甲野善紀 身体機能を再発見する喜びは他者に勝利することより勝る

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甲野善紀 @shouseikan

震災以来、私は自分が武術と向き合う仕事をしてきてよかったと思う事が何度かあったが、先日、琵琶湖のセミナーに行って、また5日に芦花公園近くでIACの講習会をやって、あらためて気づいたことがある。

2011-05-07 17:36:37
甲野善紀 @shouseikan

それは「この身体そのものを動かす事そのものに喜びと興味を感じられるようになる」という事が、さまざまな便利と豊かさに目を奪われている現代人の価値観を転換させるのに「あるいは、かなりの力となり得るかもしれない」という事である。

2011-05-07 17:39:32
甲野善紀 @shouseikan

なぜなら、武術という人間の心身の働きをすべて動員して相手と対応するという事は、自らの心身を運転する技術を、より高度なものとする必然性が生まれるからである。

2011-05-07 17:40:40
甲野善紀 @shouseikan

そして、その技術が向上して行くに従い、その技術修練のための一人稽古も、相対して相手と行なう稽古も、それを行なうことに強い関心と興味が湧いてくる筈だからである。

2011-05-07 17:41:51
甲野善紀 @shouseikan

武道・武術の稽古というと、世の中の多くの人達は苦しい事を我慢して行なうかのように思っているし、実際それに関わっている人も少なからずそう思っているようだ。

2011-05-07 17:44:03
甲野善紀 @shouseikan

しかし、明らかに質的に異なった動きを体現できるようになるには、「辛いことも我慢して行なう」という稽古を続けていては、そこに至る道を見つけるのは、難しいと思えてならない。

2011-05-07 17:45:54
甲野善紀 @shouseikan

私がよく例えに出すことだが、動きの質的転換は、ライト兄弟が未だ誰も作ったことのない飛行機を造るために精魂を傾けたような、「やらずにはおられない」という強い情熱が何より必要だと思う。

2011-05-07 17:49:55
甲野善紀 @shouseikan

そして、その情熱がずっと継続するのは「オリンピックのため」とか、「何々チャンピオンになるため」ではなく、純粋に「自らの心身を精妙に働かせる事そのもの」に、喜びを感じるからである。

2011-05-07 17:51:11
甲野善紀 @shouseikan

そして、そうであるからこそ、武術の稽古は「便利に豊かに」と外へ外へと、その関心が向かおうとする人間の興味と意欲を内側へと向けさせる働きがあるのだと思う。

2011-05-07 17:52:06
甲野善紀 @shouseikan

つまり、すでに得ている精妙な身体の機能そのものを再発見する喜びをもたらすという事である。

2011-05-07 17:52:46