李舜臣とは、何者か〜無双の勇将ではなく「負けない地味さ」が持ち味? 伊東潤先生の考察を軸に
@Mahal @bn2islander 今Wikipediaを見たら(眉唾なのは承知)肝心の釜山を押さえられなかったので補給線の寸断はそれほどでもなく、また現地調達も厳しいくらい当時の李氏朝鮮は食糧生産力が低かったようで、やはり李舜臣の功績はかなり誇張されていたようです。
2019-02-15 13:40:29@jun_ito_info 輸送物資の強奪が目当てだったかもしれませんね。その後、朝鮮で李舜臣の名が忘れられたのは、実はただの海賊だったから? (思いつきです)
2019-02-15 13:49:18李舜臣の戦果って日本軍の生命線の補給船がほとんどやからマジで朝鮮では日本を追っ払った英雄で間違いはないんだよな。
2019-02-15 14:31:16楚漢戦争の彭越だってそんな感じだったように思いますしちと点が辛いように感じます twitter.com/jun_ito_info/s…
2019-02-15 15:41:56文禄・慶長の役の海戦を調べているんだけど、李舜臣は閑山島・安骨浦海戦で小戦果を挙げただけで、その後は戦果を挙げたということを喧伝するためのヒット・アンド・ラン戦法に終始し、最後は作戦ミスで敗死しただけなんだよね。こうした史実を、研究家が書けるになったのが最近というのが悲しい。 pic.twitter.com/8QXLL1bcPr
2019-02-14 06:20:39李舜臣は艦隊温存しながらの兵站攻撃と持久戦を得意とするファビウスなのですけど、途中で指揮権奪った元均というウァッロがそれまで必死に温存した艦隊殆ど全部沈めやがった後の悲壮な苦戦と活躍が英雄譚として主に語られていますから、少数で日本軍に立ち向かう勇将のイメージが強いんですよね・・・
2019-02-15 15:46:18@jun_ito_info 日本の戦い方はイマイチだと思った。もう少し、上手くやればよかったけど士気が上がらなかったのかな。
2019-02-15 16:42:36@sumida__tokyo 文禄・慶長の役の全体を通して、小西勢と大友勢以外は戦国時代の集大成的戦いができたと思います。とくに島津勢は、泗川城攻防戦で討ち取った首が38,717という前代未聞の数に上っています(島津氏の「首注文」)。碧蹄館、蔚山、露梁でも不思議なくらい圧勝しています。
2019-02-15 16:54:13@bookroad1 @jun_ito_info 輸送船団を狙って攻撃したとか、まるで近代の海戦みたいで、作戦として行ったらなら寧ろ凄い事ですね。
2019-02-15 17:01:07李舜臣は戦争前半は同格の水軍の将軍たちが、全く連携しようとしないから孤軍奮闘し、戦争後半で名将としての名声を確立し王の信頼も得てさあこれからだというタイミングで、彼の名望を妬んだ元均に何もかも台無しにされた悲劇の将軍だからなぁ twitter.com/Conscript1942/…
2019-02-15 17:09:22@sumida__tokyo 日本軍は強かったですよ。とくに秀吉の死が知れわたった後の、蔚山城、泗川倭城、順天倭城の三大攻防戦での圧勝ぶりは戦慄ものです。撤退というモチベーションの上がらない戦いにもかかわらず、明軍相手にこれだけ圧勝するんだから、底知れない実力を備えていたと思われます。
2019-02-15 17:10:25@horiguchikenji @bookroad1 そこが李舜臣の凄いところなので、韓国側も盛らずに語り合った方がよいと思うんですけどね。元均は無二の一戦を挑んで死んだため、韓国での評価は最低ですね。日本だと逆の評価になるかもしれません。鳴梁海戦でも、李舜臣はたった13隻で来島通総を討ち取っているんですよ。たいしたものです。
2019-02-15 17:17:31@jun_ito_info この人、休戦協定違反を犯して、撤退中の日本軍を追い討ちし、その卑怯な振る舞いに激怒した島津軍の逆襲を食らった上、雑兵の矢を喰らって死んだだけの卑劣漢。て何かの本に書いて有った気がする…。 こんなのを英雄にしないといけない程、半島では英雄や勝ち戦が無いのかと、当時思った物だ…。
2019-02-15 17:19:12@Tommy_Squire 厳密には賄賂を受け取って停戦に合意したのは明水軍の陳リンで、李舜臣は受け取っていません。そのため島津水軍の迎撃を主張し、陳リンも「そんならやっか」となったわけです。卑怯なのは陳リンで、李舜臣は筋を通しました。
2019-02-15 17:43:39@jun_ito_info @aokitoru88 不敗神話、ゲリラ戦、そして死後に軍神に仕立てられたという意味で楠木正成のような存在なんですね。
2019-02-15 17:57:53@jun_ito_info 身の丈にあった戦が一番ってはっきりわかんだね 楠木正成もゲリラ戦とか小狡い戦法使ってたような?
2019-02-15 17:58:10@xiaoke_As 李舜臣ですが抗日戦の最中に元均らからの讒言や独断での抗戦拒否(小西行長が朝鮮方へ清正渡海の情報を漏洩していたが勝手に偽報と判断)の咎で拷問されて死罪を申し渡され、それまでの功績でなんとか助命はされたものの一兵卒に落とされたりしてますよ。(その間に巨済島海戦で朝鮮水軍はほぼ壊滅)
2019-02-15 18:09:52@water20101 その通り! 戦力差がありすぎる相手に対して奇跡の勝利なんて、めったにないんです。だから100%の確率で勝てる戦だけしてヒット・アンド・ランというわけです。閑山島でも鳴梁でも、自分の戦いたい場所(潮の流れが複雑な場所)に引きずり込む、ないしは待ち伏せて戦うという手堅い戦法です。
2019-02-15 18:13:25@team486buntan @aokitoru88 そうかもしれません。彼を仕立てる以外になかったという李氏朝鮮国の事情もありますが。
2019-02-15 18:14:56李舜臣は有能な將帥だったと思うけど、民族主義的な觀點からヘンに持ち上げられすぎているよね。平凡社の叢書「東洋文庫」に李舜臣著「亂中日記」が収められていて、随分前に讀んだことがあるけど、手を加えられていない彼の肉聲を聞くことができて、面白かった。 twitter.com/jun_ito_info/s…
2019-02-15 18:53:25