相外飛竜水月さんとの議論

aihadure_chanさんとの剣術、剣道に関係する議論
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みんみんぜみ @inuchochin

また試合方式が二百年近い時間をかけて変化した流派の場合、流派独自の試合形式と言った場合、いつの時点での稽古方法を差すのか?という問題もあります。例えば神道無念流や直心影流、小野派一刀流なんかは江戸時代中期から昭和にかけて少しづつ変化して剣道式になったので、流派独自の試合といっても

2018-08-09 07:53:30
みんみんぜみ @inuchochin

伝統を重視すれば剣道で稽古をするのが正しいとも言えます。復古主義で昔の稽古を復元する、とした場合、江戸時代中期の袋竹刀に面籠手の形式なのか、幕末の四割竹刀にどうありなのか、どういった試合形式なのか、と同一流派でも変化した部分が非常に多いと思います。

2018-08-09 07:53:31
みんみんぜみ @inuchochin

まあ個人的には歴史を踏まえて、今後どうするか考えるが良いのかなあ、という気がします。現代剣道式の試合が剣道剣術のすべてでは無いですし。

2018-08-09 08:00:37
みんみんぜみ @inuchochin

ところで形剣術と試合剣術の話と言えば寺田宗有の逸話が有名だけど、歴史や寺田の経歴、年齢、立場を踏まえた議論は見たことがほとんど無いです。有名な千葉周作が見た、竹刀防具相手に一方的に予告して勝った逸話も、そのあたりを踏まえて検討するとかなり違って見えてきます。(続く

2018-08-09 08:32:01
みんみんぜみ @inuchochin

まず寺田宗有ですが1745年生、1825年没、幕末の人物というより江戸中期~後期に生きた人物です。同時代の武術家としては平山行蔵(1759ー1829)、近藤内蔵助(?ー1807)、戸ケ崎熊太郎(1744ー1809)、初代桃井春蔵(?)などです。幕末に活躍する剣豪のより何代か前の人物ですね。

2018-08-09 08:47:12
みんみんぜみ @inuchochin

この時代、江戸や関東周辺の農村ではすでに他流試合がおこなわれ始めていましたし、地方でも剣術家同士の交流が記録されています。ちょうど撃剣草談の時代です。寺田が40ー50半ばの1780ー1800頃に幕末に指導者となる千葉周作や窪田清音、斎藤弥九郎などが生まれます。彼らの祖父世代と言って良いですね

2018-08-09 08:53:54
みんみんぜみ @inuchochin

ちなみに寺田が六十代ー七十代の頃にはまだ四つ割竹刀(現在の竹刀)は存在していませんでした。この頃は千葉周作や斎藤弥九郎、男谷信友などが修行時代ですが、彼らはまだ袋竹刀で試合していたわけです。(ただし、今一般的形式の袋竹刀から割竹を多数詰めたものなど色々な形式がありました)

2018-08-09 08:58:21
みんみんぜみ @inuchochin

寺田は十代の時に小野忠一の弟子の中西子定に入門、子定が亡くなり代替わりし、試合稽古の重視するようになってから一刀流を辞めています。その後は平常無敵流に入門したとあります。平常無敵流は開祖山内一真が江戸時代初期にいくつかの流派を学び創始した流派で、特に富田流の影響を強く受けています

2018-08-09 15:57:35
みんみんぜみ @inuchochin

これは寺田とは別系統の無敵流の絵図ですが、山内一真は富田流小太刀の表六本をそのまま採用、工夫した技法を含め十数本の技があったようです。ただ形は廃したと言われていますから、江戸時代によくある半試合形式で修行する流派だったんじゃないかと思います。(小太刀で大太刀の手元まで入るような) pic.twitter.com/b349ZerlkC

2018-08-09 16:05:12
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みんみんぜみ @inuchochin

(ここでいう半試合形式というのは、例えば片方は大太刀の袋竹刀で自由に打ってよく、もう一人は小太刀の袋竹刀でそれを防ぎながら大太刀を打つような稽古方法です。)

2018-08-09 16:07:32
みんみんぜみ @inuchochin

(江戸時代後期に盛んになった試合は互角試合といい、互いに同じ条件で試合をしますが戦国時代から江戸時代にかけては新陰流の丸橋を代表とするような、長い武器で自由に打ってくるのに対してそれを防ぎながら手元に入る試合がよく稽古されていました。信抜流の笠を被って入身する稽古もこれですね)

2018-08-09 16:10:21
みんみんぜみ @inuchochin

寺田は一般的に形稽古重視で試合はしなかった、と言われていますが当時(18世紀末~)の剣術流派の常識から考えると、現代イメージする決まった動作を繰り返すような形しか稽古しなかったわけはありません。平常無敵流の他の分派では先程書いた半試合形式以外に互角試合も行っていた事が記録にあります

2018-08-09 16:15:24
みんみんぜみ @inuchochin

また、富田流は試合を古くから行っていた形跡があります。新陰流も同じです。と考えると、寺田も一刀流をやめたあとは半試合的な稽古を相当おこなっていたと思います。その経験を持ったまま一刀流を学び直して四年で免許となっていますが、その時にはすでに55歳となっています。

2018-08-09 16:18:44
みんみんぜみ @inuchochin

平常無敵流の術理に精通した上で一刀流の組太刀を研究したわけですから、素人が学ぶのとは違います。すでに平常無敵流の師範だったわけですし。以上の事を念頭に置いて千葉周作の見た、竹刀防具をつけた門人をあしらった逸話を考えてみます。

2018-08-09 16:20:45
みんみんぜみ @inuchochin

千葉周作が寺田に学んでいたころはおそらく周作が一刀流に入門してそれほどたっていないとき、17~二十代前半くらいの時だと思いますが、この頃は寺田は60~ほどです。 組太刀のことをよくわかってない剣士たちも周作の同輩、初級者だった可能性がもあるんじゃないかと思います。

2018-08-09 16:27:39
みんみんぜみ @inuchochin

そう考えると、まあレベルは色々あるとはいえ現代でも見聞きする、武道やってる人なら体験するような話の気がします。

2018-08-09 16:29:50
みんみんぜみ @inuchochin

(千葉周作は17歳で一刀流に入門、27歳にはすでに独立しているのでその間の話だと思います)

2018-08-09 16:34:25
相外飛龍水月 @aihadure_chan

剣道の試合形式を採用して流派独自の試合形式や応用変化の稽古方法が分からなくなっただけでなく、流派独自の素振り・基本技まで失伝したのは深刻な問題です。 twitter.com/inuchochin/sta…

2018-08-10 06:48:20
みんみんぜみ @inuchochin

ただ、剣道と距離をおくようになった時点ですでに試合形式として剣道そのものを採用している場合が多く、剣道採用前の流派独自の試合形式や応用変化の稽古方法がわからなくなってる例もかなり多いと思います。また、剣道への反発から形稽古重視になった例も多いのではないかと思います。

2018-08-09 07:36:23
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

嘉納治五郎の価値は系譜でも実力でもなく、達人の構造を解析して崩しの理論を生み出し、そこからさらに新しい技を産み出し、才能が無くてもある程度強くなれる練習体系を確立したこと。 理論と練習体系がしっかりしてれば、才能ある弟子に恵まれれば達人は出る。重要なのは凡人にも対応したシステム。

2018-08-07 15:44:30
吉村英崇🎂8/28が誕生日と覚えなくて良いのよ_(: 3 」∠ )_ @Count_Down_000

外人さんが合戦とか甲冑武術を喜びますよ!って声をよく頂くけど、実はもう日本武術の色々な流儀はフランスやらイタリアで結構支部をだしてる。 ぶっちゃけ、外人さんは喜ぶが日本人はそれほど日本武術とか興味がなくなったと思う。 門下生を10人入門させるならば海外の方が今は楽かも。 pic.twitter.com/3Vrml5yWy1

2018-08-05 23:19:43
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みんみんぜみ @inuchochin

まあ難しいのはみんな平等に免許等を貰っていて(貰っていなくて)、うちが正しい、あいつは正しくない、とか言い合ってる場合。 そういう場合はお互い正しいで良いと思うけど、世の中は古武道に幻想や誤解を抱いていて「どの流派も一子相伝で正しい宗家は一人」と思ってる人が結構います。

2018-08-07 16:43:38
相外飛龍水月 @aihadure_chan

古流武術の生存戦略の話ですが。個人的に試合稽古や現代武道との関連に拘る必要がないと思います。 下記の流派が門弟も師範も支部も多いのは明治から歴代の継承者の努力の成果で、やはり一番重要なのは人材です。 武術の人材は強さと指導力だけでなく、経済・時間的な余裕も人脈も必要です。 twitter.com/aihadure_chan/…

2018-08-10 06:57:20
相外飛龍水月 @aihadure_chan

取りあえず古武道協会の加盟流派を見てみましょう。 この中に門弟も師範も支部も多く、剣道と強い関係がないのは香取神道流、柳生新陰流、野太刀自顕流で、 剣道と関係あるのは立身流、北辰一刀流、小野派一刀流、二天一流、タイ捨流です。 剣道と関係ある流派が多いようですが、

2018-08-08 02:44:58
相外飛龍水月 @aihadure_chan

現在、もっとも門弟と支部が多いのは香取神道流と柳生新陰流でしょうね。 試合稽古もないし、昔から現代武道と距離を置くけど、どっちも明治時代から人材が多いです。 もともと有名な流儀だけでなく、その稽古システムも優れてます。その中に独自の素振は特に重要だと思います。

2018-08-10 06:57:20
相外飛龍水月 @aihadure_chan

門を広げることも必要です。外国には熱心で経済・時間的に余裕がある人が多いから、外国人も受け入れるなら有利です。 香取も柳生も、そうしてます。香取には特に外国人の門弟が多いですね。柳生の先生方も海外に演武や講座を行うことが多いです。

2018-08-10 06:57:21
相外飛龍水月 @aihadure_chan

近年、門弟も支部も増えているタイ捨流も優秀で経済・時間的に余裕がある指導者、優れる稽古システム、広く門戸を開くことなど、香取や柳生と同じです。 これらの流派には、もう一つの特徴があります。宗家がいますが、宗家以外の師範も独自で活躍しています。

2018-08-10 06:57:21
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