仏像、文書などが博物館等に収蔵されるのは歴史資料として死んだことになる

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@deldelddd

これは美術品の話だけれど、歴史資料もいったん死ぬの。博物館等へ収蔵すること、とくに対象が仏像だったりの信仰物だった場合を考えてもらえれば分かりやすいのだけど、信仰されていない状態になるのだから それは物の価値の一つの死なの。 twitter.com/ykkykym/status…

2018-06-26 21:42:43
雪りん @ykkykym

“コレクションは「活用」される前に、いったん死ななくてはならない。作品はいったん美術館に入ると、現実からいったん切り離され、わたしたちの生そのものに、多方向に、多面的に関わっていく可能性を秘める” / “コレクションから考える美…” htn.to/9iUocf

2018-06-26 20:04:30
@deldelddd

古文書だって、個人や家、地域に所有されてきたことが一つの価値であるのだから、博物館等への収蔵は一旦の死であると言えると思うの。ただし、収蔵されることが物理的な物の保護につながることもあるから、善し悪しは判断できない。だから収蔵品が増えることは、嬉しくて悲しい。

2018-06-26 21:49:51
@deldelddd

博物館で見る収蔵された仏像は、一つの死を乗り越えたもの。展示されている それらの前にお賽銭が供えられている光景を見たことがあるけれど、生と死を繰り返すのかと奇妙な気分になったのを覚えている。

2018-06-26 21:54:52
@deldelddd

地域信仰系の研究をしていた者としては、少しでも地域と切り離される文化財が増加しないことを祈るばかり。物自体が残存して後世に伝わることも大事だけれど、博物館に伝わった物はいったん死を経たものということを忘れてはいけない。

2018-06-26 22:03:29
@deldelddd

とある博物館に勤務していた時分、ご年配の方が自身で大事にされていた小さな仏像を持ち込まれたことがあります。また同時期に とある高齢化率の高い集落からも地域で守られてきた仏像を収蔵してもらえないかとの依頼が。どちらも年齢を理由に「これから守って行けるのか心配になった」という。

2018-06-27 01:17:59
@deldelddd

地域の文化を伝えることのできる収蔵品が増えることは歓迎すべきこと。物を後世に伝えるためにも、温湿度の調整された暗所となる収蔵庫で保存されることは理想的。しかし博物館に収蔵されるということは、信仰の輪から外れるということ。大切に護りたい、粗末にできないとの信仰心から持ち込まれた仏像

2018-06-27 01:34:09
@deldelddd

これが、学芸員のジレンマ。結局はどちらの案件も、館で話し合って、ただただ事実を伝えることに。良い悪いではなく。ご寄贈いただけるならば、信仰されてきた物として、尊厳を守って、後世に伝わるように、信仰の歴史が伝わるようにしますと。しかし、信仰し祀ることはできませんと。

2018-06-27 01:52:27
@deldelddd

結果 一方は博物館へ収蔵、もう一方は地域のお寺さんに預かってもらうことになりました。どちらが良い悪いはないのでしょうけれど、どうしても地域の信仰の輪の中に残って欲しい、出来るだけ長く生きて欲しい、信仰の死ぬ瞬間は見たくないと思ってしまう。

2018-06-27 02:00:04
@deldelddd

全ての発掘が大げさに言えば破壊行為であり調査研究と 本質的な保存とが真っ向から対立することもある。数十年前は文化財に優しいとされていたセロファンテープがベッタベタに残留して文化財を破壊している。文化財と付き合うには日々微修正行い、裏目にでることも想定してその時の最善を行うほかない

2018-06-27 02:12:28
@deldelddd

地域において信仰の対象とされてきた仏像などの扱いも、試行錯誤の末に ある程度は導き出されるのだろうか。

2018-06-27 02:24:09