ドイツがポーランドに侵攻した1939年9月1日までの在欧日本人について

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数学史研究者 @redqueenbee1

するのか,あと四ヶ月でモスコーは陥落するはずだ,気の毒だが約四万人の独兵が戦死するだろうなあ」と言った.こうしたO 氏の楽観論が連日O 電報として日本政府や軍部に送られたのかと思うと,O 氏の戦争責任は実に大きいと言わざるをえない

2018-03-25 08:11:03
数学史研究者 @redqueenbee1

讀賣新聞パリ支局長松尾邦之助は独ソ戦争の見通しに関して大島浩駐独大使に質問した. 「大使が「独・ソ戦は,六ヶ月で終る,早ければ四ヶ月で片づくよ」といつたとき,あまりにも無茶な放言だと思い,「大使はそう断言されますが,あんな広大な領土をもつたソ連という大国を,数ヶ月で降参させる

2018-03-25 08:12:09
数学史研究者 @redqueenbee1

なんて考えられませんよ」というと,大島大使はムッとした顔で答えた.「君らは素人だから分るまい.ソ連の野戦軍をたたいてしまえば,簡単に参るよ.要はただ野戦軍のセンメツさ……」そこで,わたしがまた,「でも,西で英国を敵とし,東でソ連軍を相手にしてるんでは…」とたずねると,「ドイツには

2018-03-25 08:12:25
数学史研究者 @redqueenbee1

余裕があるんだよ.もちろん君のいうように,両面作戦さ.だが,近藤勇が大勢を相手に美事な剣をふり廻したように,ソ連をぶつた斬つた刀で,イギリスをバッさりやるんだ……」」,「大島大使は,日本刀を引きぬいた近藤勇気取りで,次から次と子供のような,狂人のような予言をまき散らし,前の予言が

2018-03-25 08:12:37
数学史研究者 @redqueenbee1

外れると,次の予言でそれを修正し,こじつけ,外れつづける予言の泥沼に足をふみこんでいた.これは,ウソつきが最初のウソをごま化すために,次のウソを考えるのと同様だが,ウソツキ以上に危険なことは,彼自身の予言が,彼なみの悲しむべき真剣さと妄想で,放たれていたことである」

2018-03-25 08:12:45
数学史研究者 @redqueenbee1

讀賣新聞伯林特派員嬉野満洲雄は「大島大使は先に云つた樣に最初はアヂユタント(副官)氏をしてヒトラーとの會見前後の模樣のみを叙景的に記者團に傳へしめると云つたナチスの直譯的な人を愚弄せる態度をとつて憤慨させてゐたが,一方には日ソ不可侵條約が成立し,他方獨ソ戰近迫の氣配が濃厚になつた

2018-03-25 08:13:57
数学史研究者 @redqueenbee1

ころより,毎週一囘自分で日本記者團と會見することゝなつた.『反共協定の立場から日本が獨逸の反ソ戰に支持を示す樣,言論を指導する』意圖から出でたものである.この會見では獨ソ戰が開始された場合は日本は,ドイツの行動を是認し,積極的に應援すべきだとなす大使館側に對して,本當にドイツは

2018-03-25 08:14:14
数学史研究者 @redqueenbee1

對ソ戰をやるのか.若しやれば日本の對支戰爭の如く長期戰になるのではないか.結局ブラツフではないか.やる可らざる戰爭ではないか等の根本的な反對論又は懷疑論が毎週の如く記者團側から多く出て或る時の如き大使は興奮『市井の記者に何が判るか』等の言葉を吐いたが,記者團では特に朝日の守山君

2018-03-25 08:14:30
数学史研究者 @redqueenbee1

などよく鬪ひ,遂に六月二十二日の開戰まで甲論乙駁で一致した意見,觀測には到達しえ樣もなかつた.大島氏はスターリングラード以後は漸次その記者團に對する言葉と態度を變へては行つたが,ナチス主義の惡き模倣が日本在獨公館の大半に感染,以前には比較的冷靜で客觀的な觀察が出來てゐたものまで,

2018-03-25 08:14:43
数学史研究者 @redqueenbee1

戰局の見透しについて全く大島氏の意見をそのまゝ受け容れ,自ら今一度事態を討究する勞を省き「思考の權利」を放棄するかの風潮が甚だしくなつた.殊に軍人の多くはその誰にあつても大島氏と比喩,用語まで同一なものを用ひて説明するには,國際情勢を觀察するにも上官の觀察に「絶對服從」かと思はず

2018-03-25 08:14:54
数学史研究者 @redqueenbee1

苦笑を禁じ得ないことがあつた」 満州国新京外交部政務司第一科事務官の梶浦智吉は関東軍司令部を用務で訪問した. 「第二課(対ソ政策)を訪れた.たまたま七,八名の参謀が集まって,ウイスキーを飲みながらトトカルチョみたいな遊びをやっていた.それは破竹の勢いで進撃中のドイツ軍が,あと何日で

2018-03-25 08:17:31
数学史研究者 @redqueenbee1

モスクワに入城するかの賭けだった.「一週間だ!」「いや,十日だ!」とワイワイやっていた.モスクワは落城しないという方に賭ける者はいなかった.私は「独ソ戦の行方は戦略上の大問題だが,ノモンハンで崩れた自分の足許は大丈夫なのか?!」と一瞬疑念を持った.世界中の軍事専門家が冬将軍の威力を

2018-03-25 08:17:48
数学史研究者 @redqueenbee1

見落としたのだから,関東軍の参謀連中がモスクワ落城必至と見たのも無理はない.ただ大方の国民の信頼を裏切って,彼らが全くと言っていいほど対ソ情報に通じていなかったことはいただけない.このことは結局,裏では対日開戦を決めていたソ連に対し,日米間の斡旋を依頼するごとき大失態に結びついた

2018-03-25 08:18:01
数学史研究者 @redqueenbee1

のである.第二課長の西村敏雄大佐は,下村信貞が最も高く評価していた軍人である.外交部の一事務官に過ぎない私に対しても,常に威儀を正して挨拶し,丁重に扱ってくれた.西村は近代戦は火器の量によって決まるとし,暗に日本軍部の底を流れる竹槍戦法,つまり日本魂一筋の戦法を戒めていた」

2018-03-25 08:18:07
数学史研究者 @redqueenbee1

思うのだが、結局、当てるアナリストより、大胆に外したアナリストの方が日本史に名前が残る。 今の国際情勢アナリストで、名前が残るのは誰であろうか  と、陰険に呟いてみる。

2018-03-25 08:25:41
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