《東電原発事故に関する情報伝達をどのように間違ったのか》

自己ツイートをまとめました。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

避難所に入る時点での簡易スクリーニング検査で放射能汚染を計測する、というのは原発事故対応マニュアルには必ず記載されているのだが、中通りの自治体職員はそんなマニュアルを読んだことはない。ここで既に「避難者の多様化」が進んでいることを記憶しておいてほしい。

2018-03-10 10:37:07
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

もう1つ、民主党政権だからできた、東日本大震災対策を思い出してほしい。 自衛隊の約半数を、災害支援に振り向けた事だ。私も含めて、被災地の住民たちは自衛隊員の救助・救援・支援の姿を覚えている。あの決断は自民党政権にはできなかったのではないか。全国から消防や警察の応援も来てくれた。

2018-03-10 10:43:40
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

とにかく、2011年3月12日から15日にかけて、無秩序に浜通りからの避難者が中通りに押し寄せてきた。避難者たちは、よりよい環境と知人の消息を求めて複数の避難所を往来していた。それを規制し、制御しようとする力が働いたのは14日の県災害対策本部会議の後だった。

2018-03-10 10:52:50
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

福島県庁は、予定外に開設した避難所を、地元で災害が発生した時の為に設定していた避難所に集中させようとした。避難元によって避難所を分けようとした。予定された避難所の幾つかは、交通や購買の不便な場所が多く、移動を嫌がる避難者もいた。原発事故避難者の多くは、現金や預金通帳を持っていた。

2018-03-10 10:52:51
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

わかりやすい例を。私が働いていた学校は、校門から5分程度でコンビニがあった。その店は、「311後一度も休業しなかった事」が自慢で、おでんなどの暖かい食べ物もずっと供給し続けていた。私の職場の体育館への避難者は徒歩でコンビニにタバコやおでんを買いに行くことができた。

2018-03-10 11:03:16
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

他方、福島県が拠点となる避難所に決めたあづま総合運動公園の体育館は、運動公園の中にあって、コンビニに行くには徒歩だと15分程度必要だったのではないだろうか。福島県庁は、そのような不便でも、多くの人数を一度に収容できる施設に避難所を集約しようとした。

2018-03-10 11:03:17
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

ここからが今日のツイートの本題になる。 3月14日福島県災害対策本部会議後に記者会見した佐藤雄平知事は、「全力で福島県の復興に取り組む」という決意を表明した。地震や津波が起きて、今後これ以上の災害が起きない状況ならばわかるが、この決意表明は3号機爆発前なのだ。原発事故を無視した発言だ

2018-03-10 11:07:49
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

その為に、一部では有名な珍事が発生した。 3号機爆発の対応で手一杯の東京電力に対し、「福島県庁幹部」から「『3号機爆発による健康被害は有り得ない』と東京電力から発表してほしい」という要望があり、「そんなことできるわけがない」という当然のリアクションが出る様子が東電テレビ会議にある。

2018-03-10 11:10:36
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年3月14日昼前の時点で、福島県庁幹部と佐藤雄平県知事は、「原発事故による健康被害は出ないことにする」と決めていたのだ。「放射能による健康被害の心配をし始めると、復興の妨げになる」から無視を決めたのだと私は推測している。

2018-03-10 11:13:31
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3月15日以後、事故原発から放出された放射性プルームが、福島市や郡山市を含む人口密集地を通り過ぎる。が、福島県庁はそれらに対する対策の呼びかけも注意喚起も行わなかった。水道断水に対する給水待ちの行列は屋外に作られたままだし、県立高校の合格発表も15μSv/hを超える雪と雨の降る屋外で実施。

2018-03-10 11:16:53
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年3月15日までの時点で、今回の連続ツイートの主題である「県外避難に関する情報伝達」について、まとめてみる。早い時点で、SNSや電子メール、ブログ等を通じて、個別の家庭での数人単位で避難受入を表明した人が日本国内外にいた。

2018-03-10 11:58:12
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

そして、福島県災害対策本部が起動していることを確認した時点で、「福島」または「Fukushima」を検索して、福島県庁に対して県外避難受入の申し出がよせられることになった。しかし、その申し出は住民には届かなかったのだ。

2018-03-10 11:58:13
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年3月11日から今日に至るまで、福島県庁経由での県外避難の呼びかけは、全て福島県庁でシャットアウトされた。福島県知事の方針は「これ以上福島県民を一人も減らさない事」だと、知事本人が菅首相(当時)の「妊婦と子どもの県外避難」提案を拒絶しているのだ。県庁が県外避難を妨害している

2018-03-10 12:13:39
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

福島県外への避難でも、避難指示範囲の住民の避難については、自治体首長が決断の権限を持っているので、双葉町は埼玉県加須市に避難を決めた。福島県知事にとっては、県外避難は絶対に納得できなかったので、以後双葉町役場と県庁の関係は悪化する。

2018-03-10 12:29:35
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

また、親戚・知人・昔の職場などを頼っての県外避難については、福島県庁は文句を付けなかった。なぜなら、個人的関係を使っての避難に対しては福島県庁としての避難者支援の一切を行わなくても済むと考えたからだ。衣食住は一通り揃うのだから。収入は異なるが、それは福島県庁の関心事ではない。

2018-03-10 12:36:22
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発事故発生後、福島県庁にとって関心があったのは、福島県は県外に集団で避難しなければならないような状況ではない事をアピールする事だった。その前提として、県外からの避難呼びかけに応答して避難指示区域外から集団で県外に避難するようなことは許されなかった。「福島は『普通の福島』」だから

2018-03-10 12:40:02
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

福島県外から、福島県民への県外避難を呼びかける、県民誰にでもアクセスできる情報ルートはもう一つあった。福島県内の新聞や地上波テレビを使って伝達する方法だ。しかし理由は私にはわからないが、ごく一部の例外を除いて、避難や保養に関する県外からの申し出は、福島県内マスコミは流さなかった。

2018-03-10 12:43:32
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発事故発生後、福島県内のマスコミは、県外のマスコミが報道する中である種の情報を報道しなくなった。県外に避難している福島県民の生活再生の姿、生活困窮の状況、県外避難者を温かく迎える支援者の存在、県外保養で伸び伸び過ごす子どもたちの姿。これは報道しないのだ。

2018-03-10 12:46:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私自身、2011年8月に北海道に自主避難した後、何度も質問された。 「避難してきたら受入れようと、様々な準備をして待機していたのに、避難者が殆ど来なかった。福島の人は避難したくないんですね?」と。 違う。避難受入情報を、福島県庁・自治体・マスコミが全て遮断してしまったのだ。

2018-03-10 12:49:26
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年5月の具体例を書こう。 北海道で避難者を受入れようと考えた熱血漢がいた。(彼は今日明日と、被災地支援イベントを札幌で開催中だ。)福島県庁に「北海道への避難相談会を行いたい」と提案したが断られた。彼は公共施設に手当たり次第に交渉したが全て拒絶された。民間のホテルや結婚式場も拒絶

2018-03-10 12:53:13
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

せめて電話相談窓口の存在だけでも知らせようと、チラシを学校や公共施設等に置かせてくれるように依頼しても、断られた。 当時福島県内にいた人なら記憶があると思うが、2011年5月と言えば、県や自治体の広報等に山下俊一氏の「屋外遊び100μSv/hまで大丈夫」などと言った講演記録が配布されていた。

2018-03-10 12:56:31
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

やむを得ず彼は、独自の方法で、広範囲に開催を伝達できないまま、避難相談会をひっそりと開催した。私たち家族は偶然SNSでそれを知って、縁もゆかりもなかった北海道への自主避難を決めたのだ。同時期、ネットメディアを使って山本太郎氏が県外避難希望者の支援をしてくれた。

2018-03-10 13:06:19
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

福島県からの県外避難については、特筆すべき県外の地域が、2つある。 1つは京都府だ。阪神淡路大震災の教訓を受けて、近畿地方では遠隔地が深刻な災害を受けた時には担当府県を決めて支援する事になっていた。東日本大震災で福島県を支援する担当になったのは京都府だった。

2018-03-10 13:09:13
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

京都府の皆さんにはお世話になっているばかりで申し訳なく、恥ずかしく思うのだ。 京都府が積極的に福島県と福島県民を支援しようとして下さって来たことは、福島県内では殆ど知られていない。県庁の広報と化した福島県内メディアは県庁が発表しなければ伝えない。県庁は県外の支援組織を紹介しない。

2018-03-10 13:12:18
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

もう1つは、隣県である新潟県だ。 新潟県の泉田知事(当時)は、福島県庁を訪問して、各種支援の申し出を行うとともに、福島県民の中の県外避難希望者を新潟県で受け入れる準備があることを佐藤雄平福島県知事(当時)に告げた。佐藤知事は即座に拒絶した。

2018-03-10 13:15:04