ryoku28さんの魔法少女まどか★マギカ 「友情、贈与」 ~もうリムなんて怖くない~
- Aznyan_Ultimate
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ほむほむとまどっちが最後に「友達」になれたのかは焦点だと思う。二人の自己贈与の非対称的関係ゆえに、対等な関係たる「友達」になれたのかどうか。問題は贈与のsuspensionにあるだろう。「走れメロス」の美しき友情が、どうして私の心を打つのだろうか。
2011-04-22 20:17:40それはセリヌンティウスとメロスのお互いの自己贈与があるからだが、二人は死を愛しているのではない。生を愛している。別の言葉で言えば、自己贈与が友人を通して再び自己に帰還すると信じている。ときに、贈与が円環を描いて再び自分の所に戻るためには友人という媒介を通さなければならない。
2011-04-22 20:17:53友人が裏切った場合、円環は成立せず、一方通行があるだけだ。エコノミー的視点から言うと、友情とは、贈与が友人を介して再び帰還すると信じることだ。従って、友情が試されるのは、その贈与のsuspensionであり、suspensionの最中に味わう「死」の恐怖に打ち克つことが美しき友情
2011-04-22 20:18:35のように思われる。純粋な自己贈与は聖人になってしまい、または負い目を相手に与えてしまうだろう。贈与とは時に暴力的なものである(一方交換もまた暴力的なものではあるのだが、それは問題が個人間ではなく社会的な問題に移行した場合だ)。
2011-04-22 20:18:47さて、さやかの破滅は、上条に自己贈与したものの、上条にそれを気づかれず、またそれでよいのだと自分に言い聞かせようとする点にあった。上条にさやかの贈与のことは気が付いていない点で、さやかの行為は純粋贈与であると言えるわけだが、
2011-04-22 20:18:56見返りがないことにさやかは苦しむ。さやかは神になろうとして挫折した人間である。人は簡単に神にはなれない。だが、そのような純粋贈与(それは最終的には自己犠牲に至る)を行える者を人は聖人と呼ぶ。(これもまた個人的次元と社会的次元は異なるので難しいが今回は個人的次元のみを考える)
2011-04-22 20:19:18ほむらはループを重ねるごとに強くなる印象を与えるが、ほむらは私の思うには、最後まで「弱いほむら」であった。即ち、さやかのように神になろうと意志するほどには強くなかった。というのも、何度もまどかに対して「弱み」を見せているからだ。自己贈与を行っていることを告白する。
2011-04-22 20:19:38そして、それを行った瞬間に、さやかのようにではなく、メロス型の円環を待つ交換型の贈与に変わる。だが、この瞬間にあるのは、まどかへの驚異的暴力であり、まどかの「負債」の集積の暴露である。あたかも、さやかが死体で発見された時に上条や緑に襲ったものと同じような。
2011-04-22 20:19:50まどかはしかし気持ち悪がりもしないし、負債にも感じない。そのように感じるのは、「自分にはそれを受ける理由がないからだ」と感じるからだが、まどかには「自分にはそれを受ける理由がある」と感じた。そして、それをもう一度ほむほむに返そうと思うのである。
2011-04-22 20:20:06ほむほむ視点から見れば、メロスと同様に贈与におけるsuspensionの解決であり、エコノミーの帰還である。重要なのは純粋贈与をおくって、純粋贈与を返されることではなく、贈与に対して不信感を抱かずに受け止め、そしてそれを快く返すという信頼関係である。私はそれを友情と名付けたい。
2011-04-22 20:20:37-------------------追加とかしてみたり(>_<)-------------------
2011-04-28 07:17:43まどマギについてもう語るまい──としていたら、燃料投下されて語りたくてうずうずしている。今の私はサン=テグジュペリの英雄性にかなり感化されていますよ。
2011-04-27 09:28:56さやかの願いは作品中では暗示的にか述べられていないが、次のような願いであったと考えられる。「上条くんの手を治して! 事故が起きる前に戻して!」さやかの願いは達成された。だが、その願いについて、さやかは一つのことを前提としていたのである。
2011-04-27 09:32:55それは「上条-さやか」の関係がそのままであること。……さやかの幸福は、隣で、コンサートホールで上条がヴァイオリンを弾くことであった。だが、その幸福は「上条-さやか」の関係が前提とされていたのである。その世界において幸福であった。さやかはいわば「見返り」を貰えた。
2011-04-27 09:33:03だが、緑と上条がつきあうとなれば、「上条-さやか」の関係は壊れてしまう。もしくは「上条-さやか」が恋人の関係になることも、元のものとは異なってしまう。かつ、今のままの自分であっても「ゾンビ」であるから、関係は異なってしまう(一番最後の所は疑問符つきであるが)。
2011-04-27 09:33:12さやかは上条を信頼していた。だが、それは無残にも裏切られる。それも、本人に裏切りの意図がないままに。さやかに残された自己肯定は「相手に気づかれなくてもいい。自分のための魔法少女ではなく、見返りなしの贈与を行う魔法少女になること」であった。
2011-04-27 09:33:20それはまさに、神に似ようとするような、すなわち聖人になるのに等しい行為である。自分の身体を痛みを伴ってわけ与える行為である。「これこそが自分の望んだことなんだ。これが『魔法少女』なのではないか…」しかし、さやかは、暗黙のうちに見返りを期待していた。
2011-04-27 09:33:36電車の中でのホストの会話で衝撃を受けた点はまさにこの点に他ならない。すなわち、「贈与-返礼」が一人の人間と人間の間に行われるのではなく、与えられた側の同一性のもとに自分が回収されて、贈与が当然だと思われること。
2011-04-27 09:33:55作品中に描かれているように、ホストに「被贈与による暴力がない」と考えてよいのかは疑問点の残るところであるが、もし暴力がないのだとすれば、これ以上の純粋贈与はないだろう。贈与とは、他者に向かって行われるものである。だが、もし同一性に留まるのであれば、それは他者ではない。
2011-04-27 09:34:04