日本のフェミニストの歴史修正主義:スカートめくりがハレンチ学園の影響はデマ

もともと最初はマリリンモンローの1955年の7年目の浮気(The Seven Year Itch)のDelicious Breezeと言われるシーン で、これがモチーフで作られたのが1969年のCM スカートめくりが流行った...というのも実は流行っていないが、もともとは小川ローザが原因。 なので少年ジャンプのハレンチ学園の影響というのはデタラメなクレームだったのである。 ところが日本のフェミはこれをいまだに本気にしており、小川ローザやマリリンモンローを忘却しでたらめなことを言ってメディアや大学にふんぞり返っているのである。まさにハレンチな連中と言えるだろう。 続きを読む
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🌍 Takashi kei' Uchioki©︎🌍 @PASONEKO

@lp_announce @pppopx 読者層は中高生、小学生にはお下がりで発売から数日遅れてジャンプが回ってきたりサンデーだったり、たまに少年キング…みたいな。

2018-01-07 22:54:05
pppopx @pppopx

@PASONEKO @lp_announce そもそも永井豪が「スカートめくり」の発信源(元祖とは言わぬ)で糾弾されたんかっつーと。

2018-01-07 22:55:35
🌍 Takashi kei' Uchioki©︎🌍 @PASONEKO

@pppopx @lp_announce オーモーレツ→スカート捲り発生→ハレンチ学園のネタに→ブームさらに膨張→突然終息 みたいな時系列かなあ。 どなたか書いてたけど、マリリンモンローがスカート捲れてるのにニコニコという動画は当時の小学生にも浸透してましたし、ハレンチ学園がどうこうという話になるのが理解不能です。

2018-01-07 22:59:01
pppopx @pppopx

@PASONEKO @lp_announce 実は昔聴いて回ったことがあるんでしが少なくともその範囲で リアルタイム(と思われる)層で「スカートめくった」人がいなかったんですよ実は

2018-01-07 22:59:53
🌍 Takashi kei' Uchioki©︎🌍 @PASONEKO

@pppopx @lp_announce 知ってる範囲は… 徳島市立沖洲小学校各学年3クラス×40名ほど男女ほぼ同数 だけなんですが、5年生6年生に流行、流行に乗ったのは男子生徒のせいぜい1/5~1/4(クラスで4-5人) それも対象は普段一緒に遊んでる女の子たち。 流行ったのは1~2週。 女の子たちが見せパンを履くようになって一気に終息。

2018-01-07 23:10:06
pppopx @pppopx

@PASONEKO @lp_announce そもそも当時をして『スカートめくり』は普通に「やっちゃいかんこと」であったという認識がなんでみんなねえんかなと

2018-01-07 23:18:34
有村悠@9/22砲雷撃戦52・ぬ13/14 @lp_announce

@pppopx @PASONEKO 子供の下着に関する認識の問題かなあ。『パンツが見える。:羞恥心の現代史』という本で触れられていた気がする

2018-01-07 23:21:45
🌍 Takashi kei' Uchioki©︎🌍 @PASONEKO

@pppopx @lp_announce さらにその布の下には…ということまで想像もしていなかったなあ。

2018-01-07 23:36:29
pppopx @pppopx

@lp_announce @PASONEKO 同書?は恥ずかしながら未読なんですが それにしてもたとえ小学生ですら「見ていい」という風習があったかというとそれは でなゃ手塚御大『ウランちゃん』のあのオチ描かねえだろという

2018-01-07 23:38:36
🌍 Takashi kei' Uchioki©︎🌍 @PASONEKO

@lp_announce 自分がそうなんだけど蒐集癖持ちも不寛容というか非寛容ですよ。 拘る部分が微細なのでその部分さえ受容できればあばたもえくぼで愛でる対象にしちゃうわけですが。

2018-01-08 05:05:18
山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン @otakulawyer

多様性、多様な選択肢を確保するために、表現等について禁止事項とタブーを増やし続ける社会を憲法は想定していない。表現の自由等の精神的な自由権については原則自由に任せて、具体的な人(特定少数人)の権利を侵害する場合のみ、最小限の規制をするにとどめるのが日本国憲法の想定する秩序です。

2018-01-08 00:02:24
鳥山仁 @toriyamazine

「スカートめくり」を描いたマンガがヒットして、それを子供が模倣したら、処罰対象を子供やその親権者じゃ無くて、描いた漫画家にしようとする発想自体が狂っているんだが、例の人は全く疑っていないらしくて苦笑いしか出ない。しかも賛同者がいる。

2018-01-08 15:53:51
鳥山仁 @toriyamazine

表現規制をしたがる、あるいはそれを容認している連中には、法益という概念が無いのがよく解る。日本は法治国家なんだぜ。漫画に登場する架空の人物が、殺されようがスカートを捲られようが、個人的法益を侵害されたことにはならない。その表現が不快なら、それは倫理の問題だよ。法律とは関係が無い。

2018-01-08 16:00:11

我が青春の週刊少年ジャンプ(12)創刊当時は10万5000部だった
(中略)
 1968年、ジャンプ創刊の年に集英社に入社し、創刊直後から同誌に関わった編集者・角南攻はこう振り返る。
「当時は、ちょうど月刊少年誌が終わっていく時代でね。『鉄腕アトム』や『鉄人28号』を生んだ雑誌『少年』が休刊。『赤胴鈴之助』や『黄金バット』の『少年画報』も斜陽に入っていた。一方で、59年に創刊された『少年サンデー』や『少年マガジン』という週刊誌が勢いづいていた。そんな頃に『少年ジャンプ』は月2回刊として創刊するんだけど、もう他社に売れっ子が囲い込まれちゃっててね。石ノ森(章太郎)さんとか当時の大家にも原稿をお願いに行ったんだけど、創刊のご祝儀的に3回くらいなら描けるけど、連載は無理だと断られてね。既存の大作家に相手にしてもらえなかったから、新人ばっかりでやることになったんだよ」
 創刊当時の部数は10万5000部。今でこそ漫画の最大手である集英社だが、当時はまだまだ規模が小さかった。競合誌のプレッシャーに加え、予算も潤沢ではなかった。新人起用は、そんな悪条件の中で出発したジャンプの苦肉の策だったのだ。
(後略)
我が青春の週刊少年ジャンプ(13)「ハレンチ学園」作品の中でのスカートめくりは1回だけ
 ジャンプの新人重視路線は、創刊からわずか数カ月で花開くことになる。68年の暮れに始まった本宮ひろ志の「男一匹ガキ大将」と、永井豪の学園ギャグ「ハレンチ学園」がいきなり大ヒットを記録したのだ。
「男一匹ガキ大将」は、男気あふれる主人公・戸川万吉が全国の番長たちとケンカを繰り広げる番長漫画、「ハレンチ学園」は、スカートめくりなどの描写で旋風を巻き起こした学園ギャグで、ともに今や日本を代表する漫画家の出世作だ。
 しかし、実はこの2作品が世に出たきっかけは偶然だった。当時「父の魂」という人気作を描いていた貝塚ひろしが、連載の最中で逃亡。その穴埋めとして連載スタートしたのが「男一匹ガキ大将」と「ハレンチ学園」だったのだ。結果的に、ジャンプは人気作の突然の終了という大ピンチを乗り切るだけでなく、部数を伸ばす原動力を手に入れたと言っていいだろう。
(略)
  豪ちゃんは真逆。小さい頃から学級委員をやるようなタイプで、一橋大学を目指していたような優等生だった。だけど、高校時代に大きな病気をして、『死ぬかもしれない』ってなった時に『もう好きな漫画をやろう』って思ったらしくてね。それで漫画家になった。そういうタイプだから、当然、自分自身はスカートめくりとかしたことはないわけ。むしろ自分ができなかったことを漫画にするタイプだった」
 そうして生まれた「ハレンチ学園」は、子供たちの支持と同時に、過激なギャグやエッチな描写で、PTAなどの猛反発を受けることになる。
「今では当たり前だけど、ギャグ漫画だと登場人物の首が飛んだりするじゃない? でも、そういうのを描こうとしたら編集長が『少年誌として絶対ダメだ!』って言うんだよ。それで、『それならもう性的な表現でもやるか』って思ってね、それでスカートめくりとか描かせたんだ。
 今でも『ハレンチ学園』のスカートめくりってよく話題に出されるから、何度もやったと思われてるんだけど、作品の中でスカートめくりやったのって実は1回だけしかないんだよ」(角南)

〇戦前からスカートめくりの前身であるおしりまくりが存在していることが外村繁の「澪標」よりわかる。また紅葉明かりでも取り上げているとのこと

カスガ @kasuga391

@lkj777 青空文庫には入ってませんが、「紅葉明り」にもお尻まくりについての記述はありますので、ご参考までに。

2018-01-10 11:48:50

澪標
外村繁
http://www.aozora.gr.jp/cards/001499/files/51277_51584.html
(中略)
 私はまた私の家の古臭い家風に反感を抱き初める。そうしてその厳格な遵奉者である母と、よく言い争うようになった。
 六年生になった。担任の先生は堀先生である。私は最上級生になり、緊張感を新しくした。
(中略)
六年生になると、かなり忙しい。私は学校の運動場のコートでテニスをする。選手にも推され、対校試合にも出場する。堀先生は授業に熱心であるから、うっかり復習を怠るわけにはいかない。中学校の入学試験の準備もしなければならない。
「お尻まくりやはった」
 誰かが大きな声で言う。二三の生徒がそれに和する。するとこの馬鹿げた遊びが始ったことになる。そうして全校の生徒は否応なしに参加したことに、まるで習慣法のようになっている。その代り、よほどの無法者でない限り、不意打ちは行わないことに、これまた同様決まっている。しかし私は袴を穿いているので、自然に参加しないことになっている。
 こんな馬鹿げた遊びが始っても、何分小学生のことであるから、さして重苦しい変化は生じない。むしろ屋内運動場にはどこかおどけた、はしゃいだ空気さえ漂っている。
 下級の女生徒の中には、着物の裾を股の間から持ち上げて、走り廻っているものもいる。上級の女生徒達も今までの遊戯を中止したりはしない。しかし周囲に注意は怠らない。また、お手玉をつきながら、壁を背にする位置に後退するものもいる。
 男の生徒達もせっかちに追い廻したりはしない。そ知らぬ顔をして、女生徒達の隙を窺っているのである。つまり男生徒達と女生徒達の間には微妙な心理作戦が行われている。そうしてそのいずれもが複数であるところに、複雑な興味が生じる。
「馬鹿げた遊び」と言った。が、小学校も上級になると、女生徒達ははっきり羞恥の色を示すようになり、私の心の中にもそれを反映するものが生じた。最早、私には「馬鹿げた遊び」などと言える資格はない。私は何知らぬ顔をして、一人雑誌を開いているが、私の目は誰よりも強い興味を持って、この「馬鹿げた遊び」に参加していた、と言えなくもない。
「今日こっさり、お淑をやったろまいかい」
「うん、やったろ」
 清九郎と与吉との話声が、私の耳に入る。一瞬、私はぎくりとなる。しかし私は二人の話に驚いたのではない。奇怪なことに、私も窃かにそれを期待していたのではないか、と気づいたからである。
 上級の女生徒達は数人ずつ集ってそれぞれの遊びを続けている。が、勿論、少しの油断もない。最近、背丈も更に伸び、娘らしい恰幅も増した淑子の存在は、既に先刻から私の視線の中に入っている。淑子はお手玉をついている。六つ玉くらいであろう。かなりの数のお手玉を無心に操っている。しかしそんな淑子の姿はいかにも隙だらけのようで、ひどく危い。
 清九郎と与吉とがゴム毬を投げ合っている。与吉がその毬をそらし、それを追っかけて行く。すると淑子はお手玉をつきながら、ゆっくり足を廻して向きを変え、与吉に後を見せない。
 一見、淑子はむしろ男生徒をいざない戯れているかに見える。しかし敏感な淑子は容易に乗ずる隙を与えないのであろう。私は今までに淑子がこの難にあったことを知らない。
 山羊の一群を率いているような、年を経た山羊は、むしろ自ら進んで、その姿を猟師の視野の中におくという。或は淑子も自ら進んで、男生徒達の視線を引きつけておくことによって、逆に相手の行動を窺い、自分の注意力を常に緊張の状態におくのかも知れない。
 淑子がお手玉を落したようである。代ってまき子がつき始める。突然、反対側の女生徒達の間に動揺が起り、専大郎がその間から抜け出して来る。五年生の菊枝である。菊枝は着物を押えたまま、床板の上に坐っている。
 相変らず、生徒達は右に左に駆け廻っている。その間を縫って、またゴム毬がまき子の後方へ転って行く。今度は清九郎が追っかけて行く。
「清やん、ここや」
 与吉は両手を挙げ、毬が投げ返されるのを待っている恰好である。淑子がまき子に注意を与えている。まき子が急いで向きを変えようとしている。その時、寅吉が便所の出入口から顔を出した、と思った次ぎの一瞬、淑子の裾が開き、二本の脚が見えた。が、淑子は素早く裾を押え、激しく体を捻って、背後の手を振り切ったらしい。淑子は両手で顔を覆い、片隅に身を寄せる。寅吉と清九郎は、大物を射止めた猟師のように、小躍りして帰って来る。私は急いで雑誌の上に目を返す。
 私は淑子の悔しさがよく判る。身に染みて判る。私が一人の女生徒にこんな強い気持を抱いたのは初めての経験である。楽書のせいかも知れないが、自分のことのように恥しい。しかし一体、恥しいとはどういうことだろう。どう考えてみても、判らない。しかしとにかく、女でなくとも、あのようなことをされれば、恥しいに相違ない。理由はない。
 それにも関らず、何故、私は先刻あのような恥ずべきことを期待したのか。しかもあの一瞬の、淑子の羞恥の姿は、私に淑子の丸いお尻を幻覚させるに十分であった。つまり私の恥ずべき期待は満されたわけである。しかしこれを逆に言えば、もしも淑子が羞恥の表情を示さないとすれば、女生徒の臀部などに興味があろうはずがない。するとまた、羞恥とは何だろう、ということになる。
(後略)

みんな見ていた、「ハレンチ学園」!PTAは猛烈批判<TV東京最高視聴率
「スカートめくり」流行の一因となり、当時のPTAから猛烈に批判された「ハレンチ学園」。しかしテレビドラマハレンチ学園は、テレビ東京歴代の最高視聴率でもあった。
PTAから批判されても、みんな見ていた、「ハレンチ学園」
『ハレンチ学園』(ハレンチがくえん)は、1968年11号(S43)から1972年41号まで『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて連載された.。(後略)

性・差別・民俗 - Google ブック検索結果
https://books.google.co.jp/books?id=vcU_DwAAQBAJ
赤松啓介 - 2017 - ‎Social Science
次第に知識が具体化してくるということだ。私の頃には、尻めくりはやったと女児の尻を後からめくりあげるのが流行する。これは単独の場合もあるが、悪童どもが組んで一人がお尻をまくり上げると、前に廻った者が御開帳をのぞきこむ。着物と腰巻きを重ねてまくり上げると、ほとんど露出になった。女の子でも元気のよいのは、見たいのなら、サア見せたろと全開帳にして拝ませてくれたが、そうなるとかえって逃げることになる。雨の日に女の子ばかりで遊んでいる家へ行き、尻めくりはやったとめくりあげたら、三人におさえこ

http://www.zenshihoren.or.jp/member/seigen/pdf/0608/13.pdf
【第九回】「お尻の用心」
江戸の子どもたち 古沢保
江戸時代の中頃、「鬼の留守に洗濯」という遊びがあった。男女の子どもたちがいりまじって手で着物の洗濯をする仕草をしながらする鬼遊びである。
 みんなで「鬼の留守に洗濯しよ」と口をそろえてはやす。
鬼になった者が「そんなら糊を売ろう」という。ほかの者が「それじゃ、おくれ」と、自分の着物の裾を持って鬼の前に差し出して受けとる仕草をすると、鬼が手で裾を払おうとする負けた者が今度は鬼になる。払い落とされると負けである。
 今日、電気洗濯機の時代だから子どもたちは両手で着物を持ってもみ洗う仕草はしない。糊や洗剤を買うのに着物の裾を差し出すということもしない。もはやこの遊びは、今に通じなくなったのだろう。
「鬼の留守に洗濯」に似た遊びで、「お尻の用心」という面白い遊があった。『近世風俗志』に、次のように記されている。

衆童、各互いに衣服の背裾をまくり揚げんとす。各々まくられじと、裾の背を股より前にかかげ、帯の前に挟み、他の油断を伺いまくらんとするの戯れあり。

京坂にて言う詞、「きょう二十五日、尻まくり御法度」
江戸にては、「きょうは二十八日、お尻の用心、御用心」

 子どもたちは、各自の着物の後ろの裾を前からつまんでへそのあたりの前帯に留めておく。「お尻の用心、御用心」とはやしながら、あたりを歩きまわる。そのうちに、お互いに他の子が油断したすきにその裾を手で打ち払い、後ろから着物の裾をまくりあげて、お尻をあらわにさせる遊びである。
はやし言葉は「きょうは二十八日、お尻の用心、御用心」とか、「お尻の用心、御用心、きょうは二十八日、あしたはお亀の団子の日」などといった。尻まくりの取り締まりデーや解禁デーがあったりしたわけでもあるまいが、意味はよくわからない。
 この遊びは男女がいりまじってやった。男の子の着物にも裾があったから、男の子も女の子も区別なく裾をまくられてお尻を出した。いたずらっぽい遊びであるが、大勢の子どもたちがキャーキャーと声を発しながら遊んだのだろう。
 昭和四十三、四年頃だったようであるが、小学生くらいの子どもたちのあいだて「スカートめくり」が流行はやった。男の子が女の子のすきを見てスカートをめくる。
 「お尻の用心、御用心」とはいわなかったが、女の子は「エッチー!」といって逃げまわった。
◆主な参考資料
喜多村信節(筠庭)「嬉遊笑覧」文政 13(830)年自序、
日本随筆大成別巻喜田川守貞「近世風俗志(守貞謾稿)」嘉永6 (1853)成立、岩波文庫
菊池責一郎「絵本江戸風俗往来」明治38年(1805)年成立)東洋文庫
酒井欣「日本遊戯史」昭和 8 (1833)年、建設社
小高吉三那「日本の遊戯」昭和 18 (1843)年、羽日書店
サントリー美術館編.「子どもの領分」(展覧会図録)平成 9 (1887)年
くもん子ども研究所編 「浮世絵の子どもたち」(展覧会図録)平成12 (2000)年
くもん子ども研究所編 「浮世絵にみる江戸の子どもたち」平成12 (2000)年、小学館
イラスト・市川興一
13 保育通信■ No.615 2006.8.1.