シアターコモンズ2019 反応・感想まとめ ―演劇をつかう/劇場をつくる―
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シャンカルが山中に劇場を構えて住んでいるケーララ州の話も興味深かった。先住民の祝祭の一つである弔い方とか。 死者を椅子に座らせてそのまわりで歌い踊ってから土葬して、3年後骨になった死者を掘り起こして再びそのまわりで歌い踊る、その時初めて?悲しむとか。島尾ミホの「洗骨」を思い出した。
2019-01-20 20:21:30『犯罪部族法』+シンポジウム。〈過去〉や〈痛み〉を排他的なノスタルジーに陥らせることなくいかに他者と共有できるか、ということを考えた。過度な痛みは時に暴力になり得るし、痛みをさらすことにはある種の恐怖もつきまとうけど、それをいかに克服できるか(あるいは克服する必要があるのか)とか。
2019-01-20 20:21:30修学旅行生のふりをして旅するツアー演劇/学びの場。福島から眼差された東京に、どんな未来が映り込むのか?高山明/PortB「新・東京修学旅行プロジェクト:福島編」 | シアターコモンズ'19 theatercommons.tokyo/program/akira_…
2019-01-20 20:33:28犯罪部族法、そのあとのシンポジウム、めちゃくちゃ刺激的だった。刺激的にインプット過多なのでちゃんと言語化するのに時間がかかるが。とりあえずバカっぽい感想としては刺激的だった。 ついでにそのあと日高屋でだらだら話したのもとても良かった。
2019-01-20 21:27:06昨日は、シャンカル・ヴェンカテーシュワランの「犯罪部族法」を観て、ポスト・パフォーマンス・ワークショップというのにも参加して、とても楽しかった。なんかすごい空間だった!で、そのあと仕立て屋のサーカス観て、火鍋して、寝て起きて「カタストロフ展」に行き、からのオフィスマウンテン。
2019-01-20 21:30:32シャンカル・ヴェンカテーシュワラン『犯罪部族法』とても面白かった。役を演じるという構造と言語をそれぞれ3重のレイヤーにし、誰が何をいかに「語る」のか、そこに簒奪はないのかを問い、カースト制度そのものと重ね合わせて糾弾する。とにかく巧いと感じたし、レクチャーとしても刺激を受けた。
2019-01-20 21:41:00今日は芝浦 #リーブラホール にて、シアターコモンズ '19/シャンカル・ヴェンカテーシュワラン『#犯罪部族法』を。無駄のないミニマムな演出とパフォーマンスから浮かび上がる〈現実〉の大きさに息が詰まるような感覚があった。シンポジウムもとても興味深く聞いた。 theatercommons.tokyo/program/sankar…
2019-01-20 21:46:41シアターコモンズのオープニングシンポジウムが刺激的だった。ブレヒト、ルター、折口信夫、民俗芸能、神事、太田省吾を参照して、日本でもインドでも西洋でもないなにかの理論軸があそこに確実に芽生えつつあった。通訳のお二人も見事で、細部まで東西の演劇知への共通理解のある対話が成り立ってた。
2019-01-20 22:48:44かつて宗教が担っていたコミュニティ、機能を劇場という場所が代替するという話は、震災があってこの遺体がどの宗教を信仰する方の遺体なのかわからないけれども弔わなくてはならなかった沿岸部の僧や牧師達が宗派を超えむしろ共有できる部分を探して行ったという、臨床宗教の話が繋がってくるきが。
2019-01-20 23:45:04机、椅子、水差しという簡素なセットとたった二人の男優による 緻密な劇。「カースト制」という分離による統治・管理がもたらす不条理とも言える状況は、形を変えてあらゆるところに在することを鋭く示唆する。シャンカール氏の見事な手腕!
2019-01-21 00:23:04続くシンポジウムでは、高山明さんによるルターとブレヒトによる「教育劇」の実験と可能性、シャンカル氏のケララ州での活動と先住民による弔いに関するレポート、安東礼二氏による折口信夫と「鬼」についてなど、示唆に富んだ話を多々聞くことができた。
2019-01-21 00:27:24今の東京、そして日本の社会にとって切実な問題について、真摯に演劇を中心としたパフォーミング・アーツによる社会批評と様々な提言と実験を行っていると思われるシアターコモンズ。まだ始まったばかりのこのイベントにぜひ注目し、また参加してほしいと思う。
2019-01-21 00:59:10シャンカル・ヴェンカテーシュワラン「犯罪部族法」初日を観た。もっとちゃんと反芻して落ち着いて考えたいけど、とてもよかった。シャンカルさんの事は以前から聞いていて、ずっと観てみたいと思っていたが、想像よりもずっとすごかった。もっと何度も観たい。
2019-01-21 01:10:03犯罪部族法には、やっぱり舞台関係者がすごく多かったけど、それでもそこで友達に会えるのはなんか嬉しい。同じものに興味を持っていたんだね、という。これはこの人に観てもらいたいな、と観ながら思っていた人だから特に。
2019-01-21 01:15:30シャンカル・ヴェンカテーシュワラン、『犯罪部族法』上演後の観客とのWSは観客に擬似的に「当事者性」を担わせる試み。だが、観客はその時すでに観客ではなくパフォーマーになっている。ちなみに参加者が検討を要請された題材は「アンティゴネ」と同型のジレンマをどうするか、というもの。
2019-01-21 01:17:31すなわち人倫と法の間の葛藤。しかし、我々は今現在(既に)沖縄の問題においてすこぶる「当事者」として葛藤している。現実社会において。アナロジーでイマジンするまでもなく。さて、そのような状況において演劇が真になすべきことは何か?
2019-01-21 01:21:36WSの討議のテクストは「寓話」だったが、これを、我々自身の喫緊のイシュー, そのもの、たとえば「トランスのトイレや公衆浴場問題」で行うことはWSとしては出来ないのか? そして「上演」に戻って言えば、インド社会の差別問題のパフォーマンスは我々の差別問題にきちんとフィードッバックし得るか?
2019-01-21 01:34:03シャンカル・ヴェンカテーシュワラン「犯罪部族法」@リーブラホール。英国支配時の法がカースト制につながることを踏まえ、インド南北の二人がそれぞれの差別の意識と経験を語る形式。観客を見つめる演者、互いの役を演じること、本当の悲劇の表象不可能性、データ提示、掃除と水など、問いかける演劇
2019-01-21 01:37:41シアターコモンズのシンポジウム「未来の祝祭、未来の演劇」。相馬千秋は都市をサバイブするツールとしての演劇、高山明は脱演劇としてのブレヒトとルター、シャンカルはジャングルでの実践、安藤礼二は折口信夫の可能性を語る。終盤の高山の表明(「演劇」の解体、関与の線引き、観客層)が興味深い
2019-01-21 01:45:55シャンカル・ヴェンカテーシュワラン「犯罪部族法」、権力や支配構造がどのように形作られていくか、見つめている観客の視線をも再帰的に取り込む、生成する演劇だった。俳優自身、ストーリーテリング(つまり時間の流れや地場)、役柄という三者の関係を考えているというシャンカルさんの言葉に納得。
2019-01-21 08:56:54