佐藤正美Tweet_20180401_15

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佐藤正美 @satou_masami

「通俗現代小説を世間の成人たちが読むとは私には考えられない。もうわかり切った事が故意に面白そうに書いてあって、それ以上発見が語られてないものを成人たちが読むはずがないからだ」(小林秀雄、「故郷を失った文学」)。

2018-04-07 12:28:58
佐藤正美 @satou_masami

「ほんとうに彼らの心をつかんでいるものは、もっと地道なものなので、作品に盛られた現実的な生活感情の流れに知らず識らずのうちに身を託すか託さないかという処が、面白いつまらないの別れ道だと、私は信ずる」(小林秀雄、「故郷を失った文学」)。

2018-04-07 12:33:52
佐藤正美 @satou_masami

「内容がどうこうなどてんで言わせないで観客の心を引きずって行くその魅力である。現代ものの日本映画や、通俗現代小説に一番欠けているものはこの理屈のない魅力なのだ」(小林秀雄、「故郷を失った文学」)。

2018-04-07 12:36:55
佐藤正美 @satou_masami

理屈のない魅力は、直示できないけれど、確かに存在する性質でしょうね――「美」が定義できないのと同じ性質でしょう、だから そういう性質を「表現する」(あるいは、習得する)のが難しい。でも、そういう性質を、われわれは、作品(あるいは、人物)のなかに感じる。

2018-04-07 12:42:07
佐藤正美 @satou_masami

私は日本人ですが、シベリウス(フィンランドの作曲家)の作品に対して、そういう魅力を感じます――たとえば、彼の交響曲第二番の最終章は、私を理屈ぬきの感奮興起の状態に連れてゆきます。そして、私には、フィンランドの作曲家を聴いている日本人であるという意識などない。

2018-04-07 12:47:34
佐藤正美 @satou_masami

「人工的といふ言葉をあだやおろそかに思いたまふな」(三島由紀夫、「レイモン・ラディゲ」)。

2018-04-07 12:50:30
佐藤正美 @satou_masami

自分(あるいは、自分の作品)を、それ以前の「古典」へ正当につなくという点が「伝統のほんとうの発見に近づくように成熟する」。「伝統」は、発見される実体であって、供与される実存物じゃないことなのかもしれない。

2018-04-07 12:53:38
佐藤正美 @satou_masami

もし、平安時代の和歌が日本人の精神を表して「伝統」を伝えると云うなら、西行の歌は「伝統」から確実に逸脱する。和歌の形式は「伝統」的様式でしょうが、和歌に込められた精神を なにがしかの典型的類型で括ることはできないでしょうね――なぜなら、類型的な歌などは「作品」にはならないから。

2018-04-07 13:03:07
佐藤正美 @satou_masami

「伝統」の継承とか喪失とか世間で云われているけれど、「伝統」は、われわれの便宜で継承できる代物じゃない。われわれが向きあうことができる「伝統」は つねに「(古典的な)作品」であって、「作品」のなかに結実した個人の魂(精神)と対面するしかないのではないか。

2018-04-07 13:06:53
佐藤正美 @satou_masami

私は、「能(夢幻能)」の舞台構成が好きです――故人、神、鬼や なにがしかの精が化身として現れ、(中入り後で)本体を示して、舞台装飾が殆ど省かれた空間で謡い舞う。さながら仕手の回想劇です。われわれが過去の魂と対面する致しかたを見せてくれる。

2018-04-07 13:10:57
佐藤正美 @satou_masami

「伝統」は「社会」を特色付ける系統だと説明されるけれど、社会(社会の「進歩」)は「いつも否応なく伝統を壊すように働く」(小林秀雄、「故郷を失った文学」)。

2018-04-07 13:13:50
佐藤正美 @satou_masami

「もののあわれ」という実感は作品のなかで結実された感性であって、その実感が大衆の実感を代弁しているとは誰もわからないのではないか。そういう作品を日本人は持っているとしか云えないのではないか。そして、作品のなかに結実された心情が大衆を揺さぶる――そう言うしかないのではないか。

2018-04-07 13:18:51
佐藤正美 @satou_masami

相手に確実な印象・感奮を与えるという単純なことが単純じゃない。こういう単純なことを かえって 専門家のほうが鈍感になっているのではないかしら。

2018-04-07 13:22:39
佐藤正美 @satou_masami

「他人事ではない。他人の作品に、出来るだけ純粋な文学の像を見ようとして、賞讃したり軽蔑したりしつづけて来た事が、何か空しい事であったような気がしてならぬ。文学でもなんでもないものを強いられて、文学でもなんでもないもののために辛労して来たような気がしてならぬ」(小林秀雄)。

2018-04-12 19:21:00
佐藤正美 @satou_masami

還暦にもなれば、自分の歩いてきた人生を回顧して「思い出」を披露したがる所懐も起こるのかもしれない、「自分史」を遺したいと希(ねが)うのかもしれない――自分は社会のなかで無用ではなかった [ 確実に生きてきた ]、と。

2018-04-12 19:25:36
佐藤正美 @satou_masami

私も、勿論、そういう所懐を一寸持っているけれど、そういう思いが浮かんだときに、直ぐに打ち消します。私は、自分の気持ちを打ち消して、自らを律して優等生ぶって体裁を取り繕うつもりもないのであって、寧ろ、生々しい「惨めな」風采の私を実感します。

2018-04-12 19:28:33
佐藤正美 @satou_masami

私は自分を、喩えれば、鴨居玲(かもい れい)氏の描いた画「勲章」の人物と同一視しています。描かれた人物は、呆(ほう)けた顔をして、ビール瓶の栓を4つほど勲章に見立てて上着に貼り付けて、上体を やや反らすようにしてズボンのポケットに手をつっこんで立っている。

2018-04-12 19:32:26
佐藤正美 @satou_masami

顧みて、逆上(のぼ)せた山気の果ては「巣鴨の天皇」か、、、。

2018-04-12 19:33:53
佐藤正美 @satou_masami

第一級の作家が苦しい思索を四十年も続けてきて実感した所思に較べれば、私のような凡人が歩んだ人生の所感など数ならぬ所懐にすぎないし、そもそも、われわれは他人の人生所感を聞き入るほどに暇ではないでしょう [ 自分の人生で手いっぱいでしょう ]。

2018-04-12 19:37:39
佐藤正美 @satou_masami

「人生っていうのは、云々」と説法しているヤツらの面(つら)は、たいがい惚けた風貌をしている、「では、あなたの そういう人生を人前に晒してみなさい」と面あても言いたくなる。自分の生きかたを人前に「晒す」ほどの根性などないくせに、と。第一級の作家は自分を世間に晒している。

2018-04-12 19:47:31