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ヴィットリオ・メッソーリ『バチカンによって誘拐されたのか?:エドガルド・モルターラの未公刊の手記』 本書は、福者教皇ピオ九世を貶めるために持ち出される「モルターラ事件」について、当事者自身による証言を紹介したものです。 ignatius.com/Kidnapped-by-t… pic.twitter.com/7QyCGSkv3T
2018-04-26 22:40:02本書の著者メッソーリは、教皇ヨハネ・パウロ二世『希望の扉を開く』(新潮文庫)や教皇ベネディクト十六世の教理省長官時代のインタビュー『信仰について』(ドン・ボスコ社)で日本のカトリック信徒にも広く知られたジャーナリストです。twitter.com/glory_of_churc…
2018-04-26 22:45:14ヴィットリオ・メッソーリの著作については次を参照。当時教理省長官であった教皇ベネディクト十六世が「解放の神学」などの教会内左翼の邪悪性を暴いた本です。twitter.com/glorycatholic/…
2017-11-11 08:06:16スピルバーグによる映画化が予定されている「エドガルド・モルターラ事件」について、簡単な事実確認をしておきましょう。 ユダヤ人夫婦のモロロ・モルターラとマリアンナは、1850年に教皇領のボローニャへ移住しました。1851年にエドガルドは二人の子供としてボローニャで生まれました。
2018-12-14 10:31:44教皇領においてはもちろん教皇が君主であり、教皇領の住民は君主の公布する法律を遵守しなければなりません。それを破ることは違法行為です。
2018-12-14 10:39:19しかし、モルターラ夫妻は、教皇領の法律を破って、キリスト教徒の召使アンナ・モリージを雇いました。全ての騒動の発端は、この違法行為にあります。
2018-12-14 11:49:12一歳の頃、エドガルドは病気になりました。エドガルドが洗礼を受けないまま死ねば地獄に行くかもしれないと考えたアンナは、それを防ぐため、エドガルドの両親の同意を得ることなく、密かにエドガルドに洗礼を授けました。
2018-12-14 12:24:30ユダヤ教徒がキリスト教徒の召使を雇用することを禁じた教皇領の法律は、もともとこのような事態を防ぐために立法されたものでしたが、いずれにしても洗礼は有効に行われ、エドガルドはカトリック教会の一員となりました。
2018-12-14 12:34:24エドガルドはカトリック教会の一員ですから、当然カトリック教会の一員としての権利を持つことになりました。すなわち、救いへの道を歩むために正しいカトリック教育を受ける権利を。肉親も、そのような子供の権利を侵害することは許されません。
2018-12-14 12:50:03教皇領においては、親はカトリックの子供にカトリック教育を受けさせる法律上の義務があります。この義務を果たさないことは違法行為であり、子供の権利の重大な侵害なのです。
2018-12-14 12:52:55エドガルドが六歳になった時、彼がカトリックであることが判明したので、教皇ピウス九世はまずエドガルドの両親に、エドガルドをボローニャの学校に入れ、両親といつでも会うことが出来る環境で教育を受けさせることを提案しました。しかしエドガルドの両親はこれを頑なに拒絶したのです。
2018-12-14 13:35:15繰り返しますが、教皇領においては親はカトリックの子供にカトリック教育を受けさせる法律上の義務があるのです。その義務の履行を拒絶することは違法行為であり、カトリックである子供の権利の重大な侵害です。断じて許されることではありません。
2018-12-14 13:40:38このようなモルターラ夫妻の敵対的違法行為を前にして、教皇ピウス九世はエドガルドを保護せざるを得なくなりました。1858年に警察の手によってエドガルドは保護され、ローマに移されて教皇の保護下に置かれました。
2018-12-14 13:55:51この措置はもちろん公権力によって合法的に行われたものであり、犯罪では全くありません。それは、親によって虐待を受けている子供を公権力が法律に基づいて保護することが犯罪ではないのと全く同様です。
2018-12-14 14:01:57「誘拐」を、「人をだまして誘い出し連れ去ること」(広辞苑)と定義するならば、教皇ピウス九世が行ったことは全く誘拐ではありません。教皇は誰もだましてはいません。
2018-12-14 14:07:53「誘拐」(kidnap)を「人を非合法に連れ去ること」(オックスフォード英英辞典)と定義しても、教皇ピウス九世が行ったことは全く誘拐ではありません。教皇領において、カトリック教育を受ける権利を侵害されている子供を、合法的に保護したにすぎません。
2018-12-14 14:14:06エドガルドはその後教皇の手厚い庇護のもとに順調に成長し、自らの意志でカトリック司祭になることを選択しました。エドガルド自身が次のように語っています。
2018-12-14 14:36:56「私が教皇ピウス九世によって養子とされた時、全世界が私は犠牲者だと叫びました。しかしこれらの全てにも関わらず、私は私をキリストの真の家族へと導いた神の御摂理に深く感謝し、聖ペトロ大聖堂で幸福に生きていました。」
2018-12-14 14:42:11「私は原理において、そして確信によってカトリックであり、攻撃に応え、あなたがたが攻撃しているこの教会を、私自身の血を代償としてでも擁護するつもりです。あなた方の言葉は私の名誉を深刻に傷つけるものであり、私の良心は、公に抗議することを私に義務付けています。」
2018-12-14 14:50:12「私は、尊敬すべきわが保護者にして父、神のしもべピウス九世が聖人であったことを心の底から確信しています。いつの日か、彼がそれにふさわしい祭壇の栄光へと挙げられることを。」(Vittorio Messori,Kidnapped by the Vatican?,Ignatius Press,p.1)
2018-12-14 15:00:30以上の諸事実についてはヴィットリオ・メッソーリの前掲書やドミニコ会の神学博士Romanus Cessarioによる次の記事を御覧下さい。 firstthings.com/article/2018/0…
2018-12-14 15:07:24