信頼関係を築くことは、相手に面して自分が自分のありかたを見つめ直して悩むことと切り離しえない
- koukaku0811
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自己啓発セミナーなどにおいて、相手の気持ちやペースにかかわりなくとにかく相手を問い詰めてゆき、本人が言う気がなかったことまでいつの間にか曝け出させ、それを「心を開いた」などと称して信頼関係のできた証かのように扱うという手法が取られるようですが、それは相手が心を開いてくれたのでは twitter.com/kazeto_bot/sta…
2018-12-24 08:44:54人は自分の中に答えを持っていなくても、問われたら何か答えてしまう。ともかく空白を埋めなくてはいけない気がするのだ。気づいたら、本当に自分が何を考えていたのか分からなくなる。途切れつつ、沈黙を含んだ会話や思考が自然じゃないか。真実がいつも明瞭で充実してるとは限らない。
2018-12-23 23:55:54なく、圧力で相手を屈服させたにすぎないのであり、そのような問答において主人公はどこまでも問い詰める側の者であって、問われる側はその客体としてあくまでも脇役に追いやられます。 相手が自分を信頼してくれること、相手が自分に心を開いてくれることは、相手に圧力を掛けた末に生まれるものでは
2018-12-24 08:44:54ないはずで、相手に圧力を掛けたその時点で、少なくとも自分の側は相手を尊重しておりません。 尊重の念のない信頼関係とは何なのでしょう。上のような事態をもしも信頼関係とみなすのなら、相手が自分に屈服することを信頼関係と呼ばねばならず、信頼関係は相互的に構築されるはずであるにも
2018-12-24 08:44:55かかわらず、自分の側の相手に対する配慮はこの時全然問題とされていません。 信頼関係を築こうと思うのであれば、相手に何かを要求してしまうその前に、まずは自分の側が自分に対し「相手に対して自分はどうあるべきか」を問うて悩むのでなければならないでしょう。自分が悩むことを抜きにして、
2018-12-24 08:44:55相手との信頼関係を築くことはできないように思われます。 信頼関係を築くことは、相手に面して自分が自分のありかたを見つめ直して悩むことと切り離しえないと思うのです。
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