明治大正昭和の官報行旅死亡人からわかること

昔の人権感覚・生命観と、交通インフラや産業が近代化された時代のギャップ
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すんすけ @tyuusyo

つまり出稼ぎの線がどうも見えない。 そもそもこの方はなんで秋田から北海道の端の農村に来たのかが分からないのだ。 地下足袋を履いているのでなにか土木建設関係の人だと思うが、ここは寒村過ぎて土木建築の需要もあるかと不思議に思う

2018-02-12 18:28:07
すんすけ @tyuusyo

実は同じ北海道で同じような行旅死亡人公告がもう一つあるのだよな。 これは岩手県胆沢郡古城村(現・岩手県奥州市)出身の65歳の労働者の男性で出したのは北海道岩見沢町(現:岩見沢市)。10月24日発病、11月2日死亡、公告は11月30日。手際が良いのは大きな街だからか。

2018-02-12 18:36:31
すんすけ @tyuusyo

こうしてみるとこの頃東北から北海道開拓に出る人が相当いたのだなあ。 確か江戸時代の山形の農村の記録でも日雇いの人が相当いたので、そういう人口が北海道に流れたのかもしれない。

2018-02-12 18:37:42
すんすけ @tyuusyo

岩見沢の方はまだ炭鉱労働絡みだろうと思うが、訓子府の方は炭鉱でもなさそうだし、本当に謎である。道路工事?でも冬の2月である。雪が積もっていただろう。

2018-02-12 18:38:53
すんすけ @tyuusyo

割りと行旅死亡人ではあるケースですね。 多分不特定多数の人が集まる仕事で知り合って友だちになって同居していて、他の人に関係を聞かれると面倒なので「私は京子さんの娘なのよ」と言っていたが、実は京子さんが偽名だったというケースではないかなあ twitter.com/UMGgghggg/stat…

2018-02-12 18:42:56