時計屋シリーズ12~火之迦具土の話~
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前の話
本編
時計屋は、立ち尽くす少女をかたわらに、うずくまる少年を正面に置いて、しばらくのあいだ黙りこくっていた。 「この子、怖がってる」 ぼそりと横から娘が告げるのに、むっつりうなずいてから、しゃがんで子供と視線を合わせ、直接話しかけようとして思い直す。 「親の居場所が分かるか聞いてくれ」
2019-02-02 18:28:29すると少女は首に巻いた牙の飾りに軽く指でいじってから、咳払いし、どこかもたつく舌で耳慣れない言葉をつむいだ。 もっとも時計屋がじっと聞いていると、音程や単語には、どこかなじみのあるものも混じっている。なまりのきつい方言のようだ。
2019-02-02 18:36:14やがて口説はなめらかさをまし、よどみなく流れるようになったが、急に弱まって、止んだ。 「あの。この子が一番怖がってるの、多分、あたし、だと思う」 わずかに震えを帯びた声が、標準語に切り替えてそう告げてくる。 「どうして」 時計屋は首を連れへねじむけて尋ねた。
2019-02-02 18:40:39「あたしが…あの世のものに…なりかけてるから、だと思う…この子には、あたしが、おばけだって…分かる…きっと」 「都築ちゃんを特に怖がってる?俺は?」 「う、うん…次藤のおじさんは…そうでもない、かも」 三好都築がうなだれがちに答えると、次藤健作はぽんと己の膝を叩いて立ち上がった。
2019-02-02 18:44:13「ちょっといい?」 「はい?」 時計屋はそのまま親子ほども年の離れた相棒の肩を抱いて引き寄せ、体と体を密着させた。 「都築ちゃんはお化けじゃない。そう伝えてくれ」 「は?なっ…」 「このままで」 「ぅ…な…馬鹿みたい…」
2019-02-02 18:46:58だが見守る童児の瞳は丸くなり、唇は半ば開いて、やせぎすの肩も降りて、幾分こわばりを解いたようだった。 「…親がいる場所は教えられないって」 「そうか。では安全な場所が見つかるまで、俺達について来ないかと、聞いてくれ」 「うん…あの…おじさん。ちょっと近」 「ああ」
2019-02-02 18:52:23少年はうなずいて腰をあげ、ふらついてからしっかり舗装路を踏みしめて矮躯を支えた。棒きれのような腕には、相変わらず二振りの古ぼけた日本刀を大事そうに抱えている。 「ついて来るって」 「よし」 時計屋は自らを指さして名乗った。 「次藤」 続いて相手を指さす。
2019-02-02 18:55:41「はやと」 「よろしく」 合図して時計屋はすたすたと歩き始めた。すでに先ほどの殺戮で、手持ちの武器は使いつくしていたが、身構えたようすはどこにもなかった。 虎は森を闊歩するとき怯えなど示さないように。熊が山を徘徊するとき恐れなど持たないように。
2019-02-02 18:58:27◆◆◆◆ 霧の都の市街中心部にある煉瓦ばりのビルの一つを選んで、一行は足を踏み入れた。初めにガラス張りのドアの前で、都築は二重になった双眸を見開き、次藤の袖を掴んで注意を促した。 「中にふたり…いる」 「おばけか」 「うん…」 「普通の人は」 「もう…いないみたい」 「分かった」
2019-02-02 19:02:13男は、少女と少年に待っているように伝えてから、するりと足音を立てずに滑り込んだ。 ややあって激しい物音と、くぐもったうめきがあって、重たいものが倒れる音がした。 入口付近にたたずむ娘は、思わず拳を固めて口元を覆ったが、そばで震えている童児を一瞥すると、腕をおろし、平静に振舞った。
2019-02-02 19:05:17「片付いた」 店内で調達したとおぼしきタオルで返り血をぬぐいながら、時計屋がひょいと顔を出すと、少女は嗚咽を漏らした。 「入った方が良い。今は中の方が安全だ」 次藤の手招きに、都築と速人はおとなしく従った。
2019-02-02 19:07:22「次藤のおじさん…もしかして、警察とか、自衛隊とか…」 「いや」 「…だったら…」 「生きものを壊すのはあまり得意じゃない。直せないし」 時計屋は無造作に椅子や棚を動かして、ドアに簡単なバリケードを作ると、先へ進むよううながす。
2019-02-02 19:10:49内部はスポーツ用品店らしかった。きれいに並んでいただろう運動靴や運動着が散乱している。会計用のカウンターのうしろに転がっている人の形らしき何かを、少女は見ないようにした。 「病院まであと二キロメートルぐらいだが、歩いての移動になりそうだから、身を守る道具を用意する」
2019-02-02 19:14:22時計屋は解説しながら、財布を取り出して、紙幣をまとめて抜き取り、カウンターに載せた。 「店内にあるものは好きに使って。これで足りなければ後でまた来て支払う」 「う、うん…分かった」 「着替えも必要ならしてくれ。動きやすい服がある。靴も」
2019-02-02 19:19:08早口で、しかし歯切れよく喋ってから、次藤は腕時計を確かめてまた云った。 「作業に一時間くれ。お手洗いは二階上がって左手の奥…婦人用は汚れてるから紳士用を使ってくれ」 何に汚れているかは詳しく語らなかったが、都築も問いただしはしなかった。
2019-02-02 19:22:12少女は棚の前をうろつき、やがて意を決して、海外ブランドのランニングウエアの上下とスニーカーを選び、試着室で身にまとった。 ”着替えたら” と男児にも勧めたが、向こうは失禁でいやな匂いがついたぼろを脱ごうとはしなかった。
2019-02-02 19:27:04代わりに、おずおずと訊いてきた。 ”あなたは、みよしさまか” 都築はためらってから、うなずいた。 ”わたしは、みよし” ”どうして、おもいかねのこの、しるしをおびているのか” 速人が重ねて発した言葉ははっきりは分からなかったが、首に巻いた牙の飾りが震え、何かを教えようとしていた。
2019-02-02 19:31:01”遠い昔から、みよしは代々、あの世のものになる、さだめ。いつからかは、わからない” ”おれは、みよしさまに、かたなをとどけにきた” ”かたなとは” ”ますらおが、おもいかねのこらをうち、ほねをやき、はいをたまはがねにまぜ、かじがうちきたえたるかたな”
2019-02-02 19:34:50少年はごくんと唾をのんでから、鞘に収まった刃を柄の方から差し出した。 ”あなたがみよしさまなら、ぬけるはず” 少女は腕を差し伸べて、受け取った。首に巻いた牙の飾りが鳴って、記憶をよみがえらせる。すでに過ぎ去って帰らぬしびとの。 刀は二振りとも驚くほどに軽い。
2019-02-02 19:37:51たどたどしい指の動きで鯉口を切って、黒ずんだ刀身をのぞかせる。ぞくりと背筋に震えが走る。 「あたし…無理だ…」 ”みよしさま…あなたは、みよしさまだ” 平伏する速人に、都築はかぶりを振った。
2019-02-02 19:39:26「…刀、使ったことないもん…お母さんなら…きっと…でも、あたしは無理だ…教えてもらわなかった…三好のお役目」 「都築ちゃん。はやとくんが何か話したか?」 時計屋が大きなスポーツバッグを肩にかけてあらわれる。 「うん…この刀…三好の家のために、速人が持ってきてくれたって」 「そうか」
2019-02-02 19:42:56「おじさんは刀とかも、使える?」 「いや。ボロならマニラ出張の時覚えたが」 「ぼろ?」 「三好のものなら君が持っていた方がいい」
2019-02-02 19:46:03