爆発について「『健康影響は出ない』と広報してほしい」と東京電力に要望して拒絶されました。

2017-12-23 11:06:16
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

福島県幹部はその後も「福島第一原発から20㎞以遠は安全」と繰り返した結果、15日以後、高濃度の放射性物質プルームの中で多くの住民を屋外給水の列に並ばせました。また、被曝防護について広報できたのに、意図的に広報せず、多数の住民を無防備で屋外活動させ、外部被曝内部被曝をさせました。

2017-12-23 11:06:16
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

さらに、福島県幹部と福島県教育庁・教育委員会は、3月14日に「3月16日正午から中通りと会津地方の福島県立高校の合格発表を行う」と発表し、14日11時の原発3号機爆発と15日早朝の2号機異変と4号機爆発による放射性物質の大量放出、中通りへのプルーム流入と降下を察知しても合格発表を強行しました。

2017-12-23 13:32:43
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

その結果、2011年3月16日、福島市での公式計測で15μSv/hを超えている雨と雪の中、県立高校の合格発表が、被曝防護の呼びかけもないまま、屋外で行われました。受験生と保護者、高校教職員、部活動勧誘に来た在学高校生の多数が、雨や雪に混じった放射性物質を体に浴び、吸い込みました。

2017-12-23 13:32:44
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

それ以後も福島県教育委員会は、4月にいつも通り学校の新年度を始める事に必死でした。児童生徒に対しては、新学期の開始を担任から連絡させました。避難して始業式に間に合わない児童生徒に対しては「いつから登校できるか」と担任に確認させる指示を出しました。

2017-12-23 13:32:44
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

幼稚園小中高校のグラウンドの空間線量だけを計測させ始めたのは、新学年登校初日の前でしたが、計測がすべて終わったのは新学期開始後でした。グラウンドの空間線量が5.8μSv/hを下回った教育施設では、「通常通りに屋外活動しても健康に影響はない」として、例年通りの屋外活動をさせる方針でした。

2017-12-23 13:32:45
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

福島県教育委員会は、県内でほんの数校だけがグラウンドの利用制限を行えば、他は例年通りの活動をしても支障はない、という方針を示しました。全国的に知られるようになったマスク着用の登下校や、屋外活動の自粛は、教育委員会の指示ではなく、PTAからの要望によるものと、現場校長の判断でした。

2017-12-23 13:32:45
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

その上で、屋外運動部の活動は「100mSv/y、100μSv/hまで被曝しても、子どもでも健康影響は出ない」という山下俊一氏の言葉を根拠に、無制限の内部被曝外部被曝を許容する形で2011年3月末から平常通りに再開されました。これは福島県庁と福島県教育委員会の合意の下で行われた被曝強制でした。

2017-12-23 13:32:45
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

山下俊一氏の「チェルノブイリ原発事故での長年の知見」によると、チェルノブイリ原発事故で被曝の為に健康を害して死んだ人数は、収束作業員28人と甲状腺がん患者5人の計33人だけという事になっていました。低線量被爆で健康を害する人は40歳以上では一人もいないことにされていました。

2017-12-23 13:45:00
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

上記は、福島県庁、福島県教育委員会、山下俊一氏の被曝加害に当たる責任です。が、福島県内で、これらの方針を批判するテレビ局も新聞社もラジオ局もありませんでした。むしろ積極的に山下俊一氏の講演録音や記録記事を繰り返し県民に流通させました。これは福島県内マスコミによる被曝加害です。

2017-12-23 13:45:01
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

さらに、各マスコミには「福島県外で避難希望者を受け入れるので報道してほしい」という申し出が多数あったのですが、それも報道しませんでした。報道しなかった理由を私ははっきり確認してはいないのですが、結婚式場やホテルの宴会場までも避難相談では使えなかったので、県の方針だったのでしょう。

2017-12-23 13:45:01
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

この当時、個人的に知っている複数のメディア関係者から別々に教えられたのですが、少しでも福島県庁の意に沿わない報道をすると、メディアの幹部が県庁幹部に呼び出されて「福島が元気になる報道だけをして下さい」と、きつく申し渡されたそうです。

2017-12-23 13:45:02
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年3月下旬から4月上旬、テレビではまだ不安定な福島第一原発の話が、解説付きでかなりの時間、福島県外では放送されたと思います。しかし福島県内では、地震や津波の話が終わり、原発の情報や解説に内容が変わるタイミングで、福島県内の災害情報や避難所情報に切り替わることが多かったのです。

2017-12-23 14:13:11
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

その為、2011年3月から4月にかけて、原発事故に関するテレビの情報量は、福島県内よりも福島県外の方が多かったと思われます。これもまた、福島県内テレビ局の被曝加害責任に加えるべき事でしょう。

2017-12-23 14:13:11
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

順序が逆になりましたが、経済産業省とその下部組織に当たる原子力安全・保安院は、原発事故発生直後から、マニュアル通りの緊急対応さえとりませんでした。原発事故が発生したら経済産業省の官僚がオフサイトセンターに来る事になっていましたが、ついに誰も来ませんでした。

2017-12-23 14:13:11
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原子力安全・保安院の広報担当の中村氏が2011年3月12日の記者会見で「メルトダウン」という適切な一語を使った後、急遽更迭されてその後二度と記者会見には出席しませんでした。メルトダウンを政府官僚が認めたのは2か月後の5月で、それまで「燃料棒はわずかしか損傷していない」が公式発表でした。

2017-12-23 14:13:12
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月から5月になっても、福島県庁とその指示の下にある市町村、その指示に従うマスコミによる情報統制は続きました。被曝防護のための県外保養の相談会さえ公共の場やホテル・結婚式場などでは開催できず、学校にチラシを置くことさえ許されませんでした。

2017-12-23 14:13:12
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

なかなか県外避難から戻ってこない児童生徒に対しては、クラス担任が毎日のように「いつからならば登校できますか?」と家族に問いかけように、県教育委員会から各学校に伝達されたままでした。そのまま県外避難を続けることができた児童生徒は一握りでした。

2017-12-23 14:13:12