1982年の反=反核反戦

1982年、ヨーロッパの反核運動が日本に輸入されたとき、それを不愉快に感じ、俺たちの反戦があるはずだと感じた高校生がいたというちいさな話。
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kmrt @kmrtwit

どのように話し始めようかと考えてたんだが、昔、まだチェルノブイリに事故が起きる前、1982年に反核運動が起こったときの話だ。ヨーロッパ、とくにドイツから起こったのか、「ヨーロッパ(オイローパ)をヒロシマにするな」的な「オイロシマ」という造語が日本にも伝わって来ていた。

2011-04-19 23:36:15
kmrt @kmrtwit

しかしそれは広島に失礼な話で、広島がヒロシマになったのはなりたくてなったわけじゃない。原子力を兵器にした原子爆弾を落とされたのだ。多くの死にたくない人が死に、焼け出され、でも町は時間をかけて復興したのだ。ヨーロッパの人の言いたいことはわかる。だが、俺は不愉快だった。

2011-04-19 23:40:52
kmrt @kmrtwit

1982年の春から夏にかけてだったと思う。やがてヨーロッパから反核運動は輸入され、文学者が署名して共同声明を出したり、ウチの高校の教師たちも、土曜の午後、駅前で署名活動をしていた。なぜ38年も前に原爆を落とされたこの国で、輸入物の反核運動が行なわれるのか、俺はやはり不愉快だった。

2011-04-19 23:45:32
kmrt @kmrtwit

俺たちは仲間4人でこのオイロシマ的な反核運動に拠らない、俺たちの反戦をやりたいと思った。1982年、高校三年の夏休みの後、確か9月の第1週の土日の学祭で、展示とミニコミ販売を行なうことにした。それと平行してクラスで製作する映画にも出演したし、なかなか忙しい夏休みだったが。

2011-04-19 23:49:56
kmrt @kmrtwit

1982年の反核に拠らない俺たちの反戦、俺たちのグループ名はゴーダマ=シッダルタ・ファン・クラブ、ミニコミ誌名は『ヤング・ニルヴァーナ』と名付けた。俺はそこに『反核の風景』というエッセイを書き、まるでビートルズ上陸的なツイッギー来日的なセンスで行なわれる反核運動に異議をとなえた。

2011-04-19 23:54:11
kmrt @kmrtwit

『ヤング・ニルヴァーナ』には、ある者は戦争の本質に快楽がある限りなくなることはないと書き、ある者は、莫大な力を持つ原子力を戦争兵器に使用して他者に暴力をふるう人類が悪いのであって、原子力が悪いわけではないというレトリックで書いた者もいた。俺たちは仲間だったが、運動は孤独だった。

2011-04-20 00:02:40
kmrt @kmrtwit

学祭が終わって社会科の教師に俺たちは呼び出され、「おまえらのタネ本はこれやろ」と1冊の本を叩きつけられた。吉本隆明『<反核>異論』だった。教師はよほど頭に来たのだろうが、俺たちの反=反核反戦は、この本の出版よりも遥かに早かった。俺たちは社会科準備室で初めて、その本を目にしたのだ。

2011-04-20 00:06:23
kmrt @kmrtwit

社会科教師が叩き付けた吉本隆明『<反核>異論』を改めて俺たちは読んだ。俺たちは孤独ではないことを知ったし、同時に吉本隆明の孤独を改めて知った。1982年と言えば、角川書店が『共同幻想論』『言語にとって美とはなにか』『心的現象論序説』を初文庫化した年でもあった。

2011-04-20 00:09:18
kmrt @kmrtwit

吉本隆明『<反核>異論』http://amzn.to/ijJJiW はいま読まれるべき本であると思う。原発がなくなるものならなくなるべきだと思うものの、現在の反原発に違和感を感じる人には、29年前に考えてくれている人がいることが貴重だと思う。だが中古価格で29,800円なのだ。

2011-04-20 00:14:05
kmrt @kmrtwit

3年前に、吉本隆明『<反核>異論』を改めて読み返した人の詳細なブログ http://bit.ly/gbU8Oe がある。この書物そのものは、図書館などで借りて読むしかもう方法はない。読むべきだと思う。しかし3万円もこの書物に出すなら、被災地支援に寄付した方がよっぽどマシだからだ。

2011-04-20 00:22:01
kmrt @kmrtwit

俺たちは教師から右翼と呼ばれ、罵られた18歳だった。少なくとも俺はいまも考えは変わらない。4人の仲間の1人は俺で、もう1人は俺と同じ大学学部に進んだあと高校教師となり、もう1人は二浪後に東大に入ったが東洋哲学をやると聞いた以来行方不明、もう1人はスピリチュアルの世界にいるようだ。

2011-04-20 00:28:15