痴的娯楽としての社会学、ジャーナリズム、芸術

「スーパーフラット」な現代、すべてのartsはフラットに消費の対象となりお笑い芸として昇華するらしい   複製技術時代の「ゲージツ」ぶりに弁たんも び・つ・く・り    ふわふわだね★ 続きを読む
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m_um_u @m_um_u

世間的に、社会学(社会思想)的なものと哲学文脈の思想が見分けつかないのは、M台←ニューアカ効果もあるだろうけど、日常の生活の中での「社会」の面があまりにも巨大で当たり前のものになってしまったからではないかね。むかしは後景だったから前景にしたのに、いまはそれが当然だし吹っ切ってる

2011-04-13 08:15:22
m_um_u @m_um_u

で、さっきみたいな神学?のようなリアリティが現われる。

2011-04-13 08:16:04
m_um_u @m_um_u

分かりにくいなら民俗学、文化人類学との学問としての論争を参照したらええよ >社会学とはなにか。 オレは一発でいえるけど、スノッブされるの嫌だからいわない

2011-04-13 08:17:24
m_um_u @m_um_u

自分がなにか?を問うのに自分だけ基点にしててもわからんでしょ。歴史と、共時の比較じゃないと

2011-04-13 08:18:21
m_um_u @m_um_u

そういうのできないのが自己言及っていうの

2011-04-13 08:18:50
メテオラシャワー @meteor_showr2

私は自分の書くものが誰かの座右の書となることを目指してはいない。15秒から15分間くらいの知的娯楽、つまり芸術として機能することを望んでいるし、そういうふうに作っている。それは小説とは違うし、学問とも到底言えない。文章芸術というほかにない。

2011-04-13 10:49:58