東日本大震災で経験したことを覚書1

途中にも書いたとおり、私の記憶がまだ鮮明なうちに覚書しておこうと書きまとめたもの。ただの自己満足に過ぎません。あと無駄に長いです。
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マシロ スグル @suguru_mashiro

「おばあちゃん! 大丈夫? 怪我してない?」 大きな声で受話器の向こうに声をかけますが、パニック状態になった祖母は「怖かった、怖かった」と何度も怯えきった声で繰り返しました。そして突然、 「揺れてる! また揺れてる! ごめんね! 怖いから切るね!」

2011-04-12 06:47:38
マシロ スグル @suguru_mashiro

悲鳴のような声でそう叫び、祖母は電話を切りました。 その頃茨城県沖で大きな余震がありました。その大きな揺れの中、祖母は実家で一人きりでした。 両親は共働きのため昼間は祖母一人です。その祖母は今は自転車も乗ることができないくらい老いていました。

2011-04-12 06:48:22
マシロ スグル @suguru_mashiro

そして私の実家は母が生まれる前に祖父が作った木造家屋でした。 頑丈にできていると建設会社に勤めている父から聞いていましたが、やはり不安は拭えませんでした。 大きな余震が続いて箪笥が祖母の上に倒れてきたらと思うとぞっとしました。

2011-04-12 06:48:41
マシロ スグル @suguru_mashiro

私は実家に電話をかけるのを諦め、両親の携帯にかけました。 やはり繋がりませんでした。 一縷の望みをかけて私はメールを二人に送りました。

2011-04-12 06:49:12
マシロ スグル @suguru_mashiro

父は建設会社、母は化粧品会社に勤めています。 会社があるのは内陸です。でも安心できませんでした。 なにか仕事の関係で海に近いところにいるかもしれない。 その可能性は大いにありました。 そしてその予感は半分的中していました。

2011-04-12 06:49:47
マシロ スグル @suguru_mashiro

私はもう仕事に手がつかない状態でした。 幸いその日はデスクワークを終わらせておけば良い日だったので、それ以降は携帯やネットで情報収集に明け暮れました。 ツイッターも開くと関東圏に住む人たちが小パニック状態になっていました。 富山の町は通常通りに戻っていました。

2011-04-12 06:51:04
マシロ スグル @suguru_mashiro

私はその平穏な空気の中一人残された気分で、両親からの返信を祈りながら待ち続けました。 まず母からメールが帰ってきました。 母からのメールを見てゾッとしました。 「今のところ大丈夫です。でも津波が近くまで来ています。」 母にしては珍しく短い文面でした。

2011-04-12 06:52:25
マシロ スグル @suguru_mashiro

私は母はやはり海の近くにいたのだと認識しました。 ただ私はこのときこのメールだけしか情報がなかったので、母はいわきのどこかの海岸沿いの街に配達に行っていたと勝手に解釈していました。

2011-04-12 06:52:54
マシロ スグル @suguru_mashiro

そして次に父からメールが届きました。 「大丈夫だただ家がおばあちゃんしかいないから心配だ」 父も私と同じ心配をしていました。

2011-04-12 06:53:20
マシロ スグル @suguru_mashiro

そしてネットや携帯のテレビでは津波の被害の映像を出し始めました。 絶句しました。 津波に対するイメージがここで完全に壊されました。 今まで想像していたものよりもはるかに恐ろしいものだったのです。

2011-04-12 06:54:37
マシロ スグル @suguru_mashiro

私が最初に目にしたのは名取の光景だったと思います。 水が生き物のように陸地を浸食していく光景は私に絶望を与えました。 四倉にこの津波が……と思うと震えが止まりませんでした。 実家に津波が届いたら一人きりでいる祖母は確実に逃げられません。

2011-04-12 06:56:50
マシロ スグル @suguru_mashiro

あれからずっと実家の電話は繋がりませんでした。 夫も心配して私の実家に電話したそうですが、繋がったと思ったら、 「ごめんなさい!誰だか知らないけれど地震で揺れてるから切りますね!」 と祖母が叫んで切ったそうです。

2011-04-12 06:58:00
マシロ スグル @suguru_mashiro

祖母は一人で大きな揺れの中パニック状態だったのでしょう。 私は不安で不安でいつもは非公開にしてたのを公開に直しツイッター上で四倉の現状をリツイートを利用して聞き始めました。

2011-04-12 06:59:26
マシロ スグル @suguru_mashiro

そして父からまたメールが届きました。 「とりあえず今家に向かっている。母さんは原町から帰りについている。母さんは大丈夫。」 そのメールを見て愕然としました。 母はいわきにいませんでした。 仕事の関係で南相馬(原町)にいたのです。

2011-04-12 07:00:11
マシロ スグル @suguru_mashiro

南相馬はいわきより北の方にあり、震源地により近いところでした。 その後テレビで放送された南相馬の津波の映像を見て恐怖しました。 映像は南相馬の海岸に津波が到達する瞬間をおさめた有名なものです。 その映像では津波の波しぶきの手前の幹線道路を南下する車が何台も画面を横切っていました。

2011-04-12 07:03:35
マシロ スグル @suguru_mashiro

南相馬から南下する車。 その中に母の車も含まれているのではないか。 そんな不安が生まれました。 母自身からも父からも「大丈夫だ」とメールをもらったけれども、そのメールをくれたのはこの津波の前なのか後なのかすら確認できなかったのです。

2011-04-12 07:05:05
マシロ スグル @suguru_mashiro

津波は何度も繰り返し来る、という知識はありました。 だから母は第一波には巻き込まれなかったけれども第二波、第三波に巻き込まれてまいかと心配になりました。 母からのメールが最初の1通だけでそれ以降届いていないのも不安をあおる原因でした。

2011-04-12 07:06:22
マシロ スグル @suguru_mashiro

しばらくして父から「家もおばあちゃんも無事だ」というメールが来ました。 祖母が無事なことにホッとしました。 しかしその日のメールはそれでおしまいでした。

2011-04-12 07:07:25
マシロ スグル @suguru_mashiro

地元の友人にもメールしました。 皆家の中が凄いことになっているくらいで、怪我もなく大丈夫だとのことでした。皆内陸の方に住んでいる子たちだったので津波の心配もありませんでした。 逆に私の家が港町だと知ってる子は津波のことを心配してくれました。

2011-04-12 07:08:40
マシロ スグル @suguru_mashiro

四倉の津波は実家までは届きませんでしたが、やはり大きな被害を出していました。 私はツイッターで検索して四倉の津波の被害状況を一部だけ知りました。 四倉小学校のところまで津波が押し寄せたと聞いて、海に面した場所に住んでる方たちの安否が気になりました。

2011-04-12 07:09:46
マシロ スグル @suguru_mashiro

後から聞いた話ですが、海の傍にある四倉中学校、そして菅波病院は1階が津波でやられてしまったそうです。 菅波病院には祖母の妹にあたる方が入院していて、津波が来た後もしばらく3階の病室で入院していました。

2011-04-12 07:10:41
マシロ スグル @suguru_mashiro

あの日の夜は本当に皆少なからずパニック状態だったと思います。 情報が多すぎて私はパンク寸前でした。 ツイッターというツールは情報の伝達速度が優れていますが、もちろん欠点もあります。

2011-04-12 07:11:21
マシロ スグル @suguru_mashiro

何人かのフォロワーさんの発言に軽く絶望し、苛々し、リムーブを余儀なくされました。 一番目立ったのは被災地以外の人の極度のリツイートです。 震災後はしばらく受動だった私は少なからずその大量なリツイートに苛々する羽目になりました。

2011-04-12 07:11:45
マシロ スグル @suguru_mashiro

実家からなにも音沙汰がなくなったまま仕事から帰り、自宅に着いてからテレビの大画面で震災の酷さを再確認して声を出して泣きました。 その場にいたわけではないのに出身地がここまでひどい状態になった、と思うと涙が止まりませんでした。

2011-04-12 07:12:48
マシロ スグル @suguru_mashiro

母がちゃんといわきに辿りつけたのか。そのことが一番心配でした。 南相馬からいわきに帰るには普通は国道6号線を使います。6号線は海沿いを走ることもあります。 しかし夜中になっても大津波警報はまだ解除されていませんでした。 私は不安から結局一睡も眠れませんでした。

2011-04-12 07:14:54