中華鍋からはじまるドイツ観念論の系譜

中華鍋で鶏おこわを作る話から、カントの感性論、バウムガルテンの美学を経由して、マイモンのDarstellungへと行き着きます。
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眼鏡パンダ @sacreconomie

@menkyak なるほど。Vorstellungは何かの表象であり、Darstellungも何かの表現ではあるけど、Vorstellungが規定された何かの想起であるのに対して、Darstellungは未規定な何かの表現であり、この未規定なものを規定する働きだということですね。

2011-04-25 15:46:23
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眼鏡パンダ @sacreconomie

@menkyak 以前、話題になりましたが、意識が遅れて立ち上がるとはどういうことか、と絡んできますね。超越論的過去(未規定なもの)→経験的過去(規定されたもの)→現在(意識)だとすると、意識が過去の表象から遅れているのは勿論、超越論的過去からは無限に遅れている。

2011-04-25 16:32:30
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眼鏡パンダ @sacreconomie

@menkyak その振り分けの重要性はいまいちピンとこないのですが、Darstellungが汎通的規定で、Vorstellungが部分的(?)規定とすると、前者は個体概念あるいは創造に関わるもの、後者はいわゆる対象の認識に関わるもの、ということですかね。

2011-04-25 16:36:35
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