多様な教育機会を考える会関連雑想1:教育と福祉
- ryojikaneko
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多様な教育機会を考える会という小さな会があって、そこで教育を福祉(well-being)から問い直すということをやっているんだけど、いまいち、私の方ではまだフィットしないんだな。
2018-01-23 15:24:59まず一つは「教育」そのものの内在的な可能性。一斉授業のような形ではなく、個別化のように、個々人に即した形で対応するという話。大雑把に言えば、これは「承認」と関わる話で、自由とか存在とか、そんなものと関わってくる。
2018-01-23 15:28:42で、この話は、実は1970年代の福祉、福祉サービス、なかんずく、ケア労働とかとはわりと相性がよい話で、そこは接合できるんだよね。これは不登校の「居場所」問題ともかかわってくる。
2018-01-23 15:30:06ところが、現状、教育と深く関わりある福祉というか、子どもの貧困なんだけど、これがなかなか問題を難しくしているともいえる。そこには今度、「福祉」内の複雑な問題がある。
2018-01-23 15:31:25そもそも、福祉研究では1970年代に分水嶺があって、貧困研究と福祉サービス研究は分離した。それ以前は貧困研究は福祉研究の中でも王道だったけれども、一気にマイナー分野に陥ってしまった。それに対しては籠山先生だけじゃなくて、貧困研究の人たちは批判的に見ていた。
2018-01-23 15:35:33ド直球の貧困研究の人たちから見ると、若者・子供だけに特定化された貧困対策は、トータルに貧困を考えていない、という批判対象にもなり得るんだろう。この点は岩田先生の『貧困の戦後史』の「おわりに」のラストで書かれている。
2018-01-23 15:39:07この問題系のズレはなかなか重要。岩田先生は「心の貧困」概念には警戒的で経済保証重視されているはず(本じゃなくて私の印象ね)。一方「心のケア」を重視する立場もまたある。この立場のズレは図式的に言うのもなんだけど、貧困・福祉サービスの関係とも対応しているように見える。
2018-01-23 15:43:39私自身は、心の方はあくまで従にした方がよいと考えている。それは、重視していないという意味ではなく、今の日本の現状では、対応を誤ると、ドツボにはまると思うからである。専門職が社会の中で確立されていないし。
2018-01-23 15:47:59社会の中で確立されていないというのは、微妙な言い方だけど、たとえばソーシャル・ワーカーという風に聞いたときに、どういうことをする人たちなのか、ということが必ずしも共有されていない、というくらいの意味。全部、一から説明しないといけない。
2018-01-23 15:49:57そして、なお悪いことにはあまり分かってもらえそうもない、というところ。ソフトウェア的なものは、ハードウェア的なものに比べて、たしかに分かりにくいところがあるが。
2018-01-23 15:52:26内務省が残っててもダメだったかもしれないけれど、つまり、厚生省が外に出たのでね、ただ本拠のようなものがあれば、何か違っていた気もするんだよな。いろんなものが繋がれていたようにも思う。ローカルではなく、ナショナルなレベルで。
2018-01-23 15:59:56あと、内務省がなくなったことの余波は教育で、解体以前に内務省を文部行政に関わらせないという占領軍の意向がある。内務省的な教育とはまさに労働、福祉的な何かであったんだよね、戦時中を除けば。
2018-01-23 16:21:46もちろん、戦前から文部省のなかには、通俗教育・公民教育・社会教育セクションはあるんだけど、そういうもののよき理解者が内務省であったというのも事実なんだよね。
2018-01-23 16:23:19社会教育の衰退は、進学率の上昇とそれによる学校化社会だから、まあ、たぶん、内務省があってもいかんともしがたかった。そこら辺をそもそもと考えると、どっちかというと、産業政策や国土計画、通産省や経済企画庁との兼ね合いの方が重要になってくると思う。
2018-01-23 16:25:53社会教育の研究者、というか、教育運動志向の研究者たちはこういうものと戦おうとしてきたわけだけど、本当のところ、内務省と通産・経企なら、内務省の方に近いはずなんだよね。地方教育計画とかそういうものも。
2018-01-23 16:27:43いやまあ、これはちょっと失われた内務省を美しく言い過ぎで、内務省関係者のなかにも保守的統制派と革新派がいたわけで、私がつぶやいてきたのは社会行政をリードしてきた革新派の系列だね。
2018-01-23 16:34:08そこも内務省内だけでは限界を感じていて、協調会を利用したり、内閣情報局を作ってみたり、そういう形で新しい何かを作ろうとして、しかし、戦争という要因もあって、潰えたんだよね。ここら辺はまだ十分、研究されているとはいいがたいな、私の感覚では。
2018-01-23 16:35:43財閥研究にも似たような問いがあるけど、占領改革がなければ、財閥や内務省は解体されなかったのかというのがあり、どちらも遅かれ早かれ、組織的には分かれていっただろうという見通しがある。内務省は副田義也先生がその立場だったような気がする(記憶があいまい)。
2018-01-23 16:38:36話題が何個か前に戻るけど、高度成長期における敗北は、企業社会が勝者とも言えるけど、その裏側は専業農家と兼業農家という選択肢で、みんな後者を選んだんだ。それはある意味で農村工業化が追いつかなかったとも言い得る。
2018-01-23 18:45:14この前、藤野の温泉で一緒になったおじいさんから昔の話を聞いたけど、高度成長期以前の世界は、車は夢、荷物は担いで、船を使って鉄道を乗り継いで、とまあ、そりゃ田中角栄は支持されると思ったわ。
2018-01-23 18:49:27ただ、1930年代の協調会の委員会でも鈴木文治が、農村の隅々まで道路整備をして、トラックで行けるようにしたい、と言ってたから、田中の独創というより、当時の、たぶん、その言葉が合うと思うけど、農民の庶民の感覚を代弁したんだと思う。政治家、大衆的リーダーには独創性よりもよほど重要な資質。
2018-01-23 18:52:50@mnaoto 承認って言い切る勇気はないです。それは重要ではあるけれども、あまり切れ味良く切らない方がいい、という側面もあるので。
2018-01-23 22:30:53