表現規制と応答責任をめぐる高橋直樹・tukinohaの討論

議論って難しい。
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tukinoha @tukinoha

@NaokiTakahashi だから私は「応答責任は厳然として存在する」と書いているわけで、その時点で話がすれ違ってしまっている。私には、高橋さんは「オタク」のような集団がヘゲモニー的なものであることを認めながら、そのヘゲモニーの政治性を脱色しようとしているように見える。

2010-04-04 00:37:00
end_NTak @end_NTak

@tukinoha こちらは規制を回避できればそれでいいわけで。自分の人権を守る方法だけ考えてるのです。それ以上の政治的意味にまで責任を取る余裕はありませんが。ここまで追い詰められると。

2010-04-04 00:38:55
end_NTak @end_NTak

理屈でどんな風に相手の感情を押しつぶそうが筋が通ってる限り政治的社会的な尊重が得られるような成熟した言論の場でなら応答する気にもなるだろうけど(たとえば学者の議論とか)、規制論の現場はどう考えてもそうじゃないよね。アグネスの演説に力を与えているのは論旨じゃなく涙でしょ、彼女の。

2010-04-04 00:44:27
LOVERSOUL @LOVERSOUL_STAFF

@tukinoha 外野から。たとえば、たぶん東浩紀なら「応答責任は厳然として存在する」とは言わない。応答責任を放棄した場合、社会的場面で急に権利を主張しても、誰も聞く耳を持たない、とは言うけれど。「応答責任」の存在を前提するのは、ちょっと単純に見えました。

2010-04-04 00:47:36
LOVERSOUL @LOVERSOUL_STAFF

@tukinoha だから、高橋さんが「応答責任」を放棄していながら社会に理解を求めているのなら矛盾だけど、「応答責任」を無視した上で社会にも理解を求めないのなら首尾一貫していることになりますね。

2010-04-04 00:49:09
tukinoha @tukinoha

@LOVERSOUL_STAFF 私は東氏の本を全然読んだことがないので、氏の責任論がどういうものなのかよく知りません。ただ、「理解を求める」ことはなくても、例えば「オタク」だとか「エロゲ屋」という風に集団の一員として自己画定することのなかに、既に他者との関係が含まれている。

2010-04-04 01:16:14
tukinoha @tukinoha

@LOVERSOUL_STAFF ゆえに私は他者を無視できない(拒絶するのも反応のひとつ)、という立場です。そのような自己画定のなかには他者の排除という権力作用が否応なくつきまとう(スチュアート・ホールのいう「分節化」)以上、倫理的な責任がそこには含まれるだろう、と。

2010-04-04 01:17:54
LOVERSOUL @LOVERSOUL_STAFF

@tukinoha 日本の場合は和辻哲郎ですかね。間主観性の倫理とでもいうか。自分-他者の関係を「関係性」としてとらえる。responsibility=応答性すなわち責任という考え。という理解でよいとするならば、高橋さんの立場と相容れるはずがありません。

2010-04-04 01:21:36
LOVERSOUL @LOVERSOUL_STAFF

@tukinoha 高橋さんは倫理的スタンスを「リバタリアニズム」と表明していますので、間主観性の倫理とはおそらくもっとも遠い位置にいます。大ざっぱに言ってしまえばデカルト的なものを突き詰めた立場になりますので……応答性というところは最初から問題にならなさそう。

2010-04-04 01:24:44
LOVERSOUL @LOVERSOUL_STAFF

高橋直樹さんはリバタリアンとして分かりやすすぎるほど単純な(それこそ教条主義的とすら見える)ことしか言っていない気がするけれども。リバタリアニズムの論理が理解されていないというよりは、リバタリアニズムそのものが拒否反応の源という感じか。

2010-04-04 02:10:37
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