「虚構」と「現実」についての話をします。
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終盤まで、順調に葛藤の中で「希望」と「絶望」の価値を吟味していた一行でしたが、何十回と同様のドキュメンタリー番組が続いていることを知り、「希望」と「絶望」の狭間で懊悩し、これを乗り越え、人々に勇気を与えてきた『ダンガンロンパ』の仕組みそのものを破壊することに打って出ました。
2019-01-11 22:04:30![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
その理由に、「虚構」と「現実」の狭間を埋める要素が隠れていたのでした。 自身がドキュメンタリー番組のために用意された架空のキャラクターであることを知り、ショックを受けた主人公は、一度はプレイヤーの操作すら受け付けないほど消沈します。
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その間に別の人物が奮い立ち、「希望」を持って黒幕を打倒しようと動き始めます。しばらくはこの人物がプレイヤーキャラに成り代わるのですが、突如、その道行きに先ほどまで操作していた主人公が立ち塞がるのです。
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「希望を否定する!」 根底から『ダンガンロンパ』を否定しかねないこの発言と共に、今まで“主観”キャラクターとなっていたこの人物は意図の見えない“客観”のキャラクターに変わりました。 この一連の流れで以って、ゲームに参加するキャラクターたちにはそれぞれの意思があることが示されました。
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「例え(自分が)虚構のキャラクターだとしても、これがゲームに過ぎないとしても、このコロシアイ生活で感じたことは全て本物だ」 「痛かった、辛かった、苦しかった」 操作キャラとしてではなく、いちキャラクターとして言葉を綴る主人公。
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『ダンガンロンパ』というゲームがここまで人気のものとなり、何十回もコロシアイが行われたのは、「絶望」を「希望」が打ち倒す姿に人々が感動させられるからだ、と。 そのために、主人公は生き残った参加者と結託して、徹底したゲームの放棄に臨みます。
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これまで、真剣に取り組んでいた推理ミニゲームのことごとくをタイムアップまでやり過ごし、選択肢までも無視し始める主人公。 その主人公はついに、このドキュメンタリー番組を鑑賞する視聴者に言葉をかける機会を得ます。
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「たとえ自分がフィクションのキャラクターだとしても、現実の人々の心を動かすことができるはずだ!」 かくして、主人公はゲームを外側から眺める視聴者に対して、『ダンガンロンパ』の終了、コロシアイの終結を訴えかけました。 果たして、訴えは多くの人々の心を動かし、視聴率はゼロになります。
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黒幕を無力化し、ある人物の支えもあって、ゲームそのものを打倒することができたゲーム参加者たちは、閉鎖空間を出ていくまでにたどり着くのでした。 しかし、黒幕は去り際に、「ここまでの流れさえも嘘である可能性」を示唆してしまいます。
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ついには、これがドキュメンタリー番組であることさえも、見せ物であることさえも、何もかも前提が嘘かもしれない……という究極の疑念が生き残ったメンバーの心に去来します。 しかし、何もかもが嘘であったとしても、既に主人公たちは「そんなことに意味はないということ」が分かっていました。
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かくして、スタッフロールへ。 最後は『ダンガンロンパ』のロゴが粉々に砕け散り、「The END」の文字が残り、タイトル画面に戻ってきます。 これが、『ダンガンロンパ』シリーズ実質の最終作が導き出した結論でした。
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2018年、プロデューサー小高和剛氏はスパイクを円満退社しました。 以降は本格的な『ダンガンロンパ』の続編が作られることはないと見て、まず間違いはないと思われます。
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「すべてが嘘の“フィクション”だとしても、それを愛する気持ちは本物だ」 コラム集『ダンガンロンパ小高』の締めくくりの言葉でした。 直接『V3』を指しての発言ではないのですが、ここに小高氏の伝えたいことは詰まっているのではないかと。
2019-01-11 22:40:48![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
別に「デスゲーム系なんて悪趣味なものを見るのはやめろ」「キャラクターを愛するならば、同様の物語が続くことは否定されるべき」……と説教をするために『V3』のラストがあったのではないと、個人的には思います。 小高氏本人は、フィクションに対して厳格な考えを持つわけではありません。
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その点は、ものすごく奔放に要素を詰め込んでキャラクターを創作する、彼のイズムからひしと感じ取ることができます。 ただし、綺麗に終わらせられるうちに幕は引くべきと考えておられるようで、今回はそのように判断なさったのかな、と。
2019-01-11 22:40:49![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
自分でない人の心内を考察するのはこのぐらいにして、「虚構」の話に戻りましょう。 『V3』の提示した「虚構」の在り方について、特に“英雄は不要”という論点を整理してみます。 主人公は、「希望」が勝つ物語に人々が勇気付けられるから、何度もコロシアイが繰り返されるのだと主張しました。
2019-01-11 22:40:50![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
じゅうぶんに英雄の功績によって、世の中の状況が改善されるに至ったとき、いつか「英雄は不要」になります。 例えばの話ですが、もしも原初の英雄物語『ギルガメッシュ叙事詩』が、世界中の、末代の人にいたるまでを勇気付けられるようであれば、同様の物語をローカライズしたりする必要はないかと。
2019-01-11 22:46:14![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
でも…… すべての人の心に同じ表現が響くはずはないし、 すべての人が同じモチーフで親しめるわけでもないし、 すべての人に同じ媒体が通用するわけではない。 だから、英雄物語は形を変えて、細部を変えて、世界中の様々な時代の人たちに届けられているのでしょう。
2019-01-11 22:48:27![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
そのための、英雄物語の量産であれば、特に問題はないのかもしれません。 ただしそれは、それぞれの人の観測した「虚構」の信頼度が揺るがない限りの話です。
2019-01-11 23:08:44![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
ある年の、例えば…… 『仮面ライダーA』という番組があったとしましょう。 1年前後をかけて完結したのち、 『仮面ライダーB』にバトンタッチするとして、その後も 『仮面ライダーC』、『-D』、『-E』……と続いていきますが、これはそれぞれに独立した内容であるとします。
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この場合、毎年似たようなお話を巻き戻しても、メイン視聴層の児童にとっては「自分の世代の仮面ライダー」として認知されていきます。 なので、あとに始まった新番組を続けて視聴しない限りは、この番組の「虚構」に対する信頼を強いものとするでしょう。
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実際の子供は、数年間は同様の『仮面ライダー』をいくつか視聴するのでしょうが……それでもまだ、これらの「虚構」が伝えるものを、ある程度は本物のもののように信じてくれるはずです。
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問題になるのは、我々のように 「今年の仮面ライダーは●●モチーフだってよ〜」 「番組開始からクリスマスまでは販促回ばっかだしね〜」 「そろそろ敵幹部が一人ずつ退場する頃かな〜」 など、いつしかメタ的な観点を多く含むようになって、“「虚構」への信頼”を薄くしてしまった時です。
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この時、いかに『仮面ライダーA』、『-B』、『-C』と続いていこうが、当人の認識にとっては 『仮面ライダーA』 ↓ 『仮面ライダーA'』 ↓ 『仮面ライダーA''』 ↓ (以下略) のように感ぜられてしまい、新たに英雄物語として伝えるものの数を、逓減させていくようになるのです。
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この状況になると、もはや『-A'』『-A''』と見なされる仮面ライダーは、わざわざ物語の中で苦難を乗り越えたり、犠牲を払ったりしてまで英雄として振る舞う意義を見失ってしまいます。
2019-01-11 23:39:47