官僚的思考が上の世代になるほど強くなっている。ただ残念なことに若い世代では首尾一貫して粘り強く何度何度もアホみたいに同じことを繰り返していう人があんまりいない。官僚的思考を打破するには、粘り強さが必要だと思う。
2011-04-03 09:25:22しつこく主張するために必要なのは、そういう気質なのかな?個人的には、「主張してみる→受け入れられない→諦める→でもやっぱり状況に不満→もう少し粘り強く主張してみる→受け入れられない→諦める→でもやっぱり不満→さらに粘り強く…」ってサイクルを繰り返す必要がある気がする。
2011-04-03 09:30:00昔は「空気を読んで」、早々に撤退してしまったけどね。今なら刺し違える覚悟でいきますよ。…まぁ明らかに不利益を被りそうになったら撤退するかもしれんけどw
2011-04-03 09:33:03同意。受け入れられることを期待しないことも大切ですね。RT @jotun82 「主張してみる→受け入れられない→諦める→でもやっぱり状況に不満→もう少し粘り強く主張してみる→受け入れられない→諦める→でもやっぱり不満→さらに粘り強く…」ってサイクルを繰り返す必要がある気がする。
2011-04-03 09:31:55.@yutakioka ですね。あと、「諦めたらやはり状況は悪いまま」という経験を繰り返すことで、しつこさが生まれてくるのではないかとw
2011-04-03 09:34:54恋愛にも凄くよく当てはまりますねw。非モテといわれる方々は、実際はモテないんじゃなくて、チャレンジの絶対数が少ないだけだったりしますよね~。RT @jotun82 ですね。あと、「諦めたらやはり状況は悪いまま」という経験を繰り返すことで、しつこさが生まれてくるのではないかとw
2011-04-03 09:37:06@jotun82 逆に私は粘り強さには自信があるのですが、いつも引き際がわからず そのまま自滅してしまいます。現実が見えてないだけではなくて、多分 自分のしたい方向しか認めたくない幼さなのでしょう。
2011-04-03 18:37:51@o_o_0_0 そこら辺の見極めは難しいですよね。私もそうですが、慣れるためには場数をこなすしかないのかな、などと思っています。粘るにしろ、引くべき所で引くにしろ。
2011-04-03 18:49:16@jotun82 ただ最近わかったのは、「力及ばずダメだった」ことよりも「言えなかった、挑戦しなかったダメさ」に憤りを感じるので もはや当たって砕け続ける精神です!
2011-04-03 18:54:30その見極めが難しいですけどね。ネット上だと、どちらかが党派的主張に陥ってる場合、それ以上続けても有害無益な場合が多いですね。RT @jotun82: 昔は「空気を読んで」、早々に撤退してしまったけどね。今なら刺し違える覚悟でいきますよ。…まぁ明らかに不利益を被りそうになったら撤退
2011-04-03 18:40:40@fun9tion ネット上の議論の場合、意見交換としての価値はありますが、(議論を進展させる価値はあっても)白黒つけることはそこまで重要でないと思うので、あまり突っ張ることもないかなとは思うんですが。現実では「党派的」な連中相手に押し問答することも場合によっては必要かなと。
2011-04-03 18:47:43現実場面では結局、政治が不可欠なわけですね。ただ政治的目的の達成には、「粘ってひたすら押し通す」ことが有効とは限らないですよね。コア以外の部分で妥協する、といった柔軟性も重要。RT @jotun82:現実では「党派的」な連中相手に押し問答することも場合によっては必要かなと。
2011-04-03 18:57:54@fun9tion その通りだと思います。ただ自分も含め(?)、「やたらと物分かりのいい若手」を見ていると、単純に粘ることも重要なのかなと思ったりします。今日の朝の田中秀臣さんのツイートがきっかけでそんなことを考えましたw
2011-04-03 19:01:57なるほど。正直今まで田中氏のやり方はどこか滑稽で真似したくないと思ってました(笑)。しかし、他人からみたら滑稽なほど粘れるかは何か成し遂げるには必要なんでしょうね。RT @jotun82: 「やたらと物分かりのいい若手」を見ていると、単純に粘ることも重要なのかなと思ったりします。
2011-04-03 19:15:43@fun9tion いやまぁなんというか、バランスが重要なのだと思いますけどもw たいていどちらかに偏ってしまいがちですよね。状況に応じて両方使い分けられる人が一番強そうです。
2011-04-03 19:19:02う~ん、やっぱりなんか変ですよ。目的への粘着と手法への粘着の二面がごっちゃになってる気が。「早い見切りなどせず何が何でも達成」という目的への粘着と「同じことをいい続ける」手法への粘着は話が別でしょう。後者は前者の粘着を困難にします。RT @jotun82
2011-04-03 19:51:58@fun9tion あー、なるほど。言われてみると、その2つの要素がごっちゃ混ぜになっているかも。私が主張したいのはどちらになるのかな?ちょっと考えてみますね。
2011-04-03 19:56:01うーむ、「手法」と「目的」か…目指すべき状態があって、その主張を諦める、という場合、どちらを諦めたことになるんだろう?「主張は諦めたけど目的は変わってない」という意味では「手法」の放棄だけど、対外的な主張を諦めた状態で「目的は持続している」と言えるのかどうか?
2011-04-03 19:59:38「主張してみたけど聞き入れてもらえないのでやめた」場合、他に戦略が思いつくなら「手法の諦め」だが、実際は「他に方法があるのかよく分からんけど、とりあえずこの方法は諦める」という場合が多くて、この場合、諦めたのが「目的」なのか「手法」なのか難しいところ。
2011-04-03 20:05:17子供じみた考えかもしれないが、「明確な戦略はないけど、目的への希望は捨てない(私の知らない解決策が見つかるかもしれない)」とか考えることがあるのよね。まぁ甘いんだろうけども。
2011-04-03 20:08:15圧倒的な権威者に対して何か主張して、それが通らなかった場合、「手法の困難」を感じると同時に希望(目的)自体が挫かれてしまう場合もあるので、どう表現したらいいか難しいものがあるな…
2011-04-03 20:12:34.@fun9tion さんが指摘されたように、その両者を混同して話をしていた感じですね。私はたぶん両方とも(目的への執着と手法への執着)言いたかったのだと思いますが、より主張したいのは「手法への執着」の方かと。コメント下さった他の方はむしろ「目的への執着」を述べたかったのかも。
2011-04-03 20:20:15