高橋健太郎さん:ジョー・ザガリノはどこへ行った?不世出の天才的レコーディング・エンジニア

「どう考えても、トム・ダウドより、グリン・ジョンズより、ジョー・ザガリノだ」 「音楽史は成功者のストーリーだけで作られてきたんじゃない」
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kentarotakahashi @kentarotakahash

何度か原稿にも書いたことがあるが、僕がレコーディング・エンジニアというものに興味を持ったきっかけは、ジョー・ザガリノというエンジニア・クレジットによってだった。。ザ・バンドのセカンド、ジェシー・デイヴィスの『ウルル』、ジーン・クラークの『ホワイト・ライト』。

2018-01-23 08:19:24
kentarotakahashi @kentarotakahash

大学時代の半ば、このアルバムは音が良いと思うと、彼のクレジットがあるのに気がついた。有名なトム・ダウドやグリン・ジョンズよりも、最高なのはジョー・ザガリノだ。40年以上ずっと、そう思い続けてきた。だが、ジョー・ザガリノは70年代半ばには消えてしまって、伝説にもなっていない。

2018-01-23 08:21:54
kentarotakahashi @kentarotakahash

写真は一枚だけ、ネットで検索したら出てきた。キース・リチャーズと一緒だ。ジョー・ザガリノは『メインストリートのならず者』でも仕事している。 pic.twitter.com/yFjc1y6u0h

2018-01-23 08:24:23
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kentarotakahashi @kentarotakahash

去年、出たロビー・ロバートソンの手記『Testimony』に少しだけ、ジョー・ザガリノについて書いてある。ザ・バンドのセカンドのエンジニア・クレジットはジョー・ザガリノとトニー・メイ。僕はずっとLAセッションがザガリノ、NYセッションがメイだと思っていた。 amzn.to/2DCqSlm

2018-01-23 08:28:30
kentarotakahashi @kentarotakahash

ところが違った。LAセッションはプロのエンジニアはおらず、ロビーとジョン・サイモンが録ったのだ。全曲を録った後、ロビーとサイモンはヒット・ファクトリーでトニー・メイと2曲をミックスした。素人が録った音にメイはあれこれ文句を付けながら、ミックスした。

2018-01-23 08:31:57
kentarotakahashi @kentarotakahash

メイのミックスで粗いところは奇麗になったが、ロビーはまったく気に入らず、ボツにした。そして。ヒット・ファクトリーに別のエンジニアを探し、ジョー・ザガリノなら、自分達の音楽を理解しそうだと思った。ザガリノのミックスはまさしくロビーの望むサウンドだった。

2018-01-23 08:34:57
kentarotakahashi @kentarotakahash

ロビーはマスターをA&Rスタジオのマスタリング・ルームに持ち込んだ。マスタリング・エンジニアはボブ・ラディック。ラディックはこのサウンドはヘヴィー過ぎて、マスタリングは難しいかもしれない、と言った。

2018-01-23 08:36:17
kentarotakahashi @kentarotakahash

だが、マスタリングを終えると、ボブ・ラディックは前言を訂正した。最高のサウンドだったと。ボブ・ラディックは近年のインタヴューで、自分でキャリアで最も誇りに思う仕事に二番目に、ザ・バンドのセカンドを挙げている。音が良い訳だよ、僕が大学時代に聴いたRLカッティングのUSオリジナル盤は。

2018-01-23 08:38:56
kentarotakahashi @kentarotakahash

ボブ・ラディックが絶賛するミックスを作ったジョー・ザガリノ。だが、彼はどこに言ってしまったのだろう? 長年の疑問が、この本を読んで初めて分かった。 amazon.com/Walk-Dont-Run-…

2018-01-23 08:41:54
kentarotakahashi @kentarotakahash

スティーヴ・ジャエ・ジョンソンの『Walk, Don't Run: A Rockin' and Rollin' Memoir』は60年代のロスアンジェルスで育った三人組のストーリーだ。スティーヴ、エディ・オルモス、ジョーイ・ザガリーノ。ハイスクールでバンドを組んだ三人は、レコード契約をめざす。

2018-01-23 08:46:12
kentarotakahashi @kentarotakahash

だが、ジョーイの家族はニュージャージーに移ることになる。ジョーイは家出して、スティーヴ達と残ろうとするが、連れ戻される。実はその時、ジョーイ&アップセッツには、レコード会社からリリースの話が来ていた。

2018-01-23 09:00:30
kentarotakahashi @kentarotakahash

ジョーイの母親、ジェニーはそのレコード会社からの手紙をジョーイに隠していた。ジョーイがLAを離れようとしなくなるからだ。スティーヴ達は後から、それを知る。

2018-01-23 09:03:58
kentarotakahashi @kentarotakahash

スティーヴとエディはLAでバンドを続け、パシフィック・オーシャンというバンドで良い線まで行く。サイケの時代になると、サンフランシスコっぽいサウンドに転じたりしていく。パシフィック・オーシャンは一枚だけ、アルバムを録音している。

2018-01-23 09:16:52
kentarotakahashi @kentarotakahash

パシフィック・オーシャンの1968年盤。エディのヴォーカルがスティーヴン・スティルスっぽくて、バッファローとか意識してたんだろうなと思わす。 youtu.be/y0y1KwwEpJM

2018-01-23 09:22:04
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kentarotakahashi @kentarotakahash

ちなみに、エディ・ジェームズ・オロモスはその後、俳優として大成功する。彼はチカーノ(メキシコ系アメリカ人)で、チェロキー・インディアンの血も入っているという。 ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8…

2018-01-23 09:30:53
kentarotakahashi @kentarotakahash

ニュージャージーに移ったジョーイはチップス&カンパニーというバンドのギタリストになる。チップス&カンパニーも何枚かシングルを出している。冒頭のドラム、音良いけれど、ブレイクビーツに使われたことある? youtube.com/watch?v=Le8YHz…

2018-01-23 09:33:55
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kentarotakahashi @kentarotakahash

スティーヴ達はパシフィック・オーシャンのギタリストに不満で、ジョーイを呼び戻そうとするが、チップス&カンパニーで活動し、ニューヨークのヒット・ファクトリーでエンジニア修行も始めたジョーイは帰ってこなかった。ここでザ・バンドと繫がる! このジョーイがジョー・ザガリノだ。

2018-01-23 09:37:22
kentarotakahashi @kentarotakahash

ザ・バンドのセカンドがミックスされた1969年にはジョーイは21歳くらいだ。たぶん、ヒット・ファクトリーのアシスタントから始めて、ようやくミックスを任されたくらいの仕事だったんじゃないだろうか。だが、彼はエンジニアとしての才覚を持っていた。

2018-01-23 09:45:53
kentarotakahashi @kentarotakahash

ジミー・ミラーがジョーイを好んで使うようになり、ジョーイはロック界のスーパースター達と頻繁に接するようになる。ミック&キースやジミ・ヘンドリックス。ジョーイ自身もギタリストだったから、ダーティなサウンドを好むギタリストには信頼されたんだろう。

2018-01-23 09:50:00
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