素逝。「季と俳句の関係は約束としてのつながりではない」「季題という語は不必要」「俳句は季から受ける感動(季感)を表現する」。翌昭和10年には「季は宿命」という内容の文章を発表する。無季を否定して「京大俳句」を去る素逝の俳論と作品を誰か追っかけて。
2011-04-06 01:31:54素逝は、中国の戦地で体験したことも有季定型で詠みましたよね。「凍土揺れ射ちし砲身あとへすざる」とか、季感はかなり変容したものになっていますけど。でも、戦地に行かなかった西東三鬼や三橋敏雄が、季語を簡単に捨てて無季の戦場句を詠んだことと比較すると、多くの特徴が見えてきますよね。
2011-04-06 20:29:20けっこうあります。ぱっと思い浮かぶのでは、夏でしょうか。たとえば… RT @Seki_Etsushi @k551_jupiter 素逝の戦場句で冬季以外というのは結構あるんでしょうか。
2011-04-06 21:15:44「もりもりと裸身砲弾をいだき運ぶ」「雨期泥濘砲車の車輪肩で繰る」(ともに長谷川素逝)、あたりは夏季の戦場句という感じです。昭和13、14年頃の作だったと思います。
2011-04-06 21:18:39戦場句そのものではないですが、素逝が兵隊として黄河近辺に赴いた際の写生句も、夏が多いかも。「雨季くらくひとつの土間に牛と住む」「頭剃りし裸の漢豚を剥ぐ」とか。春のものでいえば、病院の句で、「傷兵は日日春光に出て躍る」あたりかな。
2011-04-06 21:21:49@k551_jupiter なるほど。兵器や肉体の重量・力感を詠みたいときは夏季のが使える。厳しさ・酷さを出すときには冬季の季語が使いやすいだろうとはすぐ思いますが、春・秋はどういう使い道があるのか。
2011-04-06 21:21:59秋でいえば、「鉄かぶと月にひかると歩哨に言ふ」なんかがありますが、いわれてみると、冬と夏が多いかも。そうですね、季語の働きとしては、夏・冬がピシッとはまりやすいですよね。素逝の戦地体験がたまたま夏・冬なのか、ある程度入れ替えているかは、微妙かもしれません。
2011-04-06 21:27:37確かに。前線から離れた陸軍病院の作品なので、戦場句とは雰囲気が違いますよね。 RT @Seki_Etsushi @k551_jupiter 春の句「傷兵は日日春光に出て躍る」はやはりちょっと特殊な状況になりますね。
2011-04-06 21:29:43素逝の冬の戦場句でいえば、「雪の上にうつぶす敵屍銅貨散り」というのもありました。これなんか、三鬼的ですね。確か、句集『砲車』に入っていました。
2011-04-06 21:44:28今回、「震災俳句」というものがあるとして、一人の長谷川素逝が出現するかどうかで、評価は相当変わるでしょう。逆に、西東三鬼や三橋敏雄レベルの作品が現れるかどうかで、後世からの評価は変わるでしょう。今は時代が全く違うので、出現しない可能性が高いように感じますが。三鬼の方が難しいかも。
2011-04-06 21:54:47@k551_jupiter 「雪の上にうつぶす敵屍銅貨散り」。この銅貨散りはすごいですね。空想でこれ出たら天才(というか異常)。いや、何で夏・冬にこだわったかというと震災俳句見ていて、たまたま3月だったから機械的に春の季語が入って雰囲気が狂ってしまっているのが多い気がしたもので。
2011-04-06 21:56:33むしろ、鈴木六林男のラインが可能性が高いかも。戦争を忘却しえない過去として、つまり「現在」よりも強烈な現在性を抱いたまま現前する「あの頃」として、亡霊のように「現在」に寄り添う何かとして感じ続けた六林男的な想起の方で、今回は作品が生まれるように感じます。 それも、間接的に。
2011-04-06 22:04:38@k551_jupiter 今回のは放射能漏れが現在進行中(私にとっては始終風上になる隣の県で)、しかも事態が悪化の一途をたどっているように見えるもので、なかなか過去とか象徴とかいった固形物になってくれないのですよ。
2011-04-06 22:08:48いや楽しくないから。 RT @abarenbot @Seki_Etsushi ほう、そいつは楽しそうだ。 ◇ QT 上様、また余震にございます。
2011-04-06 22:10:23高浜虚子は素逝の戦場句を高く評価しましたが、虚子は「銅貨散り」のように「写生」の力量を評価した節があります。たぶん、素逝は実際に見たのではないか。彼はもともとが「馬酔木」的叙情の俳人ですし。ただ、「銅貨散り」の句が一度の、一瞬の体験から得た句材かどうかは留保した方がいいかも。
2011-04-06 22:10:27「過去」という表現は津波に関してでしたね。言葉足らずで、すいませんです。津波と原発の被災は、分けて考えないと難しいですよね。六林男を引き合いに出したのは、今回と異なり、「戦争」は明確な区切りがありましたが、六林男にとっては「戦争」がその後も「現在」として続いたように思うんですよ。
2011-04-06 22:17:16もちろん、津波の被災は今も続いていますし、現地の方々は大変な苦労をされていますすが、放射能漏れは見えないし、身体に直接的な影響が出にくい。出るのか出ないのか、何年経つかも分からない。で、六林男にとって「戦争」体験は、終わらない戦中体験の「現在」として身を縛っていたんじゃないか。
2011-04-06 22:22:30@k551_jupiter 津波ねえ…。知人の遠い親戚一家が気仙沼で被災していて、話をきくとあまりのことに他人が句にしてはならないのではないかいう気がする物事が多くて、当事者が句にして昇華できる日も果たしてくるのかと。
2011-04-06 22:24:10@k551_jupiter 六林男の場合、作家としての資質において戦争以上に合致するものにその後出会わなかったということもあるのかもしれませんが。宇多さんが前にそれに近いことを仰っていた気が。
2011-04-06 22:28:10六林男の句にもいろいろありますが、彼の戦争関連の句は象徴化しえていないもの、何でそんなものを詠むのか読者に分かりにくい句が、たくさんある。仰るように固形物になりえないもの、常にすでに現前している、し続けてしまっているものを、詠もうとしている気がします。肯定的に読めば、の話ですが。
2011-04-06 22:38:15