時計屋シリーズ9~時計屋と三好の娘の話~

未成年略取未遂…
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まとめ 時計屋シリーズ9~時計屋と三好の娘の話~ 未成年略取未遂… 1049 pv 3

本編

帽子男 @alkali_acid

時計屋の、右手の小指と薬指は爆弾になっている。 それぞれが別々になっている状態が何も起こらないが、二つをつなげて数秒経つと炸裂し、人一人なら粉々にしてしまう効果がある。

2018-11-24 21:49:41
帽子男 @alkali_acid

時計屋は、墓石を薙ぎ倒しながら突進してきた巨漢のフジツボに似た口へそれを放り込むと、一瞬たりとも無駄にせず、すぐそばにしゃがんだ少女をかばうように抱いて、地面に転がった。

2018-11-24 21:53:38
帽子男 @alkali_acid

肉体の破壊を告げる音とともに、血と肉が飛び散り、雨となって降り注ぐと、時計屋の背といわず髪といわず、そこかしこを赤く染めた。 「あ…ぅ…ぁっ…」 朦朧としてあえぐ娘の瞳の中に、紅に濡れそぼった酷薄そうな男の姿が映るのを、まるで鏡でも見るように時計屋は覗き込んだ。

2018-11-24 21:57:10
帽子男 @alkali_acid

何に苦しんでいるのか、表情から探る。だが答えは別の場所からやってきた。手首に巻いた音叉式の腕時計が伝える激しい震え。一定の周期で終わりなく繰り返す振動。 「鐘の音…」 呟いてから、手袋でおおった左の掌と、むきだしの右の掌で、少女の両耳をふさぐ。気休めにもならないのは分かっていた。

2018-11-24 22:02:37
帽子男 @alkali_acid

◆◆◆◆ 次藤健作はいらだっていた。現在と過去の自分に。 だが歯ぎしりしつつも、時計屋としての作業は休みなく続けていた。 検証、確認、再現。 手首に巻いた音叉式の腕時計、米国の軍用規格に基づく耐衝撃構造を備えた品を外すと、あたりを包む霧はあっさり晴れた。

2018-11-24 22:06:23
帽子男 @alkali_acid

だが万事解決ではない。目を凝らすと、市街の方にはまだ薄い靄がかかっている。さらに外して墓石の上に置いた時計そのものの振動は止まらず、やかましく踊り続ける。 おまけに目の前にいるはずの親友の娘、三好都築が魔法のように掻き消える。 「むかつくな…」

2018-11-24 22:10:07
帽子男 @alkali_acid

舌打ちをして、また面倒な小道具を装着する。 霧の世界に戻ると、次藤は都築を横抱きにし、寺務所へ向かった。 先ほどの混乱で惨死した住職と寺男の屍には振り返りもしない。 畳の間に寝かせると、うめく娘をあらためて診る。 服の胸に食い込んだ黒い欠片が注意を引く。

2018-11-24 22:12:58
帽子男 @alkali_acid

都築の先祖、三好家の代々の墓を暴いたとき、骨壺から飛び出した歯、というか牙だ。病気によって変形したものだという。火葬に耐えて炭化、というか石化したように見える。 つまみとろうとすると簡単には外れない。溜息をついていったんそばを離れ、手当てに使えそうな道具を漁る。

2018-11-24 22:15:18
帽子男 @alkali_acid

泥棒のまねごとなら得意だった。 誰に教わったのでもないが、必要な知識は書物で得て、自らを鍛錬した。 だが刃物を調達して少女の服を切り裂き、牙を外し、持ち去ろうとすると、相手はいっそう苦しみ始めた。 次藤は眉をひそめた。牙をまた近づける。じっと観察してから、やがて気づく。

2018-11-24 22:18:19
帽子男 @alkali_acid

炭化した牙のそばでは腕時計の振動が弱まる。 「…骨…振動…」 髪をかきむしり、またあちこちをひっくり返す。数珠を見つけると、一粒一粒に刃物で切り込みを入れ、一部をえぐり出す。見ている人がいれば唖然とするような指の力と巧みさで法具に罰当たりな細工を施していく。

2018-11-24 22:21:42
帽子男 @alkali_acid

えぐれた数珠に瞬間接着剤を塗り、牙を埋め込んで、勾玉のまがいもののような飾りに仕上げると、ひもを長いものに変え、都築の首にかけてやる。 かすかに乱れた呼吸が和らいだようだった。 「…訳が分からねえ」

2018-11-24 22:24:52
帽子男 @alkali_acid

電話をとって救急につなごうとしたが、当然のように不通。 腕時計を外してもつながらない。念のため警察にもかけたが同じ。 「…くそが」 窓から市街の方をうかがうと、靄が濃くなっている。 次藤の、もともと人相のよくはない顔つきがさらに暗く、目つきがよりきつくなった。

2018-11-24 22:27:26
帽子男 @alkali_acid

布団を出して都築を寝かせると、また寺務所を探って回る。 軽トラックが一台。路面電車の幹線から遠い立地だけに、自動車を置いているようだ。鍵も難なく見つかった。武器になりそうなのは鉈と円匙、包丁は長い棒材があれば槍にできる。プロパンガスのボンベは嵩張るが時間があればいじってもいい。

2018-11-24 22:33:42
帽子男 @alkali_acid

続いて市内の地図を確認し、まず病院、次いで警察署、消防署、交通機関、ガソリンスタンド、ガス会社の営業所などをあらためてゆく。記憶と違いはない。

2018-11-24 22:35:41
帽子男 @alkali_acid

墓地の方から喚き声と唸るような羽音を聞いて黙考から抜ける。 鉈を携えて様子をうかがいに出ると、鴉の群が屍をついばんでいた。 いや、鴉ではない。蜂だ。雀蜂に似ている。ただし大きさが猛禽ぐらいある。頭は三つ目の蛇に似ている。

2018-11-24 22:38:12
帽子男 @alkali_acid

しばらくじっと見つめていたが、かかってくる気配がないのでまた屋内に戻る。ただし窓は雨戸を引いて、開放部がないかは確認する。 全身からなまぐさい匂いがするのにやっと思いいたり、先ほど殺した寺男の血で汚れた服を脱ぐ。水道はないが内井戸がある。水はおかしな香りがついているが。

2018-11-24 22:40:58
帽子男 @alkali_acid

一通り身を清めると、今度は鍋に井戸水を張って煮沸する。だが陽炎に似た虹色の湯気が立つのであきらめ、代わりに食糧をあさり、みかんを見つけ、絞ってジュースにする。 「都築ちゃん」 じっとり汗をかいた少女のもとへ運んでいく。

2018-11-24 22:44:07
帽子男 @alkali_acid

「ぅ…ぅっ」 「飲み物…飲めるか?」 「ぁっ…おか…さ…」 「…飲めるなら、飲んだ方が良い。汗かきすぎだ」 「ぁっ…ぅっ…」 難しそうだった。仕方なく汗だけぬぐい、着替えさせる。寸法の合わない男物しかないが、あきらめるよりない。

2018-11-24 22:46:00
帽子男 @alkali_acid

「…ちっ、鐘、まだ鳴ってんのか」 相変わらず聞こえない音に耳を澄ませ、作業に戻る。 武器をこしらえ、経路を確認し、計画を立てる。もはや昼とも夜ともつかぬ薄明のもと、次藤は疲れなど知らぬげに、ただひたすら働き続けた。

2018-11-24 22:51:27
帽子男 @alkali_acid

◆◆◆◆ いつの日か母がいなくなり、己もあの世のものになるのだと、都築は理解していた。けれどその日は、まだはるか先だとも思っていた。 だが重い鐘の音が止まず、割れるような頭の痛みがさいなむうち、そうではないのだという認識が、胸を刺し貫くような痛みとともに訪れた。

2018-11-24 22:55:04
帽子男 @alkali_acid

周囲を取り巻く先祖の骨に触れるにつれ、脳裏に浮かぶ見覚えのない景色が、少女を三好の家のさだめに否応もなく向き合わせた。 具足をまとい、馬を駆り、弓を引き、あの世のものとなったともがらを射貫く。やがて得物は火縄になり、猟銃になっても、血の匂いは同じ。

2018-11-24 22:58:25
帽子男 @alkali_acid

そうして殺しつくしたはてに、あの世のものとなり、強く慕う親兄弟、妻や夫、子供を襲い、待ち構えていた相手の返り討ちに遇い、死ぬ。 走馬灯のような先祖の記憶のあいまに、都築は、生前一度も会えなかった父、肇の顔を初めて見た。幼い少年の姿をしていた。

2018-11-24 23:03:15