- yuko_matsuzaki
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「作品を購入し続けることは現実的ではない」非常に興味深い発言で、先の美評連シンポでの蔵屋美香氏の発言通り。美術館は作品を収集しない方向へシフトする。無論作家もそれに合わせた行動をとる> MoMA館長らが登壇のシンポジウムがアカデミー・ヒルズで開催bijutsutecho.com/magazine/news/…
2018-11-17 08:37:08美術館は作品を収集しなくなり、美術大学は作家を教師として雇用しなくなる(無論どちらも0にはならないかもだが、極めて絞られる)。この動向は、美術家にはっきりとしたキャリアパスの変更を促す。作家はこの前提で「サバイバル」をする、というなら「サバイバル」の内実自体を考えねばならない。
2018-11-17 08:41:16以前作品はすべて3Dデータ化してネットに置かれることを想定したツイートしてるのだけど、twitter.com/nagasek/status… もう美術館側がその前提で動いているわけで、では美術館とは「作家にとって」何かは再検討すべきだろうと思う。
2018-11-17 08:48:29とにかく過去のあらゆる「制作」が詳細に3Dスキャンされ無料で公開されつつ実作は富裕層の独占、というのは不可避かもしれず。こうなってくると同時代の美術家のサバイバルも、単に美術館に収蔵されてアガリではなくいかに高品質な3Dデータをネットにばらまいておくか、という状況はもう来てる
2018-07-25 09:59:26全ての作品はデータになってネットに置かれ、事後的に自由に検索されタグ付けされて、視点次第で「歴史」が書かれる。以前アートダイバーのインタビューで答えた「歴史が単線ではなく編み目化し、歴史がたくさん生まれてくる」というビジョンはすでに即物的に進行してるartdiver.moo.jp/?p=973
2018-11-17 08:52:16「批評家に言説化されそれが美術館への作品収蔵と美大への雇用に繋がる」という美術家のキャリアパスが、大筋で崩壊したんだと思う。批評が現役作家をきちんと批評する場が減り、美術大学が若手の雇用を絞る中で美術館のコレクションが最後の幻想を維持していたけど、それも消えるという傾向。
2018-11-17 09:00:00もちろんこの傾向には時間的なディレイがある。美術館が作品収蔵をデータに切り替えたとして、美術館がデータを所蔵してくれた、というブランディングでマーケットで売り上げる、というモデルはある期間可能だろうけど、そのうち作品の高精度データもパーソナル化するでしょう。その後どうなるか。
2018-11-17 09:06:19当然、作品のデータ収蔵が一般化しても、美術館の優位はある程度残ると思うけど、それはストレージの堅牢性とかデータの精度みたいな即物的な面ではなく(それはすぐパーソナル化していく)、とても曖昧な「ブランディング」に還元されていく。だとすると、、、ということよね。
2018-11-17 09:12:35美術館が作品収蔵をデータ化するっていう場面、案外批評って活性化するかもだな。「広告」じゃなくて「批評」ね(この2つを見分けるのは難しいのだけど)
2018-11-17 09:34:13美術「広告」ばかりがあって美術「批評」がどんどん削られてる状況で、はたしてどのように「批評」をサバイバルさせるかは、作家のサバイバルを考え直す意味でも必須の行程だと思う。
2018-11-17 09:36:58こうなってくると、先の宇佐美圭司の絵が東大生協で廃棄され、今は東大の復元画像データしかない、という状況が、まったく別の文脈に置かれてくる可能性があるな>美術館の作品(非)収蔵問題
2018-11-17 09:49:32…どなたか、先の芸大での「事物の権利、作品の生」シンポについてのテキストを僕に発注しません?東大シンポも聞いていているし>こうなってくると、先の宇佐美圭司の絵が東大生協で廃棄され、今は東大の復元画像データしかない、という状況が、まったく別の文脈に
2018-11-17 09:51:59拝読した。妹さんについては適切な専門家に相談すべきだと思う>妹のゴミ部屋を掃除した anond.hatelabo.jp/20180515221222
2018-11-17 10:09:09美術館が作品を物理的には収蔵せず、データのみ収蔵となった場面で、では作品はどう変化するだろう。問題は「信用」の側面と「メディウム」の側面で考えられる。近代美術で絵画がヘゲモニーを持ったのは、近代市場でキャンバス絵画が可搬性=流動性で優位だった、という見方は可能だろう。
2018-11-17 10:38:10一般に近代以後の美術では、美術館が作品の価値を担保する。その美術館がデータで作品を収蔵する場面で、優位に立つのは元からデータである作品、またはデータに対するメタデータ(を作品化したもの)だろう。
2018-11-17 10:41:02データ化された作品ではなく、作品そのものがデータ(メタデータ含め)である作品。次世代美術館と、そこに信用担保された市場で「データ」こそがフェティッシュの対象となる。
2018-11-17 10:43:08データのみを収集する美術館が作品の価値担保機能を維持した場合、データ化された作品ではなくデータ自体が作品、というものが主導権をとるとして、しかしむしろデータだけを収集する美術館は今のような立場をそのまま維持するか?という課題は出るだろう。データはストレージの場所を選ばないからだ。
2018-11-17 10:49:13データしか収集しなくなった美術館の「価値」は、ではどこにあるのだろう?オブジェクトではない、というのなら、本来はそれは「美術館でしか製造できない言説」となるはずだ。研究と歴史化、というだけではない。むしろ研究と歴史化に値する作品である、と言明する価値判断を伴った「批評」。
2018-11-17 10:51:36とすると、データしか収集しなくなった美術館の「価値」は、研究と歴史化に値する作品であると言明する価値判断を伴った「批評」に担保される? それは、なぜ美術館でしか製造できないのか? はい、そうです。「批評」は別に美術館でしか製造できないわけじゃない。
2018-11-17 10:54:09オブジェクトとしての作品がデータに解体されたとき、近代的な意味での美術館もまた解体され、そこでは視覚文化ショーを行うエンターテイメント的「美術館」が華々しく集客する。で、めでたく近代美術は「そういうものもあったねぇ」という「資料」になる。
2018-11-17 10:57:24ちなみに「美術館が収蔵をデータに切り替えるには時間がかかるから、その間今の体系は残る」とか考えるのはもうアーティストでも、美術人でもないですよ。美術館がオブジェクトを購入するのは現実的でない、と語った瞬間に、ある未来は開かれたんであって、そこに向けてどう対峙するか。
2018-11-17 11:18:51