成漢建国記 第1部 野望惹起編

ツイッターで連載している『成漢建国記』のまとめです。中国西部の略陽から南下し、益州及び漢中に割拠した李一族を中心とした物語です。 李一族が略陽から南下し、その代表者・李特が流民らの人心を得て、その頭領となるまでをまとめました。
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ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 7 李特の屋敷に一族が集まった。略陽を代表する略陽李氏の屋敷は広大であるが、邸内は大人数で満杯状態である。まず口を開いたのは、姓は李、名を驤、字を玄龍、李特兄弟の五弟である。「兄ぃ、何の用だよ。身の振り方でも決まったのかよ」言葉荒々しく李驤は李特に尋ねた。 #成漢建国記

2018-06-29 15:03:31
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 6 李特は快活な男である。身長は八尺、見識を備え、勇猛であり騎射に長けていた。性格は穏やかであるが、強固な意志と広い度量を持っていた。義理堅く、弱きを助け強きをくじくことを旨とした。李特が李雄に命じた。「一族全てを集めよ」李雄は飛ぶように走り去った。 #成漢建国記

2018-06-29 14:53:21
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 5 李雄は言う。「南を指して進んでいます」李特は考えた。南には漢中及び益州がある。李特が生まれ、青年期を送っていた頃、中国は三国に分かれていた。漢中及び益州を領したのは蜀漢という国だった。漢中及び益州は天然の要害というメリットがある。李特の心に希望が灯る。 #成漢建国記

2018-06-29 14:43:35
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 4 鎮圧軍にも協力することも躊躇われた。この状況を作ったのは、晋王朝ではないか。どちらの道もない、新しい道を探さないといけない。そんな中、李特の三男・李雄が急を告げた。略陽をはじめとする六郡の民衆が激減していると。李特は驚く。ツテない民の行くアテはどこか。 #成漢建国記

2018-06-29 14:29:04
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 3 李特は悩む。反乱軍に与するか、鎮圧軍に協力するか。反乱軍に言い知れぬ不信感を李特は持っていた。この地方の窮状をよく知っている人物が、さらに追い詰める反乱を起こす。この地域にしっかと根を下ろし、民衆から慕われる李特には許せないことだった。 #成漢建国記

2018-06-29 14:18:20
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 2 西暦296年の斉万年の乱により、秦州及び雍州は大いに揺れた。生活に困窮していた民衆の多くは呼応、晋王朝は対応に追われた。そんな中、秦州の略陽に一人の傑物がいた。姓は李、名は特、字を玄休という。李特は苦しい現況を憂い、己の行く道を探していた。 #成漢建国記

2018-06-29 13:06:44
ああだこうだ @ryoushin_16

成漢建国記 1 天下を治めるべき司馬一族は権力争いに明け暮れた。権力を見て、国や民を見ず。それがもたらす結果は、統治能力の低下、反乱の勃発である。西暦296年、氐族の長・斉万年が晋王朝に叛旗を翻す。この乱は秦州及び雍州に波及し、朝廷も無視できないほどの勢力となった。 #成漢建国記

2018-06-29 12:57:22
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