【クラウド・オン・ザ・ディープウォーター セグアム編#1】「曇天」

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えみゅう提督 @emyuteitoku

「曇天も、大の字で寝そべって見上げてみると、意外と気分がいいもんだな」スクトゥムの視界は曇り空で覆われていた。先の戦いで艤装を失った彼女は、久しく忘れていた生身の感触を楽しんでいた。「いい景色だ…後は周りが静かだといいんだけどよ」彼女を包む呻き声が響く。1

2018-11-26 17:11:48
えみゅう提督 @emyuteitoku

スクトゥムの四肢とツーテールの髪を、複数の深海棲艦が掴んでいた。しかし掴んでいるだけで、何もしない。たまに揺すったり引っ張ったりするだけだ。まとわりつく深海棲艦達は皆腐った魚じみた目をしている。「もう好きにやってくれー。…飽きた」「おい、スクトゥム。真面目にやれ」2

2018-11-26 17:13:22
えみゅう提督 @emyuteitoku

右目がない深海棲艦がスクトゥムを叱責した。チェルノボグだ。彼女もフューリアスにメンポを砕かれ素顔でいるのだが、彼女の顔は青黒い返り血で塗りつぶされていた。返り血の仮面に浮かぶ蒼緑の炎光を放つ左目が、戦場で寝転ぶスクトゥムを睨む。「顔を上げろ、また集まって来た」3

2018-11-26 17:15:10
えみゅう提督 @emyuteitoku

チェルノボグはスクトゥムが立ち上がれるように、彼女の髪を掴んでいた深海棲艦の頭を蹴り飛ばす。一撃で頭蓋を砕く恐るべきキックである。しかし、普段のチェルノボグの鋭利な殺傷力を持つカラテではなく道端の石を蹴るような動作だ。「こっちも疲れてるんだ、休んだなら早く手伝ってくれ」4

2018-11-26 17:17:05
えみゅう提督 @emyuteitoku

「うい。んじゃもうちょっとやるか。イヤーッ!」シャウトと共にスクトゥムにまとわりついていた胡乱な亡者が弾き飛ばされる。と言ってもスクトゥムは伸びをして上体を起こしただけだった。今いる敵艦隊はたったそれだけの動作で退けられるほどに弱いのだ。だが、その数は――5

2018-11-26 17:18:34
えみゅう提督 @emyuteitoku

結局立ち上がらずに胡坐をかいたスクトゥムの視界は、曇天から黒い波に変わった。曇り空でも海はこんな色にはならない。海が深海棲艦で埋まっているのだ。「減らねえなー。もう飽きちまったよ。三百は仕留めたんだがな。チェルノボグ、今どれくらいだ?」「五千は越えた」「oh…」6

2018-11-26 17:19:08
えみゅう提督 @emyuteitoku

北方海域、アルフォンシーノ列島。北の海に巣食う深海棲艦のほとんどが、彼女達の眼前を埋める抜け殻めいた、取るに足らない相手だ。それでも北の海が驚異とされるのはその数。蟻の巣めいて海から次々と湧き出してくる。ぺろりと平らげられる小鉢盛りでも食い続ければ腹が弾ける。7

2018-11-26 17:21:50
えみゅう提督 @emyuteitoku

「ワンコソバだな」ぽつりとスクトゥムが言う。「女中に蓋を探して貰わなければならんな」「お、そりゃポエット。んじゃ、もいっちょぶっちぎるか!」コメツキムシめいて胡坐姿勢からスクトゥムが飛び上がった。黒い海に青い血煙が上がる。二人の奮闘の様子を、やや離れた場所から見守る仲間がいた。8

2018-11-26 17:23:12
えみゅう提督 @emyuteitoku

ボトムレスの上部ハッチからコールドレインが身を乗り出していた。「ウカツがなければ、私もあそこで戦っていたのに…」彼女は自身の失態を口惜しくこぼした。胡乱な群れ、動く死体の山、北の海の脅威は飽くまでも数。しかし、その中に紛れ込む艤装を扱える抜け殻も脅威の一つ。9

2018-11-26 17:25:08
えみゅう提督 @emyuteitoku

大西洋から北極海の氷のトンネルを抜け、はるばるアリューシャン列島にやって来たディープオーダーを待ち構えていたのは意志のない抜け殻の群れ。その時先陣を切って戦ったのはコールドレインだった。夏期でも気温が低い北方海域では少ない負担コリ・ジツを扱える格好のイクサ場だった。10

2018-11-26 17:26:35
えみゅう提督 @emyuteitoku

始めはその数に驚愕したが、敵が無力だと分かり、コールドレインはコリ・プレートの防御を攻撃に回した。丁度その時、艤装の扱いを記憶している深海棲艦が抜け殻の中に混ざっていたのだ。「ウカツ…ウカツ!敵を侮り深手を負うなぞ、なんたる恥…センセイに合わせる顔がない…」11

2018-11-26 17:27:48
えみゅう提督 @emyuteitoku

「深手と分かっているならとっとと横にならんかい」コールドレインをアルキドクセンが捕まえる。「修復に専念せんか。損傷を治したらまた走り回りなさい。お前さんのセンセイにもう一度会えるように失敗を糧にせい」「む…すまない」コールドレインは観念してボトムレスの船内に戻った。12

2018-11-26 17:28:54
えみゅう提督 @emyuteitoku

[ムァッハッハ!貴様は無力ではない。その無法でこの海の危険な要因を皆に示したのだからな]へたり込んだコールドレインの耳にふてぶてしい声が押し込まれた。簡素な岩の台座に突き立てられた剣が震えていた。「黙れフッド。他に言い方があるだろう」ライオンハートが苦言を口にする。13

2018-11-26 17:30:42
えみゅう提督 @emyuteitoku

[他に何がある。蛮勇を称賛し自責を阻むか?これを期とし及ぶ力を得るならば、責を問うが是であろう]「黙れフッド!何もできていないのは私だろう!私の友達を責めるな!」今この海で無力なのはライオンハートも同じだった。彼の体にもいくつかの損傷が見受けられた。14

2018-11-26 17:33:14
えみゅう提督 @emyuteitoku

いずれも軽微な物で戦闘に支障はない。だが、ライオンハートは上手く戦えなかった。果樹に群がる毛虫じみた群れの中に、もし戦いを強制されている深海棲艦がいたとしたら、そんな考えが頭をよぎるたびに彼のカラテは空を切り反撃を受け続けた。無情の道を行けない者はこの海では戦えない。15

2018-11-26 17:35:31
えみゅう提督 @emyuteitoku

「私のことは好きに罵れ。自分でも、不甲斐ないと思っている」[罵れだと?!ムアッハッハッハ!やはり何も解しておらんな童!]台座をガタガタと揺らして王剣は大笑する。[揺るがぬ心頭を鍛える意味はない。お前は無様に座っていろ、それが務めだ。その無力、我が許す]16

2018-11-26 17:37:23
えみゅう提督 @emyuteitoku

ライオンハートは組んだ腕に力を込めて怒りを抑える。フッドの言葉に間違いはない。ライオンハートが戦線に出たところで、チェルノボグの気が散るだけだった。コールドレインが中破している現戦力では、チェルノボグとスクトゥムの二人に任せ進行するのが最善なのだ。17

2018-11-26 17:38:14
えみゅう提督 @emyuteitoku

実際、ライオンハートが撤退してから進行速度は上がっている。「しかし、余り状況はよくないな。ボトムレス、陸地まであとどれくらいだ?」ライオンハートの問いにボトムレスは一度唇を堅く結んでから答える。「ん…このままだと、二時間くらいかかるかも」18

2018-11-26 17:39:54
えみゅう提督 @emyuteitoku

「直線距離でもか」ボトムレスは力無く頷いた。ディープオーダーは過去に北方海域を訪れたことがある。だが、その時の北方海域はもっと穏やかな海だった。「あの時は極東の列島に近い位置だったが…それでもこれ程までに情勢が変わるのか?この異常なまでに密集した群れはなんだ?」19

2018-11-26 17:41:32
えみゅう提督 @emyuteitoku

ライオンハートは思案を巡らせる。今先頭に立つ二隻の実力は疑いようがない。しかし、後二時間、例え陸地にたどり着いたとしてもそこに安息があるとは限らない。ディープオーダーが北方海域での戦闘を始めて、すでに六時間が経過していた。限界が訪れる前に打開しなければ。20

2018-11-26 17:43:15
えみゅう提督 @emyuteitoku

「あー、いい景色だこと」「スクトゥムー!」ライオンハートの心配を余所に除け、チェルノボグの抗議は知らんぷり。スクトゥムはまた曇天の海に寝そべっていた。「飽きた!生身をほぐすのに丁度いいと思っていたが、いくら何でも張り合いがないってもんだ。休憩だ休憩!」22

2018-11-26 17:45:39
えみゅう提督 @emyuteitoku

再び視界を灰色で塗りつぶしたスクトゥムは小声で愚痴を漏らす。「ボトムレスの奴も、深場を通ればいいのによ。土地勘がないからってわざわざ浮上航行しなくてもいいだろうに…」寝そべるスクトゥムの視界の端に青い影がひょこりと顔を出す。彼女の顔を覗き込んだのはくすんだな瞳。23

2018-11-26 17:47:15
えみゅう提督 @emyuteitoku

「よっ、お前もそう思うだろ?」スクトゥムは埠頭の海鳥に話しかけるように、視界の端の影に問いかけた。青い影は「元気です。ありがとー」そう答え、ぱしゃぱしゃと足を濡らしながら、胡乱な群れの隙間を駆けて行った。「はいはい、あいむふぁいんせんきゅーってな…いやちょっと待てぇぇえい!」24

2018-11-26 17:49:16
えみゅう提督 @emyuteitoku

スクトゥムが花火めいて弾け起きた。同時に周囲の群れが弾き飛ばされる。本腰を入れ直したスクトゥムにチェルノボグはため息をつく。「今度の休憩は短かったな。休んだなら――」「言ってる場合か!捕まえろ!そこの、あれ?どこだ?」海は群れ一色、スクトゥムに語り掛けた影は見えない。25

2018-11-26 17:55:02