もっとも元良勇次郎はヘルバルトを英訳で読んでいたようである。ヘルバルトなんかは原書がネットのpdfでいくらでも見れるがドイツ語のはフラクトゥールで印刷されてるのでまず文字が読めない。
2018-03-15 09:59:06@marxindo @kingbiscuitSIU ですねぇ・・・ただ、心理学の方から教育学の知見が出てくるのが少し珍しかったもので。
2018-03-15 10:10:50@oyaziMK2 @kingbiscuitSIU たとえば血液型の古川竹二も出自としては教育学ですが心理学の研究をして心理学の学会誌に論文を出していたわけで、戦前はいまほど学問間の垣根は高くなかったのだと思います。
2018-03-15 10:12:561927年(昭和2年)に文部省は「児童生徒ノ個性尊重及職業指導ニ関スル件」という訓令を出して教育現場はもっと生徒の個性を尊重しろと指示している。古川竹二が血液型で「生徒の個性」を知ろうとしたのもこれと同じ流れ。
2018-03-15 09:44:22古川竹二は生徒の個性を尊重した教育をやろうとした先駆者で、ただ生徒の個性を血液型で測ろうとしたことだけが現代から見れば問題だったのラジね。
2018-03-15 09:48:04@oyaziMK2 @marxindo つまり、「人格」「個性」の類は「学校」にしか存在しない、ということだったのすかね。#雑なことを言う
2018-03-15 10:42:30@kingbiscuitSIU @marxindo まあ、基本、常に「学校内での」問題として扱われたとは言えますかねぇ・・・
2018-03-15 10:44:41@oyaziMK2 @marxindo 「学校」の外での個体の内面とかについては割と認識として合焦しにくくかったのすかねぇ……同じ個体が「学校」とその外(ムラなり地域なりの日常)を共に生きとる、ってのは当然わかってはいたと思えど。
2018-03-15 10:50:54@kingbiscuitSIU @marxindo まあ、当時は「近代人を如何に育成するか」が課題だったので、そこにそれまでいた人々の内面に迫るみたいな意識は持ちにくかったかなと・・・(たぶん、そういう近代に反発する形で民俗学とかが出てきたという話でもあろうかと)
2018-03-15 10:52:57(´・ω・`)「人はともすると、特に子ども存在にとっては、近代より望ましい時代が昔にはあり得たのだと幻想してしまう。柳田民俗学の一種の両義性は、その文体が内包している魔力とあいまって、ある程度過激でしかも童心主義的な、人の子の親たちの心を揺さぶる。」
2018-03-15 10:53:25「柳田の目的は、昔の人は労働を遊びのように楽しんでいたのだからこれからの子どももそうするのが望ましいということだった。そこで労働が剰余価値を生み出す問題は、殊更にかたまたまか、少しも触れられていない。それを知らないような前近代人では、柳田は決してあり得なかっただろう。」
2018-03-15 10:57:36「学校」なくして「個性」「人格」「個人」の類、なし、と。それってつまり「活字」の関与なくして、と敷衍してもいいような(´・ω・`) twitter.com/oyaziMK2/statu…
2018-03-15 10:54:45@kingbiscuitSIU 「活字」は無いわけでは無いのですが・・・学校の場合、実の所、活字だけではなく演劇的な要素もかなり強いものがあってですね・・・今でいう所の映像に相当するのですけども・・・
2018-03-15 10:56:27@kingbiscuitSIU 学芸会にせよ運動会にせよ、近代人とは何かのデモンストレーションの要素が濃厚だったのは確かです。
2018-03-15 10:59:17@oyaziMK2 「ぶりっこ「近代」史観」で学校教育を見直すヽ(゚∀゚)ノ #だからあんたは疎まれる
2018-03-15 11:00:03@oyaziMK2 それを擬制wとして、つまり「ぶりっこだよね、それ」と互いに目配せし合いながらおのれ(ら)はどんどん学歴社会を上昇していったのが、戦前旧制高校的「エリート」ブンカだった、と└( ゚∀゚)┘
2018-03-15 11:02:16@kingbiscuitSIU そういう評価は十分に可能だと思います。(ま、それ以前は擬制の対象が西洋では無く中国だったとか言っちゃいけない)
2018-03-15 11:04:00@oyaziMK2 「ぶりっこ」⇒擬制、にマジレスカコワルイ、が「エリート」の、それこそ2.26の青年将校なんかに対する不人情&不誠実なm9(^Д^)プギャー視線だったと思うとります。
2018-03-15 11:11:37