2018年3月10日

《東電原発事故に関する情報伝達をどのように間違ったのか》

自己ツイートをまとめました。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

間もなく、3・11がまた来る。 色々な事が間違っていた原発事故対応なのだが。 あらためて、その間違いの始めは何だったのかを思い出す。 1つは、原発事故と放射性物質の情報を東電と政府省庁と福島県庁が隠したこと。 もう1つは、任意で避難したい人の為の情報を、福島県庁とメディアが隠したこと。

2018-03-10 00:57:08
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発事故と放射性物質の情報について。3月11日中には、原発の操作室で格納容器外の放射線量が上昇していた事は把握されていた。モニタリングカーを走らせていた文部科学省・経済産業省、福島県庁は、福島県内の線量上昇を知りながら国民には知らせなかった。だから事故は12日からだと思った人もいる。

2018-03-10 00:57:09
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

12日昼頃から、モニタリングカーのデータはさらに増え、放射性物質が事故原発から数十キロ以上の所まで深刻な汚染が及んでいた事は、政府省庁と福島県庁には連絡が届いていた。避難者が避難所に入る際のスクリーニングでも、汚染が深刻な事は十分に分かっていた。

2018-03-10 00:57:09
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

さらに、放射線量の上昇が女川原発で検知された事。福島県内7方部で計測と発表を始めた空間放射線量のデータでも、放射性物質の飛散が深刻であることはわかった。しかし、データの意味を国民に伝える役目の人に意味を教える専門家は、影響を過小評価して伝えた。

2018-03-10 00:57:10
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

官房長官や広報担当者が、専門家から言われたとおりに過小評価した放射線量の意味を発表した結果、原発作業員など、ある程度知識を持つ人々は、政府や役所の広報が発表する「数字の意味」は信じられない事を心に刻んだ。その後「数字の意味」だけでなく、発表されない数字があるのではないかと疑った。

2018-03-10 00:57:10
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

その疑いは、残念ながら正しかった。モニタリングカーが計測してきたトンネル両端の空間線量、福島市内の路肩の植物の汚染度合いなどは、福島県庁他にデータが届いたが、すぐには発表されなかった。

2018-03-10 01:11:44
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

特に汚染情報の隠蔽が激しかったのは、事故発生初期の3月中盤だった。 が、意図的な隠蔽は4月にも行われた。例年通り福島市信夫山では、花見の出店が出て、多くの人たちでにぎわった。信夫山公園が3.8μSv/hを上回る汚染があると、福島県庁が発表したのは、出店の営業終了翌日だった。

2018-03-10 01:15:48
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

基本的な事を一通り押さえておく。SPEEDIのデータは福島県庁に送られていたのだが「なぜか」他のFAXに紛れて廃棄されていた。学校グラウンドの空間放射線量がすべて発表されたのは、新学期が始まってからだった。あまりにも高すぎる空間線量3.8μSv/hが発表されたのは4月19日だった。

2018-03-10 01:19:08
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

さらに、政府も福島県庁も、詳細な汚染地すデータなどは、PCでないとみる事が困難なWEB情報で公表された。 福島県の各世帯のPCネット接続状況を考えると、一部の人だけしか見る事ができないと知った上での公表方法だった。

2018-03-10 01:25:54
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

その他今でも、福島県民健康調査検討委員会の会議資料を見ようと思えば、PCまたはタブレットでのWEB環境が整っていないと不可能だ。 「公開しています」と言われても、県民全世帯がアクセスすることは不可能だ。これが「公開」と言えるとは、私には思えない。

2018-03-10 01:36:07
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

その後、福島県民健康調査検討委員会に提出される「甲状腺検査」の中から外されていく「経過観察」の人の現状、実際の避難者の人数など、明らかにされて当然のデータ、情報が隠されたままだ。一部の情報は、集めたりまとめられたりさえしていない。これがそもそもの「ズレ」の1つの現状だ。

2018-03-10 01:36:07
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

もう1つの原発事故への対応の間違いは、任意で避難したい人の為の情報を、福島県庁とメディアが隠したこと。 話は、大地震発生直後から始まる。311の大地震で、福島県庁内で災害対策本部に使おうとしていた場所が地震で壊れ、使えなくなったことに始まる。

2018-03-10 09:45:53
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

大地震で福島県庁の災害対策機能が喪失したからか、他に理由があるかは判らないが、福島県庁への一般住民からの問い合わせ機能は停止してしまった。実は連絡機能は保持されていたが使わなかった、と証言する自治体職員もいるので、真相は不明だ。県庁は現在もその時期のことは説明しようとしない。

2018-03-10 09:45:54
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

311の大地震の後、不思議な事に県知事の姿が見えなくなった。次に姿を見せたのは14日午前だ。 このような時期、福島県知事だけでなく、福島県内の自治体首長の所在が数日間判らなかった事例は多かった。住民たちは「自分達だけ避難したのではないか」と疑念を抱いた。

2018-03-10 09:50:14
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

311大地震後、東電福島第一原発の状況が不安定になったことが分かった直後から、福島県外、日本国外では、原発事故で避難する人を受入れようと動き出した人たちがいた。個人で自宅に母子一組を受入れようとする人や、環境関係NPOなどは既に動き始めていた。しかし避難受入を伝える福島県庁が連絡不能だ

2018-03-10 09:54:31
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

311大地震後、「福島県災害意対策本部」の会議が実施されたことになっているが、第24回までの記録がない。記録は、第25回から残っている。3月14日午前。メディアも会場に入れて、「第25回福島県災害対策本部会議」が行われた。ただし、記録書類は県庁になく、要旨を伝えるFAXが自治体役場にある。

2018-03-10 09:59:09
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年3月14日に行われた福島県災害対策本部会議で決定された事は「福島縣復興の為に全力を尽くす」だった。当面は地震や津波による被害に関する復旧作業を促進する事と、原発事故で避難指示区域から避難してきた人も含めて避難者への支援対応を行う事が示された。

2018-03-10 10:12:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

忘れた人や知らなかった人もいると思うので、確認しておく。 東日本大震災による地震と津波は、近代以後の日本では最大の被害地域と被害人口を出した、巨大災害だ。被害地域で比較できる地震津波は、貞観の地震・津波(西暦869年)まで遡る。当時は人口が少なかったので、被害人口の比較は無意味だろう

2018-03-10 10:12:47
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

東日本大震災で被災した人間の数は、未曽有(みぞう)の大きさとなった。これほど多数の人間が被災するのは「想定外」だったので、避難所として予定していた場所だけでは、被災者を収容できなかった。まして、遠距離の被災者を受け入れる避難所の運営など、誰も経験したことがなかった。

2018-03-10 10:15:30
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

福島県の場合、地震津波の被災者だけでなく、原発事故による避難者も、想定外の人数の多さだった。原発の防災計画では、避難が必要なのは最大で原発から半径10kmまで。それも2、3日で避難が解除される想定だったので、長期間の避難者を大量に受け入れる場所も物資も準備していなかった。

2018-03-10 10:18:48
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「あの時の政権担当が民主党だったから、対応できなかった」というウソがまことしやかに今も語られている。しかし東日本大震災と原発事故に対応したのが、民主党政権だったからできたことは多かった。避難指示範囲を(福島県知事と相談せずに)原発から20kmに拡大できたのは民主党政権だったからだ。

2018-03-10 10:21:41
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発事故による避難指示の拡大は中途半端ではあったけれど、当初の想定の即時3km、最終10kmで留めていたら、住民の被曝は遥かに深刻なものになったことは間違いない。民主党政権が避難範囲を即時に10km、20kmと広げたために、被曝が少なくて済んだ住民は多かった。

2018-03-10 10:28:22
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発事故による汚染が深刻で、原発から20km以遠の場所については、その存在と場所を福島県庁、文部科学省、経済産業省は早期に計測して把握していた。が、民主党の国会議員の所にはその情報が届かなかった。一連の爆発が起きた3月15日段階では、避難範囲の更なる拡大もあり得た。

2018-03-10 10:28:22
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

福島県の「阿武隈高地」を東から西に超えて、中通り地域にやってきた避難者たちは、とりあえず避難所にできそうな体育館などを開放してもらえるように自治体役場などに掛け合って、何とか避難所にして建物の中に入った。原発から50kmを超える福島市や郡山市なども、原発事故からの避難者を受入れた。

2018-03-10 10:32:01
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

中通りは事故発生前は、原発事故による避難者を受入れる想定はなかったので、多くの避難所は避難所に入れる前に汚染スクリーニングが必要、等という事も知らずに受け入れてしまった避難所も多かった。他方、原発が立地していた太平洋沿いの自治体への避難者の多くは、スクリーニングを受けた。

2018-03-10 10:34:31
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