尾上先生の勉強風景 (12) ダーウィンのカテドラル

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尾上正人 @9w9w9w92

「遺伝的変異とは異なり、文化的変異は必ずしも集団内に低い頻度のままとどまりはしない…変異行動は速やかに多数派に、あるいは集団が実践する唯一の行動にすらなる…それ[新しい信念や実践]が集団のカリスマ・メンバーに信奉されているがゆえに、たぶん彼ら[メンバー]は『何も考えずに』従う」35

2019-01-05 04:37:13
尾上正人 @9w9w9w92

「要は文化進化は、遺伝的進化だけに基づいた時に予想されるのと比べて、集団間の淘汰のポテンシャルを増加させ、集団内の淘汰のポテンシャルを減少させるのだ。これは文化進化の不可避的帰結ではなく、いかに文化進化が我々の種において働くのかという、ダーウィン・マシンのデザインの特徴なのだ」35

2019-01-05 04:42:34
尾上正人 @9w9w9w92

「我々は教団を、現在の環境に適応しながら急速に進化する存在と見なすべきである。宗教は部分的には、大変革をーー救済への道を約束するがゆえに、多くの人々にアピールする。進化という語は変化を意味するので、だとすれば進化と宗教は多くを共有しているように思われるだろう」p.35.

2019-01-05 04:48:41
尾上正人 @9w9w9w92

「[文化へと]拡張された進化観により、有史時代を文化進化の作動の化石記録と見なすことができる。遺伝的なマルチレベル淘汰と同様に、文化的変種は集団内の他の変種を犠牲にして、あるいはその集団が他の集団を犠牲にして広がるようにさせることによって、広がり得る」p.36.

2019-01-05 04:58:00
尾上正人 @9w9w9w92

「大規模社会における極端な地位格差や他の不平等と思しきものは、純然たる支配を表しているのか、それともむしろ、特に他の社会との競争において社会が大規模で機能できるようにするデザインの特徴なのか。サイズそれ自身が集団レベルの適応たり得ることは間違いないだろう」p.36.

2019-01-05 07:40:42
尾上正人 @9w9w9w92

「有機体的集団は自動的に進化するのではなく、群淘汰の過程を必要とする。群淘汰は潜在的な進化の力たり得るのであり…進化生物学におけるこれらの[マルチレベル淘汰説の]発達により、ヒト社会の有機体的な見方はーー少なくともある程度までーー正当な可能性となる」pp.36-7.

2019-01-05 07:45:35
尾上正人 @9w9w9w92

「ヒト社会有機体は、適切な行動を定義し内部からの転覆を防ぐため、モラル・システムに本質的に頼る。モラル・システムは生得的な心理学的次元を持つが、オープンエンドな次元も持つので、ヒトの歴史は、遺伝的よりもむしろ文化的な継承メカニズムを持つペースの速い進化過程と見ることができる」p.37

2019-01-05 07:52:22
尾上正人 @9w9w9w92

「[行動が]他の有機体にだけでなく『適応した』有機体自身にも長期的には破壊的である時…群淘汰はこの問題への部分的な解決だ。…道徳的嫌悪の感覚もそれ自身、我々自身の種において自己奉仕的行動を抑制するべく群淘汰によって進化したモラル・システムの生得的心理学の一部として説明され得る」38

2019-01-05 10:25:49
尾上正人 @9w9w9w92

「進化のパースペクティブからは、行動は道徳的に大目に見ることなく説明し得ることを強調するのが重要である。不道徳な行動はほとんど常に、不道徳的な個人や集団を利する」p.38.

2019-01-05 10:27:45
尾上正人 @9w9w9w92

「自己意志についての宗教的な議論は、自己利益についての進化的議論からほんの一息離れているだけだ。…宗教的思考と進化的思考のこうした並行性は偶然ではない。つまり、宗教の心臓部に横たわり、マルチレベル淘汰理論で説明できる社会生活の根本問題とその部分的解決に由来している」pp.38-9.

2019-01-05 10:35:43
尾上正人 @9w9w9w92

「適応度は相対的な概念であるだけでなく、ローカルな概念でもある。…進化とは丘を登る過程であるが、もしちっぽけな丘の坂から出発すれば、進化にできることはその丘の頂上に登ることだ。低い丘から高い丘に移動するには、適応度の低い谷を横切らねばならず、実際には進化的過程はそれに抵抗する」39

2019-01-05 10:46:03
尾上正人 @9w9w9w92

「なぜ人々は、信じない者には現実離れして見える超自然的な主体や他の信念に訴えることなく、ただ単に実用的な用語で正しいことや間違ったことについて話すことができないのだろうか?」p.40. 確かにこれは重要な問いだ…開始から40ページを費やして、ようやく本題に入ってきたorz

2019-01-05 12:38:21
尾上正人 @9w9w9w92

宗教は「ナイーブな科学的理論」だとする考え(フレイザー、テイラー等) 反論①「原始的」社会においても、人々は宗教とは別に科学的思考を持っている 反論②現代の文化においても、科学的思考が宗教を代替しているという証拠はない(米国等)。p.41.

2019-01-05 18:25:52
尾上正人 @9w9w9w92

「モラル・システムは時折、事実の証拠に基づく狭い推論から逸脱する。一度この種の推論が唯一の適応的な思考方法としての基礎から取り除かれると、多くの代替案が利用可能になる。感情は、典型的には科学的思考と結びつく認知過程より遥かに古い適応行動を動機づけするための進化したメカニズムだ41-2

2019-01-05 20:01:40
尾上正人 @9w9w9w92

承前「モラル・システムは、強力な感情的衝動の引き金を引き、喜びを正しさと、恐れを誤りと、怒りを罪と結びつけるようにデザインされていると予想される。…超自然的主体と決して起こらなかった出来事は、自然界の明瞭な事実的説明を遥かに凌ぐ行動への青写真を与えることができる」p.42.

2019-01-05 20:12:56
尾上正人 @9w9w9w92

「自然淘汰は、集団内の個人間に加えて集団間でも働くマルチレベルの過程である。いかなる単位も、それが淘汰の単位であるかぎり、有機体という語に固有の性質を与えられる。…有機体的な集団は、自身があからさまに利他的にならずに、集団内の淘汰を抑制するメカニズムによってその統一性を得る」43-4

2019-01-05 20:21:15
尾上正人 @9w9w9w92

「モラル・システムは、ヒト集団が適応単位として機能できるようにする多くのメカニズムを供給する。モラル・システムは、生得的な心理学的構成素と、集団が直近の環境に適応できるようにするオープンエンドな文化的構成素の双方を含む」p.44.

2019-01-05 20:25:39
尾上正人 @9w9w9w92

宗教の進化的理論の諸潮流ーー 1.適応としての宗教 1.1 集団レベルの適応(著者やE. O. ウィルソン) 1.2 個人レベルの適応(R. アレグザンダー) 1.3 文化的寄生者(ドーキンズらのミーム説) 2.非適応的な宗教 2.1 過去の環境への適応 2.2 進化の副産物(グールドらの「スパンドレル」)pp.44-5.

2019-01-05 20:35:46
尾上正人 @9w9w9w92

著者の宗教論は社会科学の機能主義に近い…「社会科学での機能主義の瓦解は、生物学でのマルチレベル淘汰理論の瓦解と薄気味悪いほど似ている。それゆえ集団の有機体的概念を真剣に考えると、社会科学での機能主義の復活に至るーーオリジナルの形でなく…理論的に正当化され経験的に立証された形の」48

2019-01-05 21:01:18
尾上正人 @9w9w9w92

ロドニー・スタークらの宗教的市場理論(宗教の合理的選択理論)への批判…社会生活の根本問題を無視、非適応(副産物)説、機能主義の否定。pp.48-52. 「宗教はただ、人々が自分の心理学的属性を微調整(fine-tune)できないからこそ持続するのだ」p.49. この理論には10年くらい前はかなり魅せられた

2019-01-06 02:25:14
尾上正人 @9w9w9w92

デュルケーム機能主義の再評価…「現代の進化の用語では、デュルケームは宗教を、ヒト集団が調和・協調した単位として機能できるようにする適応として解釈したのである」p.54. テレンス・ディーコンがヒトの特質として重視する象徴的思考も、デュルケームのシンボリズム論と通底していると

2019-01-06 02:43:24
尾上正人 @9w9w9w92

「我々の目的のためには、宗教は集団レベルの適応だとするデュルケームの一般的テーゼを、宗教がいかに様々な機能を果たすかについての彼の多くの特殊な提案から区別する必要がある」p.55.

2019-01-06 02:47:16
尾上正人 @9w9w9w92

デュルケーム機能主義の後継者…エヴァンズ=プリチャード、V.ターナー(構造とコミュニタスを繋げる儀式)、西アフリカ・ダガラ族の人類学者M. P. ソメ[?]。pp.55-65. 以下、マーティンとマッキンタイアによる機能主義の現代的再評価↓(出典 Readings in the Philosophy of Social Science, 1994)

2019-01-06 03:14:13
尾上正人 @9w9w9w92

機能主義の遺産①全体論(holism)↔︎方法論的個人主義 ・方法論的個人主義と個人レベルの淘汰説は同じではない…前者は還元主義、後者は適応に依存 ・至近要因(遺伝子)による個体的説明と究極要因(自然淘汰)による全体論的説明は相互補完的[この仕分け方は正しいのか?]。pp.66-8.

2019-01-06 07:24:31
尾上正人 @9w9w9w92

「遺伝的変異と淘汰は、部分が全体の性質を可能にするが(permit)全体の性質の原因とはならないという全体論的な主張の確かな基礎づけを与える」p.67.

2019-01-06 07:24:50
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