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鐘の音。あれが響いている場所を出歩きたくなかった。 特別病棟には鐘の音を相殺する逆位相の音を発生する装置がある。 今も機能しているはずだ。だが効果範囲は狭い。 もちろん佐野は「鐘つんぼ」だ。「あの世のもの」になる恐れはないが、しかしなった誰かに襲われる恐れはある。
2018-12-02 22:44:53「和尚様…どうして…どうしてこんな」 煙草をくわえて火をつける。 空調が動いていないようだが構わない。今はとやかく言う看護婦もいない。 「おかしい…計画は…」 市内各所に塔時計として配置した逆位相の音を発する装置が、鐘の音を防ぎ、問題を完全に解決するはずだった。
2018-12-02 22:47:16安全を確保したうえで、あの世のものの研究を進め、成果を海外へ売り込む。 そこまで明かしてもらった以上、十分な信頼を得ていると思っていた。 「違うのか…」 今日が塔時計の最初の実地試験の日だったはずだ。 「どうして…まさか…」
2018-12-02 22:49:50佐野はぶるりと肩を震わせた。 「塔時計を共鳴に使ったのか?鐘の音を…防ぐかわりに…増幅させるために…?何のために…そんなことをすれば街ごと…」 思考をまとめるために万年筆を紙にがりがりと走らせる。 「そうなのか…和尚様…理永は…最初から…」
2018-12-02 22:54:57筆先がにじむ。 「いや、ありえない。和尚様ほどこの霧の都の発展に力を注いだ方はいない。この美しい街を…一つの完全な器のように作り上げたいと…仰っていたのだ…なのに…なぜ…」
2018-12-02 22:56:28耳鼻科医は立ち上がり、特別病棟と中央病棟を結ぶ通路をたどった。途中を頑丈な鉄扉が遮っている。本来は患者の逃走を防ぐための設備だが、今は防御の役に立つ。 厚い鉄線入りの窓硝子ごしにじっと向こう側を覗く。ただ蛍光灯の連なる廊下があるだけだ。 「…よし」
2018-12-02 22:59:08いきなり血まみれの手が覗き口にはりついた。 「ひっ」 赤く汚れた硝子ごしに、肉塊と化した頭を持つ、艶めかしい肢体の看護婦が、ゆらゆらとゆらめいているのが、やっと見て取れた。片方の手はメスを数本握り込んだまま癒着している。 扉に振動が伝わる。殴っているのか、蹴っているのか。
2018-12-02 23:01:30佐野は腰を抜かしてへたりこみ、後ろにいざると、必死に鉄の戸から離れた。 「来るな…来るな…」 あえぎながら、処置室に潜り込み、扉を閉じて机の下に潜り込み、丸くなる。
2018-12-02 23:02:51◆◆◆◆ じっとしているうちに眠りについていたのか、気づくと鉄の戸を叩く音は止んでいた。代わりにインターフォンのランプが明滅している。 「…?」 スイッチを入れる。 「そちらに誰かいますか?」 「そちらは?」 「警察です」 「ああ…」
2018-12-02 23:06:08「内線がおかしくなって、インターフォンも通じないかと…」 「修理しました」 「おお…」 警察にそんな能力があったとは驚きだったが、今は深く考えている余裕がなかった。
2018-12-02 23:07:10「中央病棟のロビーまで出てこれますか」 「いや…一人では無理です」 「なるほど。では迎えをやります」 「…あの世のものが…」 「?ああ、ご安心ください」
2018-12-02 23:08:12しばらくしてまたインターフォンが鳴る。 「到着しました」 「すぐに開けます」 鋼の扉に走ってゆき、いそいそと開錠する。 たちまち疾風のように影が二つ入ってきた。 「ごくろうさま」 「けがの手当てできる?応急措置はしたんだけど、まあお医者さんに診てもらった方がいいよね」
2018-12-02 23:10:38「なんだ…君達は…警察じゃ」 愕然とする耳鼻科医に、よそものは楽しげに笑いかける。 「ああ、あれは嘘」 「僕等は…通りすがりの悪の秘密結社だよ」 「通りすがりって訳でもないけど」
2018-12-02 23:12:17「ねえ院長室でちょっと書類を読ませてもらったんだけど今いち分からなくてさ」 「みんな怪獣に食い殺されちゃってたからさ」 「教えて欲しいんだけど」 「この特別病棟ってとこでは何をしてたの?」 「楽しいこと?」 「だよね?」
2018-12-02 23:13:09佐野は青ざめた。見知らぬ男達の、年齢のはっきりしない、どこか子供っぽい容貌と、澄んだ眼つきに言いようのない悪寒を覚えた。 あの世のものより、ある意味もっと異常な何かに出会ったようだった。 「いったい…」 「質問に答えてくれないかな。応急処置しながらでいいから」 「ね」
2018-12-02 23:14:54男達の片割れが微笑む。 「肋、折られたくないよね?」 「皮、剥がれたくないよね?」 「いや待てよ仕入係。意外とそういうのが好きかもしれない」 「どうだろう配達係。どっちかっていうと他人を拷問するのは好きだけど、自分は好きじゃないって顔してるよ」 「正義っぽい」 「正義かな?」
2018-12-02 23:17:01耳鼻科医は頬をひくつかせながら、両腕を振り回して叫んだ。 「話す!なんでも話す!!」 秘密結社を名乗る二人は勢いよくうなずく。 「そうこなくちゃ」 「楽しくなってきた」
2018-12-02 23:18:46次の話
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