織田作之助作品から読み解く昭和初期~戦中の大阪

織田作之助が執拗に描いた、戦争で焼ける前の大阪の姿を、その作品から読み解こうという趣旨です。 https://togetter.com/li/1222443 から大阪の地理等に関するものを分離、拡大しました。
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つばな/野咲カノン @tsubanya

「例へば高津表門筋や生玉の馬場先や中寺町のガタロ横丁などといふ町は、もう元禄の昔より大阪町人の自由な下町の匂ひがむんむん漂うてゐた」木の都/織田作之助 馬場先は現在の生玉表門商店会の通り。一枚目は馬場先三体地蔵尊 pic.twitter.com/xzcTjdpniU

2020-02-18 21:53:46
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「駒ヶ池の夜店と榎の夜店」

雑誌「上方」80号 昭12.8 「銷夏号」に大阪の夜店(市)の一覧あり、その中に下記のように、榎と駒ヶ池の夜店と思われる記述あり。

つばな/野咲カノン @tsubanya

生玉榎神社(九の日)て書いてるんだけど、榎木大明神のことか????

2020-01-29 00:15:36
つばな/野咲カノン @tsubanya

駒ヶ池地蔵(一、六の日)の駒ヶ池も謎なんだな。生玉さんにあったという池のことか?? sankei.com/west/news/1605… 馬場先三体地蔵尊のお地蔵さまがこれな気もするんだけど…

2020-01-29 00:29:31

「アド・バルーン」地図おこし

前述の通り、「アド・バルーン」の夜店のクダリが、どうにも織田作之助にとって思い出深い道順ではないかと思われて、場所を同定しています。

つばな/野咲カノン @tsubanya

一時間以上かけて織田作之助「アド・バルーン」の夜店の道行を地図に書き起こした。調べた時間とか考えるともっと時間かかってるけど。 みなさまのご協力のおかげでお午の市の終点の場所もしっかり同定できておりまする!! 力尽きて二つ井戸のかにどんだけ分からない! drive.google.com/open?id=176L9D…

2019-04-09 22:45:56
つばな/野咲カノン @tsubanya

今日は文楽劇場行く前に高津宮へ行ってきました~✨ pic.twitter.com/uvddqt4HEi

2019-04-27 21:58:32
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つばな/野咲カノン @tsubanya

「高津神社の裏門をくぐると、すぐ梅ノ木橋という橋があります。といっても子供の足で二足か三足、大阪で一番短いというその橋を渡って、すぐ掛りの小綺麗なしもたやが今日から暮す家だと、おきみ婆さんに教えられた時は胸がおどったが、しかし、そこにはすでに浜子という継母がいた。」 pic.twitter.com/lwa0mZ23ls

2019-04-27 23:17:29
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つばな/野咲カノン @tsubanya

もう嫌味たっぷりに、――高津神社さんの境内にある安井稲荷は安井さん(安い産)といって、お産の神さんだのに、この子の母親は安井さんのすぐ傍で生みながら、産の病で死んでしまったとは、何と因果なことか……と、わざとらしく私の生みの母親のことを持ちだしたりなどして、浜子の気持を悪くした pic.twitter.com/OsuD0qwI2o

2019-04-28 00:17:20
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つばな/野咲カノン @tsubanya

高津宮もいくたまさんも境内に占い屋さんいるの独特だなって思う

2019-04-27 23:59:49
つばな/野咲カノン @tsubanya

「家を出て、表門の鳥居をくぐると、もう高津表門筋の坂道、その坂道を登りつめた南側に「かにどん」というぜんざい屋があったことはもう知っている人はほとんどいないでしょう」 かにどんは谷町筋まで坂を上がりきったところで合っているのだろうか pic.twitter.com/7a4QuIqZQx

2019-04-27 23:49:13
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つばな/野咲カノン @tsubanya

「灯明の灯が道から見える寺があったり、そしてその寺の白壁があったり、曲り角の間から生国魂神社の北門が見えたり、入口に地蔵を祠っている路地があったり、」 どんなに覗いても生玉さんなんか見えないビル!ビル!ビル!格好いい車走ってた。寺はいっぱいあるが、この辺りは路地も死滅している。 pic.twitter.com/WQ5Ob5MoVk

2019-04-28 09:33:04
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つばな/野咲カノン @tsubanya

「坂を降りて北へ折れると、市場で、日覆を屋根の下にたぐり寄せた生臭い匂いのする軒先で、もう店をしもうたらしい若者が、猿股さるまた一つの裸に鈍い軒灯の光をあびながら将棋をしていました」 松屋町筋と思うんだがどうかな?歩くと古そうな問屋、商店があるので、市場があった感じは若干ある。 pic.twitter.com/yLURsCTWhO

2019-04-28 10:21:47
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つばな/野咲カノン @tsubanya

「そこを抜けて西へ折れると、道はぱっとひらけて、明るく、二つ井戸。」 pic.twitter.com/pnSN3G5kf7

2019-04-28 21:58:38
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つばな/野咲カノン @tsubanya

「岩おこし屋の軒先に井戸が二つあったり。」 津の清(つのせ)のあった場所はここです!!調べた!!!ここに二ツ井戸があったんすわ!! pic.twitter.com/5o628HhZlI

2019-04-28 23:57:07
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つばな/野咲カノン @tsubanya

「下大和橋のたもとの、落ちこんだように軒の低い小さな家では三色ういろを売っていて、その向いの蒲鉾屋かまぼこやでは、売れ残りの白い半平はんぺんが水に浮いていた。」 pic.twitter.com/8YTRGJ0WxS

2019-04-29 18:56:32
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つばな/野咲カノン @tsubanya

「ひょいと日本橋一丁目の方へ折れて、そしてすぐ掛りにある目安寺の中へはいりました。」(アド・バルーン織田作之助)自安寺のあやまりだと思う。自安寺は移転し、現在は旧二つ井戸あたり、文楽劇場の裏にあります。コンクリートの建物になってるが、今も自由に拝観させていただける pic.twitter.com/lqUmZWb756

2019-05-02 12:15:12
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つばな/野咲カノン @tsubanya

自安寺のHPにある、昔の地図!!!! しかし朝日座の姿はない eva.hi-ho.ne.jp/reiho-ikeda/su…

2019-03-14 20:29:02
つばな/野咲カノン @tsubanya

自安寺でいただける由緒書に織田作之助の一文が!誤記がなければアドバルーンもよかったと思うんだけどな。 「私たちには物も言わずにこんどは水掛地蔵の前へ来て、目鼻のすりへった地蔵の顔や、水垢のために色のかわった胸のあたりに水を掛けたり、タワシでこすったりした。」 pic.twitter.com/3BdVuqhxnO

2019-05-02 12:19:28
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つばな/野咲カノン @tsubanya

堺筋の電車道を越えたとたん、もう道頓堀の明るさはあっという間に私の躯をさらって、私はぼうっとなってしまった。 「アド・バルーン」織田作之助 pic.twitter.com/otEhMXI0pw

2019-04-07 00:00:56
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つばな/野咲カノン @tsubanya

「弁天座、朝日座、角座……。そしてもう少し行くと、中座、浪花座と東より順に五座の、当時はゆっくりと仰ぎ見てたのしんだほど看板が見られたわけだったが、浜子は角座の隣りの果物屋の角をきゅうに千日前の方へ折れて、眼鏡屋の鏡の前で、浴衣の襟を直しました。」 この角座の跡地て何が建つん?? pic.twitter.com/imW6E1ioCP

2019-04-07 00:10:08
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つばな/野咲カノン @tsubanya

これ今あらためて読んでて思ったんだけど「当時はゆっくりと仰ぎ見てたのしんだほど看板が見られた」と今はもう看板がないかのように書かれているが、「アド・バルーン」が書かれたのは戦争末期~戦後だが、地の文は「昭和十六年の八月の十日」太平洋戦争開戦前の主人公目線のはず。

2019-04-07 01:12:56
つばな/野咲カノン @tsubanya

かなり気をつけて作品内の時代に合わせた描写がなされているように思われるので、開戦前にすでにこういった看板が取り外されていたということなのかな??

2019-04-07 01:14:46
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