群集の制御術・・・人間も微生物も水分子も「群集」は似た動きをする

群集はまとまりがなく、制御が難しいと思われている。しかし一見でたらめに見える群集でも、制御する「コツ」はある。
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shinshinohara @ShinShinohara

幼稚園の先生や保育士の先生が子どもたちを上手に導いている様子を観察して、微生物の群集をコントロールするヒントを探る私。微生物の実験結果から、息子や娘の子育てのヒントを探る私。しかし私の中では、微生物も子どももよく似ているように感じている。

2018-01-04 21:11:33
shinshinohara @ShinShinohara

私のところに来た学生に必ず出すクイズがある。「邪魔な木の切り株がある。微生物の力で取り除きたい。どうすればいい?」 オーソドックスな答えは、切り株を分解する微生物を探してきて、それを培養して切り株にぶっかけるというもの。 ところがその方法だとうまくいかない。

2018-01-04 21:25:38
shinshinohara @ShinShinohara

切り株を微生物の力で取り除くには、肥料をまけばよい。炭素以外の養分をたっぷり含んだ養分を。すると切り株はボロボロに分解される。土着の微生物たちによって。つまり微生物をわざわざ投入しなくても、土着の微生物が頑張ってくれる。なぜか?

2018-01-04 21:48:07
shinshinohara @ShinShinohara

炭素以外の養分がたっぷりの肥料がまかれたことで、土着の微生物は一種の「炭素欠乏症」に陥る。「炭素さえあればすべての養分が手に入るのに」という状況。そんな中、豊富に炭素を含むものが目の前に。それが切り株。そうなると、土着微生物は切り株から炭素を切り出すために一斉に動き出す。

2018-01-05 00:28:11
shinshinohara @ShinShinohara

土着微生物の中から、切り株に含まれる成分を分解するのに優れた微生物が自発的に動き出し、微生物生態系全体がその微生物を支援する体制を整える。切り株を分解する微生物はみんなに切り出した炭素を渡し、ほかの微生物はその微生物にほかの養分を運んでやる。協働が自然に起きる。

2018-01-05 00:29:39
shinshinohara @ShinShinohara

このように、擬似的に一種の欠乏状態をつくると、微生物は欠乏を埋めるために動き出す。この手法を「選択陰圧」と呼んでいる。ダムにためた水が、アリの一穴から噴き出すように、陰圧になっているところめがけて動き出す。水分子も微生物も、群集は陰圧に向かって動き出す。

2018-01-05 00:32:15
shinshinohara @ShinShinohara

実は人間の群集も同じ動きをする。兵法書「孫子」には囲師必闕という兵法がある。城攻めの際は完全包囲せず、一箇所手薄な場所を作っておくと城兵は「あそこから逃げられるかも」と思って戦意を失い、逃げ出す。たやすく城が手に入る、という戦略を説いたもの。

2018-01-05 00:34:55
shinshinohara @ShinShinohara

包囲するという「陽圧」の一方、手薄な場所という「陰圧」を用意することで、城兵という人間の群集もそちらに向かって動き出す。群集というのは制御不能と思われているが、選択陰圧の手法なら、人間も、水分子も、微生物までも、望む方向に動かすことができる。

2018-01-05 00:36:40
shinshinohara @ShinShinohara

微生物も幼児も、こちらの言うことを聞いてくれないという意味ではよく似た存在。しかしベテランの幼稚園の先生や保育氏の先生は、頑是無い子どもを結構自在にあっちからこっちへ移動させたり、お片づけをするように仕向ける。この方法は微生物にも応用できないか、いつも考え中。

2018-01-05 00:38:26
shinshinohara @ShinShinohara

もうひとつ、群集をコントロールする方法がある。構造的選択圧と呼んでいる。 下水処理では脱窒という反応がある。これにより富栄養化の原因となる硝酸を取り除き、窒素ガスに変える。しかし有機肥料で養液栽培をしようとする場合、脱窒が起きると植物の養分である硝酸が失われてしまう。

2018-01-06 13:01:21
shinshinohara @ShinShinohara

有機肥料で養液栽培を実現するには、有機物を分解して硝酸を得る必要があるのだが、ここで厄介な問題が。脱窒は有機物をエネルギー源に、硝酸を酸素源にして活性化する反応。有機物から硝酸を作りたいのに、有機物と硝酸があると脱窒が起きてしまう。このため過去の研究者はみんな討ち死。

2018-01-06 13:04:37
shinshinohara @ShinShinohara

有機物と硝酸が同時にあると脱窒が起きる。でも有機物を分解して硝酸を得ないと有機肥料の養液栽培は実現しない。この矛盾を解決できなくて、NASAも7年間研究したが失敗に終わった。どうすればよいか?

2018-01-06 13:14:57
shinshinohara @ShinShinohara

私はひとつの仮説を立てた。「有機物と硝酸が同時になければいいんじゃない?」有機物を水に加えるのは最初だけ、それもごく少量にとどめ、あっという間に分解されてなくなるようにした。有機物があるときには硝酸がなく、硝酸が出てきたときには有機物がない。これにより脱窒を抑えることに成功した。

2018-01-06 13:20:09
shinshinohara @ShinShinohara

実は、微生物源に土壌を使うから、培養液にはたっぷり脱窒菌が含まれる。それでも脱窒が起きないのは、有機物があるときには硝酸がなく、硝酸が出たときには有機物がない、という「構造」があるからだ。微生物は与えられた構造の中で最適な行動をとろうとする。

2018-01-06 13:21:49
shinshinohara @ShinShinohara

「構造」の中で最適化しようとするのは、微生物だけでなく人間も同じ。サッカーは手を使っちゃダメ、という奇妙なルールがある。そんな不便なスポーツなのにルールを破ろうとせず、嬉々として足と頭だけでプレーする。毎年たくさんの子どもがサッカーを始める。なぜ「群集」自ら従うのか?

2018-01-06 13:24:20
shinshinohara @ShinShinohara

群集は、「構造」が明確で、構造に最適化すればメリットがあるならば、命令しなくても自発的に「構造」に合わせて行動し始める。サッカーは「手を使えない」というルールが「構造」として与えられるが、それに最適化した行動をとればみんなから「すごい」と称賛されるメリットがある。

2018-01-06 13:27:29
shinshinohara @ShinShinohara

スーザン・ストレンジという経済学者は「国家の退場」という本で、権力には二つの形態があるとしている。ひとつは関係性権力。ボスが恐怖で子分を支配する形。恐怖を利用して命令するわけだが、子分に自発性を求めていないため、多人数になると直接支配できない。このため比較的小規模に終わる。

2018-01-06 13:31:39
shinshinohara @ShinShinohara

これに対し構造的権力は、ルールを定めるだけ。「真面目に働けば豊かに穏やかに暮らせますよ。ルールに違反したら牢屋行きですよ。どうするかはあなた次第」と、「構造」を用意するだけ。命令することもない。しかし命令もしないのに、みんな自発的に「構造」にあわせた行動をとるようになる。

2018-01-06 13:34:09
shinshinohara @ShinShinohara

水分子の群集も「構造」に最適化しようとする。水を叩いたり殴ったりしても、どれだけ厳しく命令しても水は丸くなったり四角くなったりしない。もし丸や四角の形になってほしいなら、その形の容器を用意すればよい。すると水分子の群集は自ら器の構造に合わせて形を変える。命じる必要はない。

2018-01-06 17:55:38
shinshinohara @ShinShinohara

人間も、微生物も、水分子も、「群集」は、どうすればメリットがありどうすればデメリットが生ずるのかが明確な「構造」が用意されるとその形に最適化しようとする。「構造」さえ明確であれば、群集に命じる必要もない。恐怖で支配する必要もない。勝手にそのように動くのだ。

2018-01-06 17:57:57
shinshinohara @ShinShinohara

選択陰圧と構造的選択圧は、群集をコントロールする技術として考えることができる。しかし新しい現象ではない。ただ、「技術」として意識化してこなかったから、偶然「現象」として成立するだけだったのだろう。意識化すればマスター可能な「技術」に変えられるように思う。

2018-01-06 18:22:43
shinshinohara @ShinShinohara

群集を制御する方法が成り立つには、ひとつ前提条件がある。「動機」があること。微生物は「エサがほしい」だし、水分子は「低きに流れたい」だし、人間は「生きたい、楽しみたい」という動機をもつ。だから群集として、「陰圧」に向かったり「構造」に適応しようとしたりして、群集は自発的に動く。

2018-01-06 21:50:30
shinshinohara @ShinShinohara

もし内側に「動機」がなければ群集は制御できなくなる。水が氷となると、「低きに流れる」という「動機」が失われ、穴から飛び出ようとも、器の形に変化しようとも、容易にしなくなる。エサを欲しがらない微生物、生きること、楽しむことを願わなくなった人間も同じ。

2018-01-06 21:53:20
shinshinohara @ShinShinohara

だから、群集だけを見ていてはいけない。「木を見ず森を見よ」という言葉があるが、「木を見よ、森を見よ」でなければならない。微生物なら生き生きとエサをたらふく欲しがるように、人間なら生きることを謳歌し、心から楽しめるようにしなければ、群集は群集として動こうとしない。

2018-01-06 21:56:12
shinshinohara @ShinShinohara

私は微生物学の研究者でありながら、上司本を書くという畑違いなことをしたが、拙著を書くことができたのは「人が生き生きと働くことを楽しむ」のがいかに大事かということを、微生物から教えてもらったから。人間を学べば微生物が分かり、微生物を学べば人間がわかる。 amazon.co.jp/%E8%87%AA%E5%8…

2018-01-06 21:59:45