キャス・サンスティーン『熟議が壊れるとき』感想

デマは真実より1.7倍もRTされる https://togetter.com/li/1206698
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安田鋲太郎 @visco110

キャス・サンスティーン『熟議が壊れるとき 民主政と憲法解釈の統治理論』 読みながら思ったことなど。 amzn.to/2Fkd4cS pic.twitter.com/akDSyfKres

2018-03-06 21:56:17
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安田鋲太郎 @visco110

p.11~ 孤立集団内の熟議(enclave deliberation)は、熱狂的ともいうべき極端主義の温床となってしまう。しかし多様な構成員からなる集団では無視されがちなマイノリティの意見を発展させ、人々の耳に届くようにするための基盤にもなりうる→

2018-03-06 22:01:52
安田鋲太郎 @visco110

この指摘は、反差別クラスタや社会的マイノリティクラスタが、しばしば度を越して先鋭化してしまう理由を考える有力なヒントとなりうる。社会的マイノリティが世に訴える力を持つためには集団化し、意見を鍛え上げる必要があるが、それは集団極化(group polarization)のリスクと表裏一体である、と。

2018-03-06 22:12:03
安田鋲太郎 @visco110

p.41 集団は外集団(outgroups)との比較によって自らを位置付ける。その違い(対立)が激しい時には集団極化が起こりやすい。この観点は、ヘイトスピーチという重要な事柄を説明するさいに役立つであろう、とのこと→

2018-03-07 23:37:54
安田鋲太郎 @visco110

つまりヘイトスピーチを行うのは、対立を抱えた、多くの場合は「孤立した」と言っていい集団であり、囲われざる大衆から起こることはきわめて少ないと見なしうるのではないかということが一つ。もう一つは、この観点から言えば、ヘイトスピーチ集団もまた広義のマイノリティ集団であるということだ。

2018-03-07 23:46:29
安田鋲太郎 @visco110

ところで、注も時々見ているけど、典拠として挙げられる論文がわりと心理学のものが多いんですよね。話もまるで動物集団の縄張り争いみたいな感じで。孤立したり対立するグループが現れると結束が強まるとか、よりリスキーな選択をする者が「勇敢」として称えられたりする、みたいな話はじつに動物的。

2018-03-08 00:21:20
安田鋲太郎 @visco110

第二章では、共和主義の観点から多文化主義的な政治観が批判される。それによれば、政治を諸々の利害・選考の取引所と見做す多文化主義は、人種差別や性差別を禁じる法律の根拠が得られない(そのためには差別を好む選考が間違っているという判断が必要なため)→

2018-03-09 15:01:12
安田鋲太郎 @visco110

共和主義的に云えば、そもそも法は熟議と理由によって形成されねばならず、私益であるところの利害の「取引」の産物であってはならない。この箇所は、多文化主義と人権との相克を彷彿とさせる。私見では、多文化主義は最低限の人権を確保したうえで認められるべきものである。政治も同様かも知れない。

2018-03-09 15:01:42
安田鋲太郎 @visco110

あ、上のツイートの「この箇所は~」以降の多文化主義は、どちらかというと残酷な儀礼や習慣があったりする民族や信仰の話で、政治の場に上がってこないものも含む「マルチカルチュラリズム」を想定した話でした。典型的には、女子割礼とかそういうやつね。

2018-03-09 15:11:46
安田鋲太郎 @visco110

ティムール・クランの「Ethnic Normsand their Transformation through Reputational Cascades」(1998)における主張がたいへん興味深い。それによると、トルコやユーゴスラヴィアで起きた民族紛争は、長年の恨みによって起きたもの「ではなく」、評判カスケードにあったという→

2018-03-08 16:32:04
安田鋲太郎 @visco110

彼によれば「民族性の色濃い活動にともなう恐怖や敵意は、そのもともとの原因から生じたのではなく、民族化から生じた可能性がある」のだという。民族化とはすなわち、運動過程に生じるエスカレーションのことである。これを読んで思い出したのは、カール・マンハイムの「再帰的伝統主義」概念だ→

2018-03-08 16:34:01
安田鋲太郎 @visco110

マンハイムによれば、もし真に伝統が生きているならば、その構成員が何をしようが必ず伝統が刻印されているはずである。したがって「〇〇人としての伝統に従え」とか「〇〇人ならこう考えるべき」というのは真の伝統ではない、再帰的な「伝統主義」にすぎない、という議論ですね。

2018-03-08 16:38:50