中華鍋からはじまるドイツ観念論の系譜
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@menkyak 「鶏おこわは、概念からではなく、普通の経験から始まるのであり、したがって、何かせいろ的な存在を根拠とする。しかし、このせいろは、それが絶対的中華鍋という不動の岩盤の上に据えられていなければ、沈んでしまうのである」『純粋料理批判』A584/B612
2011-04-18 20:38:33ウェブ思想誌『パレーシア』11号 http://j.mp/fyilTD 今号もなかなか充実。ランシエールのメディア論、『真理と生成』でドゥルーズとハイデガーの比較研究を成し遂げたデ・ベイステギの芸術作品論ほか。ゲルーを参照しているドゥルーズとマイモンについての論文に注目したい。
2011-03-08 18:02:31@menkyak いかにも関心ありそうなテーマだね。 RT @parages: ウェブ思想誌『パレーシア』11号 http://j.mp/fyilTD ……ゲルーを参照しているドゥルーズとマイモンについての論文に注目したい。
2011-03-08 22:06:18カントのRealitätて、知覚の予料以来、よく分からないな。ハイデガーによれば、「物が物として実在する感じ」ってことだけど、そうすると最高のRealitätをもった存在の概念、つまり神の概念は、「とっても物っぽいもの」の概念てことになるけど……。
2011-04-19 01:46:01「悟性の妥当する範囲を定めた」「信仰のための場所を確保した」というのが、第一批判に対する教科書的な理解だと思うけど、ひっくり返せば、「感性のための領域を確保した」とも言える。もののRealitätが立ち現れる場として感性を探求する方向に、「純粋(肉)感性批判」の可能性がある。
2011-04-20 17:47:12この「感性のための領域を確保した」というのが、昨日のバウムガルテンのÄsthetikが確保した領域とは何か、という議論と重なってくるのだけど、それについては、よい入門書がまもなく出されるのだろうと思う。
2011-04-20 18:02:01バウムガルテンの美学について、カント以後断絶してしまった伝統として、美しく思考する術、修辞学のもたらす発見術としての側面をわたしは強調したのだけれど、それによって何がもたらされるのか、ということはぼやかしてしまった。
2011-04-21 17:02:29今日、某先生に現物を見せてもらったこれ、欲しいな。バウムガルテンの『形而上学』の、羅独対訳(新訳!)・原典批評版。 http://bit.ly/e0WRcg
2011-04-15 23:19:29これも出るのか。 Alexander Gottlieb Baumgart... の 'Aesthetica - Aesthetik' を Amazon でチェック! http://amzn.to/eMPTNB
2011-04-16 08:33:34その批判版は『形而上学』のですか? 『美学』の批判版(上下二巻)なら私も持っていますが、2007年刊行のものです。RT @hiro09ma: バウムガルテンは去年、ドイツ語対訳付きの校訂版がでたら
2011-04-22 20:00:27@H_YOSHIDA_1973 『形而上学』です。 http://www.frommann-holzboog.de/site/suche/detailansicht.php?wid=521000210
2011-04-22 20:03:42途中、カントの知覚の予料を挟んで、マイモン、コーヘンの微分の話が出てくるのが興味深い。/ @ttt_ceinture さんの「『差異と反復』におけるライプニッツ・カント・コーエン/ドゥルーズにおけるカント/ニーチェ生理学.. http://togetter.com/li/1932
2011-04-22 14:47:49ドゥルーズの議論は忘れたけど、確かにコーヘンは知覚の予料を解説する箇所で、意識と微分の関係を論じた先人として、マイモンを挙げている。マイモンの微分概念はちょっと変なんじゃないかという話もあるけど、これについても、まもなくよい入門書が出るのでしょう。
2011-04-22 15:03:47@menkyak そのVorstellung/Darstellungは、ライプニッツの何に対応してるのだろう? représentation/expression? ていうか、そのdarstellenの使い方も微妙だよね。日常的な意識にとっては、表現は常に何かの表現な訳で。
2011-04-24 21:03:36