『日本国紀』正誤表/および参考文献
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秘密警察組織である藍衣社が特別な力を持つようになったのも、ゼークトの献言による日本敵視政策を取り入れるようになってからである。
2018-11-27 09:17:57#日本国紀 (3刷)P.446ゴー・チョクトンの言葉 出典の『諸君!』を確認したところ、当該箇所は丸ごとJapan Times記事からの「引用」とされていることがわかった。Japan Timesの元記事も見つかった。元が英字紙なので古川栄一による和訳と思われるが、日本国紀はそれを孫引きした形だ。 pic.twitter.com/ePGEgTwFZW
2019-01-14 15:00:41『諸君!』とJapan Timesの記述を照合すると、かなりツギハギされていることがわかる。「日本語版」の3文目に該当する「英語版」の箇所に「植民地」「解放」にあたる語は見られない。 pic.twitter.com/dQt5Q7GTkl
2019-01-14 15:14:32特に、赤でマークした「アジア人」「自信」の箇所は””が付かない記事の地の文、つまり記者による作文であって、ゴー自身の言葉ではない。実際、この時のゴー・チョクトンの演説の中にconfidenceやAsian peopleといった語は出現しない。 #日本国紀 pic.twitter.com/wMfXdb4UKR
2019-01-14 15:20:32この時のゴー・チョクトンの演説内容はシンガポール国立公文書館にあることがわかった。この「言葉」を使うなら適切に引用・訳出すべきである。 【PDF】 nas.gov.sg/archivesonline…
2019-01-14 15:31:15【コラム】「日本というおかあさん」を訪ねて
百田尚樹名義の『日本国紀』読んでいて驚いた。これまで名越二荒之助文献に登場して、以来ウヨ系にコピペされまくっているタイのプラモード氏による「日本というおかあさん」ネタ、出典が不明で多くの人が調べまくっていたが百田本でついに新聞掲載年月日が特定されたのはスゴいニュースではないか(棒 pic.twitter.com/H1sAoaQEg4
2018-11-14 09:08:57#日本国紀 P.447プラモート氏の記事、「現地の新聞」を引用した風だが、当該紙はタイ語なので「誰か」が和訳したものと思われる。この記事を紹介した最古と思われる名越二荒之助『大東亜戦争を見直そう』の該当箇所を確認すると読点の有無、漢字/かな、1箇所の「決心/決意」を除き完全に一致する。 pic.twitter.com/Dk4YkTLpxH
2018-12-01 17:08:37同書には新装版(明成社2007年)があり、また、名越は『世界に開かれた昭和の戦争記念館第4巻大東亜戦争その後』「昭和の戦争記念館」刊行会編著(編集長:名越二荒之助)展転社2000年でも同じ記事を紹介しているので、直接にはこちらかもしれないが・・・。
2018-12-01 17:23:53この件では、こんな国会図書館「レファレンス事例」が見つかった。誰かが今年6月にこの記事の出典を照会して「未解決」に終わったらしい。京都大学東南アジア地域研究研究所図書館に資料があるかもしれないらしいので、京大にアクセスできる方がいらしたら・・・ crd.ndl.go.jp/reference/modu…
2018-12-01 17:44:36日本国紀P446のインドの元大統領の発言、「草莽全国地方議員の会」(soumou.info/chomeijin-ind.…)のサイトの掲載とテンマルを除いてほぼ一致ですね。どういうことなんでしょう。年月なしの新聞記事というのも謎すぎて。 pic.twitter.com/7hgEANSW1T
2018-12-02 11:21:27#日本国紀 P.447プラモートの記事追記。@tyuusyo すんすけさんの情報を元に草莽全国地方議員の会サイトのプラモートの記事を確認したところ1文字(生/産)の置換以外、名越版との比較では異なっていた読点、漢字/かなも含めて一致しています。これがあれば手入力不要ですね。soumou.info/chomeijin-thai…
2018-12-02 20:17:47もう一つ興味深いことに、名越がこの記事の「題」が12月8日としているのに対し、日本国紀は「掲載日」が12月8日であるかのような表記をしている謎がありましたが、このサイトのキャプションを見ると「年」が欠けているものの、「サイアム・ラット紙12月8日」付の記事とも見えうる表示になっています。
2018-12-02 20:30:52タイの国立国会図書館のサイヤムラット紙のバックナンバーを調査しましたが、該当記事は記載の1955年12月8日前後、および中村明人がタイを訪れた同年の6月9日の前後にも見当たらないとの結果になっています。 少なくとも、百田氏が記載している日の同紙には掲載してないことは確定です。 twitter.com/hayakawa2600/s…
2018-12-02 04:42:46補足ですが、確認できる限り「十二月八日」という記事が1955年の12月8日に掲載されたとは名越氏は書いてません。違う年かもしれないし、別の日かもしれない。この存在を確認するには膨大なククリットの政治論考を延々調べるしかない。百田記載の掲載日にはないというのは確定ですが @hayakawa2600
2018-12-02 05:09:25【大発見】保守本で濫用される「プラモート氏発言」の参照元が、実は存在しなかったことが判明【日本コピペ紀】 rondan.net/9564
2018-12-24 15:38:17論座に「『日本国紀』に現れた「日本というお母さん」伝説」を寄稿しました webronza.asahi.com/culture/articl…
2019-05-09 09:07:45「今回、百田『日本国紀』でこの記事が掲載された年月日がはっきりと活字になったことは、これまで右派系〈大東亜戦争でアジアを解放した〉論者がコピペにコピペを重ねてきたこの発言の出所を、はじめて明らかにしたという画期的な意義を持っている」からはじまる調査〜
2019-05-09 09:22:11「「感動した」「涙が出てきた」「WGIPの洗脳が解けた」……その感激が捏造発言によってつくられたものではないことが証明されたのだ――と、感極まってみたいものだが、さて百田尚樹『日本国紀』の掲載日付はホントなのだろうか?」と続くわけですね。
2019-05-09 09:57:19第2回がアップされましたあ。これまでプラモート「日本のおかげでアジアは独立した」記事がどのようにアレンジされ・姿を変えながら利用されてきたのかをたどります。:「日本というお母さん」記事の改変と跋扈 - 早川タダノリ|論座 - 朝日新聞社の言論サイト webronza.asahi.com/culture/articl…
2019-05-13 15:14:30「その中でも、故・清水馨八郎(千葉大学名誉教授)によるものが、最も名越の原型から遠ざかり、また時空間もねじ曲がっている興味深いものであった」……と、清水馨八郎の本にしか登場しないレアなバージョンもしっかり引用しています。
2019-05-13 15:20:13