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「鳥羽伏見の戦い」を考える~勝敗を分けたのは偶然か、必然か。

この戦いは旧暦だと明治元年(慶応4年)1月3日 - 6日、そして西暦だと1868年1月27日 - 30日だったのですね。そのカレンダーに合わせて、twitter上で話題になったのか。 この戦いは関ヶ原以上に、1戦の勝敗がその後の歴史を変えるような戦いだったという気がします。そしてその勝敗は、俗に語られることもある「近代的な武器や戦術を身につけた維新側が、旧時代の幕府軍に勝つのは必然」という話では全くなく、かなり薄氷の大接戦だったとも…では、勝敗を分けたのは?
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トモ @Q7nNQOixPBnt9Fu

@itaru_ohyama 返信ありがとうございます。単純に第二次長州討伐で長州軍が幕末軍を圧倒して勝ったので、薩摩軍は徳川軍の実力を見誤っていた可能性もありますでしょうか?

2019-01-30 13:07:53
佐藤二博 @XUUHIRO

北海道知事選に徳川家19代目の家広氏が意欲headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190129-… @YahooNewsTopics ご先祖の判断から始まった鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争、箱館戦争で幕府に忠誠を誓い散華された 土方歳三様など数多くの英霊に哀悼と感謝を鎮魂の意を伝えてからにして下さい。 出馬表明会見場所は五稜郭で

2019-01-30 13:35:47
ドンじょぶお @urakkun26

>幕府軍は本隊も分遣隊も戦火を交えずに京都に入れる計画であったし、交戦可能性に気づいた分遣隊が大津突入を躊躇ったことは、索敵の錯誤を踏まえても一概には責められない。兵数の多い本隊にしても交渉で京都に進軍することを第一選択としている。開戦は、なしくずしに発生したものだよねぇ。

2019-01-30 14:10:20
ドンじょぶお @urakkun26

例えばだが、関ヶ原の「西軍」が直ちに伏見城を攻略して速やかに東海道へ全軍で進出、「東軍」を各個撃破しつつ徳川軍と決戦、家康父子の首を取るという作戦を立案実行していれば、或いは「西軍」勝利もあり得たかもだが、そういう機動攻撃が可能な軍では無かった、可能性を考えるのも虚しい話。

2019-01-30 14:34:35
ドンじょぶお @urakkun26

鳥羽伏見の戦いの幕府軍についても、大津突入が成っていれば…というタラレバを考えるのも同程度の虚しい話だ。

2019-01-30 14:41:29
伐採業者栗畑和平 @kurikuriftb

3ヶ月ぐらい録り溜めてるヒストリア見てるけど鳥羽伏見でもう死にそう pic.twitter.com/lhUqs11n5U

2019-01-30 16:27:09
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大山 格 @itaru_ohyama

@Q7nNQOixPBnt9Fu 薩摩勢が旧幕軍を過大評価していた可能性はあります。たとえば薩摩藩から江戸の江川塾に遊学した者たちが戊辰戦争では中隊長程度の地位にありましたが、それらの人々が指導を受けた大鳥圭介は幕府陸軍にいました。彼らが読んだ兵学書の多くは大鳥が訳したものでした。大鳥は江戸に留まりましたけどね。

2019-01-30 17:21:59
大山 格 @itaru_ohyama

@Q7nNQOixPBnt9Fu 逆に、薩摩勢が旧幕軍を見くびっていた様子は史料からも窺えません。長州とて四境戦争では周防大島を占領されるなど苦戦した正面もありました。むしろ幕軍が長州勢を侮っていたように思います。それゆえ、逆襲を受けたときに敗れ去ったといえるでしょう。 town.suo-oshima.lg.jp/kyouiku-syakai…

2019-01-30 17:30:08
弥栄 @WjrzOkE0csK7yDr

@itaru_ohyama そうですか。 確かに仰る通りだと思います。 ただ、個人的には歴史秘話ヒストリア、中々良かったです。 番組では、兵数、陸軍海軍の質、兵器、どれを取っても圧倒的に幕府軍優位と解説。 その優位性にあぐらをかき、相手を見下していた事が幕府軍敗北の最大の要因という印象でした。

2019-01-30 19:12:31
弥栄 @WjrzOkE0csK7yDr

@itaru_ohyama 小が大を食らう戦いは大体こういう要因があると思います。 更に言えば少ない兵数で多勢を負かす、薩摩軍の伝統的戦法のようにも思います。

2019-01-30 19:20:14
大山 格 @itaru_ohyama

@WjrzOkE0csK7yDr 残念ながら両軍とも失策が多く、新政府側も竹田街道を無防備にしてしまい、そのルートから会津勢の一部が京都市内に迂回浸透してしまうということがありました。しかし、旧幕側は伏見奉行所前面の局地的劣勢に目を奪われて、敵背面を突ける位置にいた会津藩白井大砲隊を呼び戻しています。

2019-01-30 19:36:40
大山 格 @itaru_ohyama

@WjrzOkE0csK7yDr もし旧幕側が判断を誤らなかったら、開戦初日に新政府軍は潰乱敗走していたところです。より大きな失策を演じた旧幕側が絶好の勝機を逃してしまったので、私としては新政府軍の作戦勝ちとは評価しておりません。

2019-01-30 19:39:11
京極典厩 @kyogoku_tenkyu

@kirinosakujin いや、そう思います。小松ファンとしては。小松さんは将軍とも親しく、さつまの実質的トップ、維新志士とも親しい。小松がいなくなった途端に坂本は殺され、薩摩は武力倒幕に突っ走り、西郷もおかしくなり、史実通りになった…小松さんがいればと思う場面が多すぎます。

2019-01-30 21:42:05
DD @kimunkamuida262

@itaru_ohyama 私は個人的に、偶然の積み重ねによって生じた「必然」によって紡がれる事象だと思っております。

2019-01-30 21:42:52
大山 格 @itaru_ohyama

『会津戊辰戦史』も『伏水口戦記』も、何の手続きもせずネットで読めるんやで。むかしは国会図書館の一階ロビーで図書カードくりくりやって、窓口で請求して出して貰えるの待って……それが自宅で指の運動だけで読めるようなったんやで。読みなはれ。もったいない。

2019-01-31 12:47:24
京大人文研bot @zinbunkenbot

鳥羽伏見の戦いの歴史画発見 騒然とした京都御所描く : 京都新聞 kyoto-np.co.jp/sightseeing/ar…

2019-01-31 14:00:00
リンク www.kyoto-np.co.jp お知らせ : 京都新聞 1 user 135
一魁斎 正敏@浮世絵スキー&狼の護符マニア @ikkaisai

慶応4年3月に大阪の版元が出版した、鳥羽伏見の戦いを中心とした京都周辺の戦闘の様相を描いた「見聞奇談」より、伏見稲荷に於ける戦闘図。稲荷の神狐たちが新政府軍に与し、画面左方で旧幕府軍に襲撃を行うシルエットに注目。#稲荷 #キツネ #狐 pic.twitter.com/z3WTTwQVPZ

2019-01-31 21:16:43
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103y @tomy2acha1

長円寺 伏見区淀新町 鳥羽伏見の戦い野戦病院の地🏥 新撰組・幕府軍も拝まれたらしい閻魔王様🙏 お会いできて良かった☺️ 本日までの御朱印も無事頂きました🍀 閻魔王様へのご挨拶が終わって振り返ると住職さんが😲 お寺の説明に出て来てくださっていました😊 ありがとうございました🙇‍♀️ pic.twitter.com/3d8E2ONmOU

2019-01-31 21:21:49
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コメント

OOEDO @OOEDO4 2019年2月1日
大山 格 @itaru_ohyama さんのツイートを基本的な軸として検索・収録しています
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ろんどん @lawtomol 2019年2月1日
「ちょっとした偶然、判断ミス」で歴史が変わった事例を色々知りたいところです。「鴻門の会で、項羽が劉邦を殺してたら」みたいな
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ハヌマニスト @cona555 2019年2月1日
ふむふむ。例の絵で知見がさらに広まるといいのだが。
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キャンプ中毒のドライさん(Drydog(乾)) @drydog_jp 2019年2月1日
戦術で戦況がひっくり返るというのがレアケースなのはわかるが、それでも、ひっくり返ることがある程度には互角の状況ってのもあるって事なのかな
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名前とはネームのことだ! @sinisehonkegans 2019年2月2日
鳥羽伏見の戦いよりも、大村藩50人で彦根占領して彦根藩と大垣藩が傍観したほうが重要なような気もする。 どの勢力でも50人を排除できる勢力が動いた瞬間、倒幕運動は失敗してたんじゃないかな?
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gaheki @gaheki 2019年2月3日
薩長苦手な自分は江戸開城→京制圧・会津討伐→第三次長州討伐・五稜郭→薩摩討伐・薩長閥→旧幕臣と置き換えたIF明治をよく妄想してしまう
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