- contractio
- 19393
- 5
- 19
- 16
@contractio @ponQ 構造やシステムが問題化されるのは、事象を動的というか、時間経過に沿って見る時だと思います。小さいスケールでは相互作用のプロセス、大きくは生成から消滅までの流れ、そういうものを見ようとするときに仮構が必要になるというか。
2011-04-03 02:24:04@contractio @ponQ 『臨床医学の誕生』から既にそうだと思います。顕著な形では『監獄の誕生』ですが、あれは応用問題ですから…。
2011-04-03 02:25:25む。装置って「dispositif」のことではないのですか? (そんな昔から出てきましたっけ???) RT @lematin: @ponQ 『臨床医学の誕生』から既にそうだと思います。顕著な形では『監獄の誕生』ですが、あれは応用問題ですから…。
2011-04-03 02:27:19いや、そこは論者ごとの語用の差異を考えないと。 RT @lematin: @ponQ 構造やシステムが問題化されるのは、事象を動的というか、時間経過に沿って見る時だと思います。*、そういうものを見ようとするときに仮構が必要になるというか。
2011-04-03 02:29:03@lematin 「社会的実践を要素とするようなシステム概念」は、社会的実践の可能性条件を考えるだけで手に入るので、「仮構」とか必要ないですし(「「一つの」社会的実践は、それ単独で生起することはない」ということだけが言えればいい。)。 @ponQ
2011-04-03 02:31:21@contractio @ponQ すみません、厳密な用語の問題を言ってしまうとあれなんですが、大雑把に「装置」とか「アレンジメント」とか呼ばれるようなものが意識されていたことは確かだと思います。まあ、単なる解釈の問題になるのですが。
2011-04-03 02:37:15@lematin 具体的な用語法の差異をさておくとするのであれば、lematinさんが いま想定されている何かが、「実践-と-システム(or 構造)」という論点にどう効いてくるのかを、もう少し具体的に解説していただければよろしいかと思います。 @ponQ
2011-04-03 02:40:27なる。ではこちらは「システム」が実践要素であるような「実践」概念を考えれば無問題、といーたい。個人的にはそういうシステム論好きだけど、まんまいくと人類学として面白くないかんね RT @contractio 「実践」がシステム要素であるような「システム」概念を考えれば無問題。
2011-04-03 02:50:24@contractio @ponQ ずれているようで同じことを言っている気がするんですが、一つに「経験レベルの記述に徹するのであれば、行為や物の連鎖をシステムとして把握すればよく、そこに構造と言う概念を持ち込む必要はない」ということ。
2011-04-03 02:52:25@contractio @ponQ もうひとつに「システムを、流動的に変化するものとして見る視点をもつとき、初めて構造を想定することが要請される」ということです(わざわざ別の命題にする必要はないかもしれませんが…)。
2011-04-03 02:55:08@ponq 「「構造」とか「システム」という言葉は、実践に関わらない仕方で規定せざるを得ないものではない」という点では見解の一致をみた、ということでよいですかね。/「「システム」が実践要素であるような「実践」概念」についての敷衍をお願いします。 @lematin
2011-04-03 03:05:04ルーマンの場合は「要素の接続可能性の制限」を構造と呼んでいるので、「連鎖をシステムとして把握する」際にも「構造」概念を必要としています。 RT @lematin: @ponQ *「*、行為や物の連鎖をシステムとして把握すればよく、そこに構造と言う概念を持ち込む必要はない」*
2011-04-03 03:07:45別言すると、「連鎖」概念が「構造」概念を必要とするのは、実践の可能性条件──実践の理解可能性──に照準する際であろうかと思います。 RT @lematin: @ponQ *「*そこに構造と言う概念を持ち込む必要はない」*
2011-04-03 03:27:23@lematin (この点は、ANTとの比較を考えるときには特に重要になりそうな予感がしています。現時点では なんも考えてませんが。) @ponQ
2011-04-03 03:27:47その点は異論ないす。ただこちらが想定してたのは、 @contractio @ponq 「「構造」とか「システム」という言葉は、実践に関わらない仕方で規定せざるを得ないものではない」という点では見解の一致をみた、ということでよいですかね。/
2011-04-03 03:29:13実践を規定する実践を超えた審級として「構造」や「システム」を理解したうえで、そんなものは学者の頭ん中だけにある図式だから認められないという人類学には多い経験主義的実践論者なんで。システム論が実践を無視してるとかじゃないす。 @contractio @lematin
2011-04-03 03:37:14あー、それはここ二年くらいでかたちにしてANT勢にぶつけようと思ってる話なんで頑張ってつくります!としかいえんです RT @contractio @ponq 「「システム」が実践要素であるような「実践」概念」についての敷衍をお願いします。 @lematin
2011-04-03 03:41:19そうっすね RT @lematin @contractio @ponQ ずれているようで同じことを言っている気がするんですが、一つに「経験レベルの記述に徹するのであれば、行為や物の連鎖をシステムとして把握すればよく、そこに構造と言う概念を持ち込む必要はない」ということ。
2011-04-03 03:49:25その言い方の「システム」をネットワークにかえればANT的かと。全体が画定できるという設定をあのひとらとらないので RT @lematin @contractio
2011-04-03 03:51:52そりゃどうもありがとうです。ごぶさたでしたw RT @contractio @ponq ごぶさたしておりましたw。 わたくしのほうは、その後もブログは拝見しておりましたよ。
2011-04-03 03:53:59いや、問題は、ANT のいう「ネットワーク」が「何の・どういう」繋がりなのか、です。 RT @ponq: その言い方の「システム」をネットワークにかえればANT的かと。* RT @lematin
2011-04-03 04:16:49@ponq (ルーマンの場合であれば、「システム要素」が「何の」に、「構造」は「どういう」に関わるわけですが。) @lematin
2011-04-03 04:17:29