家具デザインの歴史 _ ドイツ・イタリア編(1945-1970)

書籍「近代から現代までのデザイン史入門 1750-2000年」 / トーマス・ハウフェ」をベースにしています。 今後随時掘り下げの更新をしていく予定。
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はるき @kiruhachi

「機能的でテクノロジー的な側面がデザインにおいて重要になり、ほとんどのデザイナーは自分を造形者であるよりもむしろ技術者であると思い、人間工学が新しい重要な職責領分になった。」 「その直角的形態とウルムのシステム思考は大量生産に受け入れられた。」

2018-11-19 02:07:34
はるき @kiruhachi

一方で、「建築やデザインにおける直角的な形式主義を引き起こし、これはすでに60年代中頃に機能主義への激しい批判を一部においては呼び起こしていた。」「形態は、より堅固で、より角張り、よりザッハリヒであるが、陳腐であった。…あまりにも退屈な量産品や、(続く

2018-11-19 02:08:16
はるき @kiruhachi

あるいは非情な衛星都市とパネル構造集合住宅へと行き着き、洗練された生活感が感じられず、しばしば社会問題となったのである。」こういったネガティブな側面もあったようだ。

2018-11-19 02:08:50
はるき @kiruhachi

しかしここで押さえておくべき、50年代後半~60年代のドイツの功績はもちろん、技術の発展による機能主義的デザインの極地まで至った点である。

2018-11-19 02:10:49
はるき @kiruhachi

この思想だな。 twitter.com/kiruhachi/stat…

2018-11-19 02:11:41
はるき @kiruhachi

イマイチ難しい… ただ言えることは、「デザインと芸術の統合といった、バウハウスの教育理念を継承しようとした。」とよく言われているようであるが、本質はそこではないということかな。ウルム造形大学がテコ入れしたのは、「問題解決のためのデザイン」である。むしろ芸術思考は排除されている。

2018-11-09 01:38:02
はるき @kiruhachi

さらにこれ。 twitter.com/kiruhachi/stat…

2018-11-19 02:12:24
はるき @kiruhachi

現代においては、「問題解決にフォーカスした、芸術の排除」による機能的な美しさが、ドイツ芸術として受け入れられているという構図であろう。芸術の排除という芸術。

2018-11-09 01:40:40
はるき @kiruhachi

この時代のドイツにおいてもっとも重要なのが、ウルム造形大学設立関係者たちと、ブラウン社との協働であると述べられている。

2018-11-19 02:13:57
はるき @kiruhachi

ブラン社とはこれです。 ブラウン社 | 現代美術用語辞典ver.2.0 artscape.jp/artword/index.…

2018-11-19 02:14:55
はるき @kiruhachi

ブラウン社サイドのデザイナーとして、もっとも重要なのが、ご存知「ディーター・ラムス」である。彼は1955年にブラウン社に入社している。ウルム造形大学との協同が始まったのも、この頃から。

2018-11-19 02:17:20
はるき @kiruhachi

ラムスについて本書では、「D.ラムスは、1955年にこの会社に参加し、最終的に機能主義的なイメージを頂点まで発展させた。彼の信条は、「より少ないデザインがよりいいデザインである」であった。」と書かれている。

2018-11-19 02:20:15
はるき @kiruhachi

この思想はウルム造形大学の思想とぴったり合う。ラムスはウルムから多大な影響を受けていたと言って間違い無いだろう。

2018-11-19 02:20:30
はるき @kiruhachi

なかでももっとも革命的であったのが、ハンス・グジェロとラムスの共作"SK 4"(ラジオ内臓レコードプレイヤー)やラムスの"TS 45"(チューナー)であろう。作品を見れば一発でわかる。これが60年代にドイツが成し得たデザインである。 pic.twitter.com/Yas6IrL8nz

2018-11-19 02:28:30
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はるき @kiruhachi

50年代にバウハウスの継承として生まれたウルム造形大学が、「芸術」という側面を削ぎ落とし、技術・システムによる造形に熱中した。そのたどり着いた先が、ブラウン社の商品の数々である。

2018-11-19 02:38:31
はるき @kiruhachi

以上が、60年代デザインの偉大なる功績のひとつ。それはドイツで生まれたのである。

2018-11-19 02:39:38
はるき @kiruhachi

今日はこの辺で。明日はイタリアをみていく^^

2018-11-19 02:40:05
はるき @kiruhachi

今日はイタリアの「ベル・デザイン」について。60年代のイタリア^^ twitter.com/kiruhachi/stat…

2018-11-21 01:23:18
はるき @kiruhachi

いま、「近代から現代までのデザイン史入門 1750-2000年」 / トーマス・ハウフェを読んでいる。今日から新しい章、「1954-1968 グーテ・フォルムとベル・デザイン」に入った。

2018-11-19 01:51:02
はるき @kiruhachi

ちなみに、「ドイツで「グーテ・フォルム」であったものがイタリアでは「ベル・デザイン」であり」と書かれているのだが、ベル・デザインというワードに関して、これ以上のことが何も述べられていない。どこあるいは誰からどう生まれた言葉なんだ…

2018-11-21 01:25:02
はるき @kiruhachi

ググっても出てこない…==;誰かおしえてください…

2018-11-21 01:26:01
はるき @kiruhachi

まあ引用を続けると、(「ベル・デザイン」は、)大製造業社の主流デザインを担っており、合理的で生産向けであったが、しかしデザインそれ自体に別の価値を認めていた。」 「物事は、個別的な個性によって把握され、シンボルに、ほとんどの場合に社会的地位のシンボルに活用することができた。(続く

2018-11-21 01:26:56
はるき @kiruhachi

製品はデザイン・オブジェとなった。」「これの次に重要な局面は、文化の一部としてのデザイン把握であった。…デザインは専門家や技術者のもんであったのみならず、同様に建築家、哲学者、文筆家の関心をも引いた。…優れた理論家たちは、(続く

2018-11-21 01:27:21
はるき @kiruhachi

続き)今日まで建築やデザインの雑誌においてデザインについての議論を広く公然と提供したし、提供してきている。こうしたデザイン議論がドイツで起こるのは、やっと80年代になってからであった。」

2018-11-21 01:27:41
はるき @kiruhachi

そして1952年頃の合成物質ポリプロピレンの発明を受けて、「多数の企業は熱心にフォームプラスティック、ナイロン、ポリエステルのさらなる開発に努めた。…化学産業においては改良された合成物質の新しい活用の可能性が絶えず探られた。この可能性はことに家庭用品の領分や家具製作に見出された。」

2018-11-21 01:31:49
はるき @kiruhachi

イタリアの概要なこんな感じ。ドイツとの決定的な違いは、この時代から、デザインが個人や企業のステータスと結びつくもの、つまりはアイコンあるいはシンボルと捉えられたことであろうな。

2018-11-21 01:52:32
はるき @kiruhachi

簡単に言えば、「このデザインのモノを所有している人は」、「お金持ち」「センスがいい」「かっこいい」という認識が生まれていたということだ。いまでは当たり前すぎて、逆にこれがない世界を想像しにくいが、ドイツではあまりなかったのであろう。

2018-11-21 01:53:27
はるき @kiruhachi

それは、ドイツでは、「技術」という認識があまりに強かったことが原因であると考えられる。

2018-11-21 01:54:15