家具デザインの歴史 _ ドイツ・イタリア編(1945-1970)

書籍「近代から現代までのデザイン史入門 1750-2000年」 / トーマス・ハウフェ」をベースにしています。 今後随時掘り下げの更新をしていく予定。
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はるき @kiruhachi

引用すると、「50年代における最も重要な企ては、ウルムの造形大学(HfGであり、20年代と30年代の民主主義的なドイツのデザインの伝統と結びつけて、独自のモダンで包括的なデザイン概念を得ようとした。」 「ウルム造形大学は機能主義を支持し、(続く

2018-11-09 01:34:27
はるき @kiruhachi

続き)この機能主義は直角の単純形態、控えめな色彩、とりわけシステム思考を普及させた。」「やがてウルム造形大学はバウハウスの手本と関係を断ち、教育の重点をデザインの科学的、テクノロジー的、方法論的基盤に置いた。」(続く

2018-11-09 01:35:05
はるき @kiruhachi

続き)「デザインでの芸術に徹底的に反論」(このある種過激な思想とビルは対立し、ビルは辞職することとなる。) 「60年代初めには、…純粋にテクノロジー的な問題解決が中心に据えられた。」以上引用。

2018-11-09 01:35:29
はるき @kiruhachi

イマイチ難しい… ただ言えることは、「デザインと芸術の統合といった、バウハウスの教育理念を継承しようとした。」とよく言われているようであるが、本質はそこではないということかな。ウルム造形大学がテコ入れしたのは、「問題解決のためのデザイン」である。むしろ芸術思考は排除されている。

2018-11-09 01:38:02
はるき @kiruhachi

現代においては、「問題解決にフォーカスした、芸術の排除」による機能的な美しさが、ドイツ芸術として受け入れられているという構図であろう。芸術の排除という芸術。

2018-11-09 01:40:40
はるき @kiruhachi

"問題解決のための、システム概念によるデザイン手法の構築"は「企業」と相性が良く(マーケティングベースのアメリカとは違った側面で)、企業との共同開発を行う活動が目立つ。

2018-11-09 01:43:33
はるき @kiruhachi

今では当たり前すぎてイマイチぴんとこないが、「問題解決のためにデザイナーが企業とコラボし、システマチックに良品を量産する」というスタンスを構築したのが、ウルム造形大学なのである。

2018-11-09 01:45:49
はるき @kiruhachi

マックス・ビルとハンス・ギュジョロの作品「ウルム スツール」がウルム造形大学的思想の根源としてふさわしい。機能的。芸術(作家性)の排除。ゆえに時間を超える美しさがある。まさに今の質実剛健なドイツデザインを彷彿とさせる。 metrocs.jp/special/maxbil…

2018-11-09 01:51:13
はるき @kiruhachi

なんだかあまりパッとしないけど、今日の勉強終わり。明日はウルム造形大学のデザイナー達を見ていこうかな。そうすればもっと何か見えてくる…はず…。

2018-11-09 01:53:23
はるき @kiruhachi

仕事で遅くなってしまったので、今日の勉強はちょっとだけで…。昨日は「結局ウルム造形大学ってどんなデザインをして、現代ドイツにどんな影響を与えているの?」とややモヤモヤしたので、関わりの深いデザイナーを調べてみた。(1人ですがw

2018-11-10 02:11:35
はるき @kiruhachi

その人物は、マックス・ビル(Max Bill)と妻を伴い、ウルム造形大学の設立に加わった、"オトル・アイヒャー"である。彼の注目すべき点は、「デザイナーはより良い社会のための仕事をする道徳的責任がある」と説いた点である。

2018-11-10 02:13:31
はるき @kiruhachi

そしてアイヒャーは、不必要な要素を取り除いて本質的要素にまで突きつめ、単純で的確で単表示を用いたわかりやすい情報伝達に努めている。有名なのは、ミュンヘンオリンピック(1972)のビジュアルデザインの仕事であろう。

2018-11-10 02:15:29
はるき @kiruhachi

これな。 元の写真の色をそれぞれ3〜5色程度へ変換している。色の変化が少ないぶん、躍動感がストレートに伝わる。 pic.twitter.com/a6evxzkajX

2018-11-10 02:16:43
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はるき @kiruhachi

アイヒャーやビルの仕事から浮かび上がってくるのは、ウルム造形大学では、"削ぎ落とし"によって"普遍的な"デザインに尽力したということであろう。それは"芸術性なしの芸術"であり、問題解決のデザイン=機能主義のデザインを突き詰めたということになる。

2018-11-10 02:21:05
はるき @kiruhachi

モノを見てみると、バウハウスとウルム造形大学は似たようなものを生み出しているのだが、"削ぎ落とし"や"機能の突き詰め"に対して、それを"芸術"として捉えていたか、"問題解決"として捉えていたかが大きな違いであろう。

2018-11-10 02:24:18
はるき @kiruhachi

後者であるウルム造形大学の功績は、"思想として"あるいは"わかりやすい方法論として"現代に根付いている。"システム構築"に力点をおいたウルム造形大学であるからこそ成し得た結果であろう。

2018-11-10 02:28:22
はるき @kiruhachi

なんとなく腑に落ちたかな。今日はこんなところで…。 一週間お疲れ様でした^^

2018-11-10 02:29:41
はるき @kiruhachi

いま、「近代から現代までのデザイン史入門 1750-2000年」 / トーマス・ハウフェを読んでいる。今日から新しい章、「1954-1968 グーテ・フォルムとベル・デザイン」に入った。

2018-11-19 01:51:02
はるき @kiruhachi

タイトルからもわかる通り、ドイツとイタリアのデザイン・アイデンティティーが形成されていった60年代の様子が綴られている章である。

2018-11-19 01:53:14
はるき @kiruhachi

まずは60年代全体の気分が書かれたセンテンスを引用してみる。「50年代は目覚めの時であり、奇跡の経済復興は60年代にその頂点に達した。…技術は再興後に猛スピードで発達した。60年代末には月に人類が初めて降り立った。」(続く

2018-11-19 01:54:29
はるき @kiruhachi

続き)「芸術を目指すことが50年代におけるよりも弱まり、むしろ技術、化学、最新の生産方法にデザインは目を向けた。」「運輸、宇宙技術、コミュニケーション、メディア、合成物質などにおける技術の進歩は、デザイナーを未来は的な住宅ユートピアへと鼓舞し、(続く

2018-11-19 01:55:22
はるき @kiruhachi

続き)新しい見慣れない形態と色彩の製品を生み出した。」 「60年代末(70年代への移行期)のデザインのあなたな推進力が、とりわけ学生運動、ポップ・アート、音楽、映画から生じた。」こんな感じかな。

2018-11-19 01:55:41
はるき @kiruhachi

つまり60年代は、技術的側面がデザインを押し殺して成長した時代でもあり、70年代に近づくにつれ、その技術の進歩がデザインの発展に結びついた時代でもある。前者の立役者がドイツ、後者がイタリアという構成であろうか。移ろいの時代。

2018-11-19 02:00:55
はるき @kiruhachi

まずは"技術のドイツ"から。50年代のキラーコンテンツ、「ウルム造形大学(HfG)について引き続き述べられている。

2018-11-19 02:05:51
はるき @kiruhachi

引用すると「ウルム造形大学において特にはっきりと現れた機能主義、テクノロジーへの方向づけ、システム思考に関する理論は大量生産にその効果を見せた」「ウルムは成り行きを指し示した。60年代のドイツのデザインにおいては機能主義と「グーテ・フォルム」が様式原理になり、」(続く

2018-11-19 02:07:14
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