成漢建国記 第1部 野望惹起編

ツイッターで連載している『成漢建国記』のまとめです。中国西部の略陽から南下し、益州及び漢中に割拠した李一族を中心とした物語です。 李一族が略陽から南下し、その代表者・李特が流民らの人心を得て、その頭領となるまでをまとめました。
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ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 30 子供は少し躊躇うも、にこやかに同情するよう勧める李特につられ、馬に乗った。礼を言う母親に李特は「共にここを無事に乗り切ろうぞ」と声をかける。李特の兄弟たちも、腹を空かせている者、歩けない者がいたら、積極的に声をかけ、食物を分け与え、介護したりした。 #成漢建国記

2018-07-04 22:27:21
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 29 道はどんどん険しくなる。思い思いに人々は進みゆく。そんな中、母に連れられた男子が泣き止まない。歩けないとわめく子供、これに声をかける者がいた。「ぼうず、我の馬に乗れ」「いいの?」「ああ、我と一緒に歩けるまで乗っていけ」声をかけたのは李特だった。 #成漢建国記

2018-07-04 19:32:33
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 28 本作では関山道を通り、漢中に入ったこととする。関山道は漢中までの道のりは最も長いが、比較的平坦な道でもあった。人々が南へ行く経緯も境遇も様々である。民衆の様子を見ながら、李特は考えた。馬車、馬、徒歩等で向かう人々。まず自分が成すべくことは何か。 #成漢建国記

2018-07-04 19:20:46
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 27 関中から漢中へ向かう道は大きく5つ存在する。子午道、駱谷道、斜谷道、故道、関山道である。李特らがどの道を通ったか、史書は詳しく記していない。しかし、天水方面から漢中へ向かうという条件で、ある程度の推測は可能であろう。その道は、最も西にある関山道である。 #成漢建国記

2018-07-03 23:02:58
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 26 略陽、天水はじめ6郡の民は、南下を続けていた。李特らが向かう前から移動は行われ、その数は万を優に超える。その道のりは決して容易ではない。関中方面から漢中へと向かう道はいくつかある。しかし、どの道を通っても必ず越えねばならぬ難所、それが秦嶺山脈である。 #成漢建国記

2018-07-03 22:46:39

第2章 叛乱顛末編

ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 25 張華はこれまで出会った様々な人物を思い出す。朝廷内に決していない、荒々しくギラギラと眩しい光を持った男たちを。「あのような若者たちが時代を動かし、国すら揺るがす。それが全土におるなら、国どころか、あり様すら変えていくのだろう」張華は大笑いして去った。 #成漢建国記

2018-06-30 20:45:05
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 24 道士は言う。「傑物揃いの中にあって、仲儁だけが他の模範となる人物であり、最後は位人臣を極めるであろうな」からから笑って、道士は去った。張華は言う。「世は混迷の中に入ろうとする。それが時の流れであろうか。だとすれば、止めることなど叶わぬではないか」 #成漢建国記

2018-06-30 20:34:22
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 23 張華は凱旋途中、略陽に寄った。分かってはいるものの、人影はまばらだ。そんな中、1人の道士と出会う。張華は聞く。「逃げはしないのか?」道士は言う。「逃げてもアテはない。関隴の非凡なる者共は皆、南へと移っていった。ここの李一族はひとかどの人物ばかりでな」 #成漢建国記

2018-06-30 20:23:48
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 22 張華も後続を率いて進軍する。補給、指示等が滞りなく実施され、斉万年は追い詰められた。孟観と斉万年は最後の会戦に及び、孟観が勝利した。敗れた斉万年は戦死した。今際の際に言う。「わしが死んでも、この地に乱の芽はそこかしこにある。全てを摘み取れるものか」 #成漢建国記

2018-06-30 20:11:14
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 21 孟観は沈着剛毅、文武に才ある人物である。先の討伐軍で、周処が主将、孟観が先鋒なら斉万年に勝てると謳われるほどだった。孟観は自身が認めた勇敢な直衛兵、関中の士卒を率いて出発した。孟観は自ら最前線に乗り込み指揮をとり、大規模な会戦で全て勝利を収めた。 #成漢建国記

2018-06-30 19:59:45
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 20 勢い増す斉万年、このままだと西方が完全に切り離される恐れがある。事の重大さに今さら気づいた晋王朝はキレ者・張華に対応策を求める。張華は言う。「孟観に鎮圧軍を率いさせ、後続には我々が続きます。必勝の構えで必ずやつらの息の根を止めねばなりません」 #成漢建国記

2018-06-30 19:11:49
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 19 斉万年は全軍7万を向かわせる。周処軍は5千であるが、周処以下決死の奮戦により、敵軍1万を討ち取る。朝から夕暮れまで戦い、矢尽き、武器も折れて最期の刻が近づく。周処は「忠義のために命を棄てる!」と叫び、命果てるまで戦い続けた。残る司馬肜らが敵うはずはない。 #成漢建国記

2018-06-30 18:29:48
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 18 司馬肜は以前、周処に不正を弾劾されており、彼を恨んでいた。先鋒に命じた上で後続軍を送らない、いわゆる見殺し行為であった。周処は思う。「俺の成すべきことをするまで。必死に戦い、良き者が乱をおさめる土台となればよい」一方、斉万年は全軍もって迎撃に向かう。 #成漢建国記

2018-06-30 17:03:20
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 17 斉万年は周処が副将格であると聞き「周将軍が主将であれば勝ち目はない。だが、配下であれば恐れることはない」主将・司馬肜は五千の兵で反乱軍を討てと周処に命じる。「孤軍で戦っても意味はない。国家の恥にもなる」周処は諌めるも、司馬肜はこれを無視した。 #成漢建国記

2018-06-30 16:17:38
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 16 本編よりしばし話を外す。李特らが移住する契機となった斉万年の乱について語る。勢いは秦州及び雍州を覆い、兵力は7万、反乱軍は斉万年を皇帝に推戴する。晋王朝は梁王・司馬肜、安西将軍・夏侯駿、建威将軍・周処らを征討軍として派遣した。斉万年は軍編成を注視した。 #成漢建国記

2018-06-30 16:05:21

第1章 略陽棄郷編

ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 15 行く李特と見送る李輔。馬上から李特は軽く会釈した後、馬を進める。味気ない別れ、李輔は一族の姿が見えなくなるまで見送った。これは一時か永久の別れか。どれだけの人間が平穏な終わりを全うできるのか、李特の語る希望の新天地は遥か南。苦難の旅路の始まりであった。 #成漢建国記

2018-06-29 19:20:51
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 14 李特ら一族が略陽を離れる時がきた。ほとんどの一族が身支度整え、出発の時を待つ。そんな中、李輔は一族を見送る側にいた。李輔の一族は李特に同行する。しかし、李輔は略陽に留まるという。なぜかはわからないが、李特もあえて強く引き止めなかった。出発のときは迫る。 #成漢建国記

2018-06-29 16:57:32
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 13 当然、一族が一致したわけではない。しかし、李特が何回も理を尽くして説いた結果、一族のほとんどが彼の意見に同意した。一族はすべての財物を売り払い、金や食料に換えた。ここで成した財は消え、新天地に一見無謀な夢を見る。慌ただしく月日は流れゆく。 #成漢建国記

2018-06-29 16:39:51
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 12 「故郷を離れるは苦しい。しかし、乗り越えた先には希望がある。我について来てもらいたい。強制はせん、我と共に行動するものは来てもらいたい」この会話に李特兄弟の長兄、姓は李、名は輔、字を玄政、つまり李特の兄は黙したままだった。腕組みし、目を閉じて動かない。 #成漢建国記

2018-06-29 16:32:44
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 11 「漢中、益州は天然の要害。そして秦州よりも広く豊かである。心穏やかに生活を営み、雄大に国を成せる」李庠は言う。「兄者は割拠なさるのですか?」李驤は目を輝かせる。「兄ぃ、それ、いいわ!すぐにでもやろうぜ。こんなとこでちまちまやってるより、面白そうだ!」 #成漢建国記

2018-06-29 15:48:56
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 10 「兄者の言いようでは、行くあてがあるように思いますが、どちらに行こうと?」言ったのは李特兄弟の三弟、姓は李、名は庠、字は玄序という。李特は答える。「南の漢中、益州に移り、これを新天地となす」李庠は怪訝そうに尋ねる。「何を成すための新天地ですか?」 #成漢建国記

2018-06-29 15:29:51
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 9 「玄龍、荒ぶるな。兄上、しかしなぜにそのように決したかお聞かせくだされ」言ったのは李特兄弟の四男、姓は李、名は流、字を玄通という。李特は言う。「我が一族、決して他者に遅れは取らん。だが、このままでは後手となる。この決断、先を見越したものである」 #成漢建国記

2018-06-29 15:21:01
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 8 李特は言う。「玄龍の言うように、我の行く道を申すために集めた。秦州は乱れ、さらに混乱の極みになるだろう。我はこれより、略陽を離れる」ざわつく場内、李驤は言う。「何でだよ、尻尾巻いて逃げんのかよ。俺らで何とでもならあ」武勇に優れる李驤らしい物言いだった。 #成漢建国記

2018-06-29 15:13:14
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