利子とカトリック教会

「カトリック教会は利子に関する教義を変更した」という主張が今でも散見されますが、このような主張は正しいものではありません。カトリック教会の公文書と教会公認の神学書に基づいて説明します。
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教会の栄光 @glory_of_church

中世当時は土地の購入は困難であり、農業は後進的で、交通事情は悪く、通商を行うことは不安定で、通信は遅く、強盗や窃盗は頻繁で、人口はまばらであり、商業は数少ない中心地に限定され、鉱山は未開発で、手工業はほとんど家内的なものであり、資本はまだ形成されていなかった。

2018-10-07 16:35:08
教会の栄光 @glory_of_church

人々は彼らの金を地下貯蔵庫に保管したり、安全のために修道院にあずけたりしていた。当時に属する埋蔵金についての諸々の話はそうした事情に由来する。人々は、家政や戦争や祝宴のためにそれを使いたいと思った時に硬貨を取り出した。

2018-10-07 16:44:06
教会の栄光 @glory_of_church

金を出してそれによってより多くの金を稼ぐことは非常に困難であり、不可能に近かった。当時の金は真に子を産まないものだったのである。通商のためではなく家政のための資産であり、商業的交換ではなく私的交換の媒体、市場価値ではなく使用価値を表すものであった。

2018-10-07 16:58:22
教会の栄光 @glory_of_church

返済されない危険を別にすれば、貯蔵するよりほかに使い道のない金について利子を取ることは「子を産まない金属の子」を取ることであった。

2018-10-07 17:12:34
教会の栄光 @glory_of_church

それは人が自分が置いたものではないものを取ること、人が隣人の必要あるいは隣人の利得から利益を得ること―自分の側に満たされない必要や失われる利益がない状況で―であった。

2018-10-07 17:15:19
教会の栄光 @glory_of_church

それは「貸主の側に労働も費用も危険の負担もないにもかかわらず、非生産的なものの使用によって利益を得ようとすること」であった。そしてそれを第五ラテラン公会議はウスラであると定義しているのである。 twitter.com/glory_of_churc…

2018-10-07 17:17:54
教会の栄光 @glory_of_church

ウスラの定義は次の通りです。  「ウスラとは、貸主の側に労働も費用も危険の負担もないにもかかわらず、非生産的なものの使用によって利益を得ようとすることである。」(第五ラテラン公会議第十総会大勅書Inter multiplices(1515年)DS1442)ewtn.com/library/counci…

2018-08-25 16:16:50
教会の栄光 @glory_of_church

12.近代においては、蒸気機関や電気、人口の増大、持続的な平和のおかげで、世界全体は一つの通商共同体となっており、金を投資したりその他の利益の上がる商品に変えたりする豊富な機会が提供されている。

2018-10-07 17:26:45
教会の栄光 @glory_of_church

したがって、近代では金は単なる家政のための私的交換の媒体ではない。商業的交換のための媒体である。それは使用価値を表すものではなく市場価値を表すものである。千ポンドを一年間貸し出すことは、金を貸さないことで得られたであろう利益の機会を取り返しのつかない仕方で失うことを意味する。

2018-10-07 17:33:50
教会の栄光 @glory_of_church

状況がこのようである場合には、そしてそのようである限りにおいて、貸し手は正義を侵害することなく逸失利益を指摘し、利子によって補償を受けるために借り手との間にあらかじめ約定することができるのである。

2018-10-07 17:44:19
教会の栄光 @glory_of_church

13.その使用価値や私的交換と共に、中世的な家政から近代の商業的社会への移行は一日でなされたのではない。またそれはあらゆる場所において同じ速度で進行したのではない。それは長い年月に渡る成長の過程であった。

2018-10-07 18:16:22
教会の栄光 @glory_of_church

大都市においては商業は急速に発達し、十五世紀には十分に成熟に向かっていた。それゆえ、利子を正当なものにしそれをウスラから区別する諸条件が容易に得られるようになった。しかしそれらの諸中心地は孤立していた。

2018-10-07 18:23:12
教会の栄光 @glory_of_church

軟骨が骨に変わる時にそこかしこに現れる骨化の中心のように、それらの大都市は原始的な諸条件のうちに留まっている広大な領域によって互いに分断されていた。ハンブルクやジェノヴァのような大都市がある一方で、そこから50マイル離れた場所では社会はまだ揺籃期であり、大都市は別世界であった。

2018-10-07 18:36:13
教会の栄光 @glory_of_church

それゆえ、法の文言で記述される同じ取引が、都市においては正当な利子を、田舎においてはウスラを意味することがありえた。都市と田舎はそれほど分断されていたのである。

2018-10-07 18:44:02
教会の栄光 @glory_of_church

このような状況下では、立法者はここで利子を禁止することとあちらでウスラを許容することの間で選択をせざるを得なかった。投資を規制することと抑圧を許可することの間で。中世の立法者は前者を選択した。教会と国家は共に利子の徴収を制限する多数の法を施行した。

2018-10-07 18:49:36
教会の栄光 @glory_of_church

それらの法は幼児の衣類のように、今では適用できず諸国民の近代的成長に適合しないというだけの理由でばかげた規制として軽蔑されるべきではない。今日では国家はそれらの法を廃止しており、教会はもはやそれらの法を要求しないことを公式に表明している。

2018-10-07 18:57:58
教会の栄光 @glory_of_church

しかし今も教会は、ウスラの罪というものがあり、第五ラテラン公会議で定義されていることを教義的に主張しているのである。」 (Joseph Rickaby,Moral Philosophy: Ethics, Deontology and Natural Law) gutenberg.org/ebooks/8103

2018-10-07 19:05:42
教会の栄光 @glory_of_church

以上によって明らかなように、ウスラは現代においても罪であり、カトリック教会はその教義を何ら変更してはいません!そしてウスラではないものを罪ではないと判断することは、教義の変更では全くありません!

2018-10-07 19:24:42